何だ、これは。(岡本太郎風に):磯崎憲一郎『肝心の子供』
Posted at 09/08/16 PermaLink» Tweet
肝心の子供磯崎 憲一郎河出書房新社このアイテムの詳細を見る |
磯崎憲一郎『肝心の子供』読了。何だ、これは。読み終わって唖然とした。流れに沿って読んでいたつもりだったのだけど、最後にいきなり突き放された感じ。ということは、沿っていたと思う流れがニセモノだったと言うことだろう。本当の流れはどこにあったのか。むかし、坂口安吾の『白痴』を読んだときに同じようなことを感じたが、あれから小説には読者を突き放すタイプの終わり方をするものがある、と思うようになったのだけど、本当はそうではないかもしれない。明らかにそういう意図を感じるものもあるのだけど、『肝心の子供』はそういう感じはあまりしない。
ティッサ・メッタイヤ。ブッダの子がラーフラという名であったことは知っているが、ラーフラがまた子を持ち、その名がティッサ・メッタイヤという名であったという設定。まずこれが史実であったのか調べたが、ネットで見る限りは完全な創作で、ティッサ・メッタイヤというのは仏典の中でブッダに質問をする一人の名らしい。ティッサ・メッタイヤ。ではなぜこの名を選んだのかというと、多分一番呪文くさい名前だからではないか。ティッサ・メッタイヤ。何度も書くと本当に呪文みたいな気がしてくる。
このティッサ・メッタイヤは宮殿を抜け出し教団に合流したラーフラがその魅力に惹かれて一緒になった女性で、あっという間に妊娠し、「肝心の子供」なのにまるで藁の束に見えてしまった髪の長い子(一歳で尻まで届く髪)であったという。なんだかもうめちゃくちゃなウソ話というか、すごく神話的なセンスの話で、『終の住処』では「喜劇味」と感じた要素がなんかもっとすごい形で現れている。小川洋子の『猫を抱いて象と泳ぐ』の主人公も生まれたときから唇が塞がっていた、というある意味神話的な存在なのだけど、磯崎のこの設定は、男親の子供に感じる違和感、すごく一体に感じるのに完全に別な存在としての子供、というある種神話的な「別物」「別個の存在」「別の物体」「理解できない奇妙な存在」という感覚を神話的に表現した感じがする。神話の神様や怪物が理解不能な異形の存在であるのは、人間の、男という性の持つ「子供=異形の物」という感覚がベースになっているのではないかとすら感じた。
もともと私は仏教に対して多少の関心を持っているのと、あとは手塚治虫の『ブッダ』を何度も繰り返し読んだせいもあって、シッダールタやスッドーダナ王、ヤショダラ妃、ラーフラ、マガダ国のビンビサーラ王、アジャータシャトル王などについてはもうイメージがこびりついている。三国志おたくの人たちが関羽といったら横山マンガのイメージから抜け出せないようなものだ。シッダールタが婚礼の日に城を抜け出して馬で散歩する場面などは『ブッダ』の出家の日の場面とダブってどうも上手くイメージできない。ヤショダラもラーフラもビンビサーラも『ブッダ』とは全然違うのだが、気がつくと『ブッダ』の中の場面を思い浮かべてしまうわけで、これは相当な刷り込みが入っている。
まさかブッダ家三代の物語を小説で読むとは思わなかったから、まあ思う存分刷り込んでしまったのだが、まあこの小説はたいしたものだ。
終わり方のことで云々いったが、それまでの物語の運びは、場面場面がかなり鮮やかにイメージされる。この描写力はさすがだと思うし、保坂和志に評価されるのもさもありなんと思う。人物描写でいうと、基本的に仏陀もラーフラもティッサ・メッタイヤもどうしようもない男たちだ。ヤショダラもラーフラの内縁の妻?として出てくるサリヤも生活力に満ち満ちていて、ヤショダラは貧しいシャカ族の国に始めて米の栽培法を持ち込むし(マンガ初めて物語だな。しかもニセモノの)、サリヤはティッサ・メッタイヤが集めてきて飼っていたカブトムシやクワガタを「煮たけど食べられないよ」と言ったりしている。磯崎の小説に出てくる女性はみな不機嫌で、みな生活力に満ち溢れている。男はすぐ肉欲に溺れたり、わからなくなったり、出家してしまったり、ろくでなしばかりだ。しかしそういうのも、しっかりした天照大神にろくでなしの素戔鳴尊みたいな、神話的な組み合わせみたいに見るとそれはそれで面白い。近松門左衛門の心中ものに出てくるもう死ぬしかないようなろくでもない小心の男たちと、しっかりしたおかみさんみたいな組み合わせでもある。
近松ってそういう意味で神話的だなと前から思っていたけれども、磯崎はそういう農業創始譚、農業英雄譚みたいな神話を創造する、つまりウソ話をでっち上げる才能に満ち満ちていて、確かに帯にあるような「世界文学性」をこの人は持っていると思った。マルケスやボルヘスと近いものをこの人は資質として持っているんだろう。
まあここまでは、新しい才能の出現を祝福する、という文学賞の紋切り型的な賞賛で終わってもいいのだけど、じゃあその才能の持つ可能性というのはどうなのだろうと思う。確かにこういう才能は、日本では珍しいんじゃないかと思う。似たようなものを持っていても、もっと土俗的だったり怪奇性に偏っていたりすることが多く、こういうあっけらかんとした個性はほかにないだろう。しかし世界で見たらどうか。世界的に見ても、たとえば村上春樹はほかに類似の才能がない、と言っていいように思う。エピゴーネンはいても本来の資質として彼に並び立つような人は私は知らない。寡聞のためかもしれないが。しかし、磯崎は、今の時点ではまだほかに似た人がいるような気がする。しかし、まだ既刊の小説を二冊読んでないから、まず読んでからいろいろ書くべきだなとは思う。しかし図書館ではどれも貸し出し中なので、今日本屋で買うことにしよう。
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