ピアノと幸福/ピアノと産業
Posted at 09/07/25 PermaLink» Comment(2)» Tweet
昨日。『ピアノの森』、単行本はすべて読了したので、自分の持っているモーニングの中から掲載されている分を見つけながら読んだのだが、来月出る16巻にあたる部分がほとんど抜けている。まあそれも、単行本を待つ甲斐があるからいいというようなものだろう。ただ今年の13号でショパンコンクールの一次の合格者が発表されていて、そこで重要な番狂わせ(といってもストーリー的には必然なんだが)が起こり、一気に雨宮の緊張が高まる。しかし雨宮はアダムスキと会話を交わすことで、自分を少し取り戻す。しかし根本的な変化が訪れたわけではない。、という号が手元に見つからない。覚えている限りではかなり印象的な回だったのでそれが読めないのは残念だ。
雨宮とアダムスキとの会話はとても当たり前のことしかいってない――必死で練習してきたことはみんな共通で、当たり前だということ――ので、最初読んだときはどうかと思ったが、雨宮の何か欠けている部分というのが逆にそこで明らかになってくる。
彼は音楽が幸福だということが抜け落ちがちな、まじめなキャラクターなのだ。彼には間違いなく才能があり、海はそれを本能的に聞き取ってその美しさを愛する。しかし雨宮自身はおそらくまだ、「自分のピアノが好きになっていない」。なったつもりにはなっているかもしれないが。
このマンガは、音楽の形を取っているし、間違いなく音楽の、ピアノのマンガなのだが、本当は幸福論なのだ。どんな劣悪な環境に生まれても、不幸であるとは限らない。どんな恵まれた環境に生まれても、幸福であるとは限らない。人には出会いが必要で、海と雨宮と阿字野というこの突出した個性の出会いから、すべてのストーリーが始まっている。
生まれたときから才能と母親の愛以外には何も持っていない海と、有り余る才能と幸福を事故によって断念させられた阿字野。その2人を結びつける森のピアノ。そしてその秘密を知り、天才というのがどういう者かということを心のそこまで怯えるくらいに知ってしまった雨宮。雨宮はしかし、基本的には果敢に勝負を挑んでいく。しかし海にとっては雨宮は「初めての同志」であり、敵であるとは基本的に思っていない。というか、海には敵は必要ないのだ。勝負する相手は自分自身であることを、周りとのかかわりの中で自覚していく。
ただ小学生編が滅茶苦茶に面白いのは、海自身もやたら未熟だからで、特にモーツァルトがたくさん出てきてそれに悩まされるところは抱腹絶倒だ。成長したあと、雨宮も誉子も出てこないところはわりと普通の青春ものみたいになっていて、ちょっとインターミッション的なのだが、それもショパンコンクールに向けてワルシャワに渡ると一気に面白くなる。強烈な個性を持つピアニストはそれまで海と若き日の阿字野しか出てこないのだけど、ショパンコンクールのコンテスタントはそれぞれみなすごい。大きく取り上げられている何人かが決勝に残るのだろう。海と雨宮、シマノフスキとパンウェイは間違いないと思うが、後はフランス、アルゼンチンの女性か。韓国の双子は、書かれているようであまり書き込まれていないので残らないかもしれない。後は話題に出てくるドイツの女性とアメリカの男。あとはどうなるかな。しかし連載でようやく二次審査が始まったが、決勝に話が進むのは一体いつになるんだろう。気を長くして待たなければ。
雨宮が救われるのは、おそらく勝負を捨てたとき。海には絶対的に敵わないと断念したときに、海に勝つことがありえるかもしれない。いや、作者じゃないからそんな気がするだけだが、主観的に絶望におちていくのを懸命に支えながらの勝負へのこだわりが、彼の心の闇を大きくしていることは間違いない。でもそこを突き抜けてしまうと、この話も終わってしまいかねないので、雨宮修平はこれからもずっと苦しみつづけるのかもしれないと思う。可哀想だけど。
パンウェイと阿字野との関わり、阿字野と怜子との関わり、ジャンと海が阿字野に隠して何をやっているのか、コンクール後に阿字野が何を計画しているのか、まだまだ伏線は盛りだくさん。誉子のエピソードもまだまだ読みたい。
この話はピアノと幸福の話でもあるが、ある意味ピアノと産業の話でもある。「子どもにピアノを習わせること」は昔に比べればステータスではなくなったけれども、こういうのを読んでいるとまだまだ巨大な産業なんだなあと思う。私はヤマハ音楽教室に幼稚園のときだけ通ったことがあったが、高学年になってからピアノを続けなかったことを結構後悔した。バレエは研究所の経営とか結構大変だということは『テレプシコーラ』に描いてあったが、ピアノは指導者はみなそこそこの音楽大学に籍を置いていて、個々に弟子を取ればいいわけだから、遥かに安定した職業であり、産業だ。芸術のジャンルでも音楽と美術と書道という学校教育に大々的に取り上げられている分野はそうした公的な教育機関のどこかに籍を置いて生計を立てることが可能で、そうした社会的なシステムに支えられている面は非常に大きいと思う。バレエや演劇は基本的にそうは行かない。ダンサーも役者も、超貧乏なのがデフォルトだ。
学校教育と芸術って、結構重要な話だな。しかしどのくらい成果が上がっているのかと考えるとよくはわからない。先に書いたように芸術は個々人の幸福にかかわることだから、本当は教えることなどできない。特に学校教育では。少しでもその人の人生を豊かにすることに、学校での芸術教育はどのくらい貢献しているのだろうか。
以前世界史の授業をしていたときに、歴史をテーマにした映画を見せるという授業をしたことがあるが、あれはいろいろと面白かった。南北戦争史と称して『風とともに去りぬ』を見せたり。あれはどの学年に見せても必ずみな感動するという必勝パターンの映画だった。『アンボンで何が裁かれたか』を見せたら「外国人には日本人のことはわからない」という感想があって感動したことがある。ベトナム戦争史と称して見せたのは『フルメタル・ジャケット』だったように記憶している。本当は『ディア・ハンター』を見せたかったのだが、あのロシアンルーレットの場面はさすがにきついだろうと思って。『ラストエンペラー』も見せたっけな。もうだいぶ忘れた。でもあの手のものではやはり『風とともに去りぬ』が圧倒的だった。中から下程度の高校生に見せて必ず感動させられるコスチュームプレイ(時代物)の映画ってそうそうあるものじゃない。
しかしああいうものをみたら、必ずほんの少しだけでも彼らの人生が豊かになるんじゃないかと思うんだよな…そういうものを音楽や美術の授業で提供することは可能なのか。一斉授業ではやっぱり難しいんじゃないかと思う。
教育って一体、何が可能で何が可能でないのか。問題は実は相当錯綜していて、目指すべきものが何なのか、なかなか見えてこない。選抜して上澄みを掬ってそれを相手にして教育を行えばある程度のことは可能だが、それですら十分なことが行われているとは言えないだろう。まして上澄みとして掬われなかった多数の人間が、教育からどれだけのものを受け取ることが出来るのか。人間に運不運はつきものだが、それに絶対的に左右されるということが公教育にとっては望ましいことではない、ということは考えられてもいい部分はあるだろう。
芸術の官能の基礎はエロティシズムにあることは明らかだけど、『ピアノの森』は言葉にはしていないけどかなりそういう部分は表現されている。しかしその官能を洗練しなければアートにはならない。洗練されたものを望むのか、洗練されない剥き出しの性欲を良しとするのかは人間の性質や生き方の上でかなり重要な分かれ目になっているように思う。ピアノを聞いて感じる陶酔と宗教的な恍惚感、性行為そのもののエクスタシーと。幸福感というものは長続きするものではないけれども、それが人生を豊かにする。セックスで感じる幸福感の質も、愛や絆がある場合と性器のみの結合である場合とでは同じでないことは明らかだ。師弟関係というものがアートに大きく関わってくるのもそういうことと関係があるのかもしれないと思う。近代人の孤独と幸福、という大きい問題とも関わってくる。
思いつくまま書いていたら切りがなくなってきた。
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"ピアノと幸福/ピアノと産業"へのコメント
CommentData » Posted by shakti at 09/07/26
お、歴史と映画、このテーマはさんざん追求したよ。
フルメタルジャケットは何度も見せた。それから地獄の黙示録も見せたいところだったが、当時はDVDはなかった
すぐに思い出すのは
ZEGEN、マルコムX、アルジェの戦い、忘れられたものたち(ブニュエル)、存在の耐えられない軽さ、マイケル・コリンズ、(他にも沢山見せたのだが、忘れている。。。)。 成績の悪い子に授業してもしょうがないから映画でも見てもらおうということでした。
しかし頭の悪い子はストーリがわからない! フランケンシュタインもわからなかったように覚えている。
>教育って一体、何が可能で何が可能でないのか。問題は実は相当錯綜していて、目指すべきものが何なのか、なかなか見えてこない
なにか格好いいこという人は、ごまかしがあるんじゃないのかなと思います。
ーーそういえば、できない学生達に週一回英語を教えていたとき、ちょっと悩んだなあ。なにをやっているのか、まったく意味不明だったなあ。
CommentData » Posted by kous37 at 09/07/28
なるほど。大学生対象でもそういうのはありますね。ハイブロウなものはなかなかむずかしい気もしますが。
>なにか格好いいこという人は、ごまかしがあるんじゃないのかなと思います。
その感覚はわかります。でも何かかっこいい言葉がないと、やってけないという部分もあるんじゃないかな。地道に一歩一歩というだけでは、誰もができるということではないような気もしないではありません。