『和漢朗詠集』/白洲正子:美を一生追い求めるということのすごさ
Posted at 09/07/05 PermaLink» Tweet
昨日帰京。特急の中で新聞を読んでいたが、あまり面白い記事はなかった。地元の文教堂で本を見て、城アラキ『バーテンダー』14巻(集英社、2009)と花輪和一『日本昔話・上』(小学館、2009)を買う。両方ともまだほとんど読んでいない。
帰ってきて、山岸凉子『日出処の天子』の1~3巻を読み直す。信州では4巻以降を何度も読んだのだが、3巻までの物語の構築を忘れているところがあった。読み直して見ると、やはりその緊密な構成に改めて感心するし、場面場面のすごさ――これは誰かも書いていたが、用明天皇(豊日大王)の崩御時に四柱の疫神が大王を取り囲んで連れて行く場面はすごいと思う。蛇足だが、「凉子」の字がさんずいではなくにすいであることに気がついた。ずっと見てたはずだったんだが。
和漢朗詠集 (講談社学術文庫 (325))川口 久雄講談社このアイテムの詳細を見る |
先週から探していた『和漢朗詠集』(講談社学術文庫、1982)が出てきた。先週買った行成の手本と照らし合わせながら読むと面白いなと思う。漢詩の書体とひらかなの書体。当たり前だが字がきれいだ。字というものは、やはり読めるからきれいだと感じるのだな。今までは、字が上手だとか工夫されていると言うことを感じたことはあったが、きれいだ、ということはあまり感じたことがなかった。行成の書は美しい。美しい書を読むことは心躍ることだ。
美を追求するとはどういうことだろう。昨夜、寝る前にテレビをつけていたら、白洲次郎・正子の生涯をドラマ化した番組の宣伝をやっていた。NHKドラマスペシャル『白洲次郎』。(こちらが公式ページ)主演の伊勢谷友介も健闘していると思ったが、正子役の中谷美紀に「白洲正子の若いころってきっとこんな感じだっただろうなぁ」と感じさせる迫真さを感じた。中谷美紀は『自虐の詩』で阿部寛と好演していたが、本当に芸域の広い女優だ。前回の放送では見なかったが、これは見てもいいかもしれないと思った。8月20~22日。
これを見ていて思ったが、白洲正子を「美を一生追い求めた人」と紹介していて、その表現は一見ステロタイプな表現だと感じたけれども、でも本当にそうなんだなと深くインスパイヤするものがあった。正子が自分のことを自分でそんなふうに表現するはずはないので、周りの人が形容するしかないが、つまり目利きであること、美しいものを見つけ出し、それを自分の周りにおき、また何が美しいのかをはっきりさせることに生涯を費やした人、その「はっきりさせる」というところにこの人の真骨頂があるのだなと改めて認識した。これは、正子の書いたものを読んでいるだけではわからないところがある。いや、私の読みが不十分だったのだと思う。いま、2004年に書いた白洲正子についての文章を読み直していたのだが、やはりまだまだ理解が平面的で、既に語られていることを繰り返しているに過ぎない部分が大部分だ。今なら彼女についてどう書くだろうか。
美を追求する、ということの第一は美を知る、ということに他ならない。骨董を見て、「感じが来る」というレベルから「わかる」というレベルになることが大変なのだ、というようなことを正子は書いているが、これはどんなジャンルでもそうだろう。ああ今私はこの美しさを感じているな、理解しているな、と思えるときはやはり至福のときだ。ああ、いい感じはするんだけど分かっているとはいえないな、と思うときはやはり残念な感じがする。若いときにいろいろなものを見てそういうふうに「感じ」「わかる」ことが出来るようになったのは幸せなことだとは思うが、現実に存在するほとんどのものはそれを感じさせるようなレベルのものではないので、ある意味常に不満を持って生きていくことになりかねない。満足するレベルのものを常に追い求めるということは、ある意味ほとんど狂気の沙汰になりかねない。それをやりきったと言うところがすごいのだと今は思う。
彼女は、自分で美を作り出すことにおいてはほとんど断念の歴史だ。女性で始めて能舞台に立った、ということはあっても結局能は男性の体でなければ演じ得ないものと気づいてすっぱりとやめ、若いころには絵を描いたり、銀座に「こうげい」という店を出して染織を扱ったり、さまざまな試行錯誤をしている。しかしその中で目は確実に養われ、ドラマ中にも出てくるであろう青山二郎の過酷な特訓によって文章に開眼していく。美しいものを作り出すのでなく、美しいものを美しく描いていく。その文章を随筆といっていいのかどうか、評論でも紀行文でもないその文章を、何と言っていいのかわからないが、明確なすぱすぱした断言とはっきりした判断保留と歌うような描写、つまり賛歌と、その繰り返しが織り成していくはっきりとした美の世界。そこに美があることを読み人に確信させしむる強靭でしなやかな文体は、やはり彼女にしか書けないものだ。
美しくないものに妥協するのは容易い。しかしその分たましいが死んでしまうことは避けられない。私のたましいもその意味ではずいぶん死んでしまった気がするが、肉体として生きているかぎり、たましいは甦る可能性がある。ということは、再生とは美しいものとともに再び生きることであり、再生の軌跡とは、美しいものを一つ一つ見出していくことにほかならない。
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