読売新聞の村上春樹インタビュー(下)/橋本治『大不況には本を読む』
Posted at 09/06/18 PermaLink» Tweet
昨日。午後湖畔に出かけ、その後そのまま職場に。昨日は早い時間から忙しいのに仕事がないという変な状態。遅くなってからどんどん仕事も出てきて本当に忙しくはなったが、多分これも昨日まで。今日は比較的暇だろうと思う。
仕事を終えて返ってきて、NHKで太宰治の番組を見ながら夕食。太宰の生涯ってあまり知らなかったのだが、破滅的な人生を送った前半生と晩年の間に、おだやかで家庭的な一時期があったということをはじめて知った。その場所が甲府だったということも。その時期があったから最後に「斜陽」、「晩年」と文学史に残る作品を書けたのだなと思う。モーニングに掲載されている『ンダスゲマイネ』では内縁の妻が出て来るが、結局彼女も捨ててしまう、らしいということを知る。最初はこんなもの見ながらメシを食うのはイヤだなと思っていたのだが、母が熱心に見ていたのでチャンネルを替えるとも言いづらく、結局見てしまったがけっこう面白かった。
今朝は5時過ぎに起きて車でファミマに読売新聞とモーニングを買いに出かける。どうもストレスっぽいものがもやもやしているのでそのまま湖を見下ろす山の中腹の公園まで車を飛ばし、写真をとって携帯百景に投稿したり。雨が軽く降ったりやんだり。ストレスって、自分の外にあるものとしてのとらえ方で、自分の問題としてとらえれば「余裕がない」ということだよなと思う。そう考えると、自分の心のもちようでストレスを減らすことは可能だなと思う。そう思ったら心はずいぶん軽くなった。
家に帰って読売新聞を読む。アメリカの国務省当局がツイッターに対し、メンテの延期を要請したという。イラン情勢の悪化に伴い政権側が報道管制を強めている状況の中で、ツイッターが重要な情報発信・連絡手段になっているのだそうだ。イランは基本的に都市部はかなり近代化されていることは知っていたが、ネットがそのように利用されているというのははじめて知った。中国だとそういうものまで統制することが可能だが、イランはもっと民主的なんだろうか。一企業のメンテ作業にまで国務省が口出しをするということは結局アメリカが改革派を支援しているということを表明するようなものだけど、今や相当広範囲の国でネットの威力というのは政治的な権力関係にまで影響を及ぼしているのだなと改めて思った。
イランでは反体制派の情報によれば11都市で治安部隊との衝突が起こっているという。アフガニスタン・パキスタン国境に近いザヘダンでもそうした状態だということを考えると、イランは国民レベルではかなり反原理主義的な方向に舵を切り出しているわけで、イスラム世界での原理主義の伸張とは違うベクトルが働き出しているということになる。もともとパーレビ王朝時代は中東でもっとも親米的な国だったわけで、イランは見かけよりずっと親米志向が強いと思う。この動きを成就させることはなかなか難しいと思うが、中国や北朝鮮などの社会主義独裁体制にあった国よりも、イランの方が豊かでなおかつ思想的な風通しもよかったといえるだろうと思う。「イラン革命体制」の維持の可否は早晩問われることになっていくのだろうな。
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村上春樹インタビュー・下を読む。今日の内容は文体・小説作法に関することが中心。このことは、「モンキービジネス」で触れていた部分と触れていない部分がある。『1Q84』の1000ページを越える長編を支える強靭な文体(緻密な仮説ディテイルの注意深い集積))を村上は作り上げてきたという指摘に対して村上は答える。一つには『海辺のカフカ』以降、いくつかの古典新訳の翻訳書を出してきて、「翻訳家として責務を負える力がついたと判断してとりかかり、何とか乗り越えた」ことがある。またリアリズム小説(『ノルウェイの森』)を書き、人の話を徹底的に聞いて文章にし、(『アンダーグラウンド』)連日オリンピックを見て30~40枚書いて(『シドニー!』)書きたいのに技術的にかけない、というものはずいぶん少なくなってきて、一作ごとに自分なりの新しい言語システムを開発してきた、という。このあたりのことは『モンキービジネス』でも言っていた。「自分で考えながらやっていくしかない」と村上は言う。村上の文体創造のプロセス自体が巨大なビルグントゥスロマンになっている。
物語観も成長している。ウィトゲンシュタインの「言語とは、誰が読んでも論理的でコミュニケート可能な客観的言語と、言語で説明のつかない私的言語とによって成立している」という定義を引用し、「私的言語の領域に両足をつけ、そこからメッセージを取り出し、物語にしていく」のが小説だと考えてきたが、あるとき「私的言語を客観的言語と上手く交流させることで、小説の言葉はより強い力を餅、物語は立体的になると気がついた」という。
その変化はやはり、『アンダーグラウンド』の頃に、つまり阪神大震災・オウム真理教事件と続いたあの真の意味での世紀末の時期、1995年からの数年でそうした変化があったのだと思う。私自身もそうだが、あれらの事件は日本人のありようをどこか変えてしまったところがある。911がアメリカ人のありようを変えてしまったように。「どんなことでも起こりえる」と思ったとき、つまり客観世界が案外もろいものであるということに気づいたとき、人は私的言語に閉じこもって客観世界に打って出る、という従来の戦略ではやっていけない、言葉を替えて言えば、「終わりなき日常」なんてない、日常はいつ崩れ去るかわからないものであり、むしろ主観は客観と共同しつつ何かもっと大きな(恐ろしい?)ものに対抗していかなければならない、という風に発展していったのではないかと思う。私は基本的に村上の作品は『ねじまき鳥クロニクル』以降のものしか読んでいないから、『ねじまき鳥クロニクル』が一つの出発点のように感じる(ゴールでありスタートであるのだろう)のだが、それ以降でも村上の文体は相当変わってきている。特に今回の、特にBOOK1はそうだ。
その変化はやはり、若者のありようというものにも大きな影響を及ぼしているのだろう。若者の考え方、行動がある意味妄想的、幻想的になってきているのは、やはり日常というもののもつ重みが我々の世代とはもうだいぶ変わってきているからだろうと思う。我々自身がその変化に戸惑う部分が大きいのだけれど、こうした幻想化した社会の中では、特に客観情勢、世界情勢を常に認識して自分の位置を確かめておかないと、より狭い範囲の中での感じ方だけでは危ない感じがする。昔は日本人は日常と常識の中で生きていたからそれがいちばん確固とした基盤で、それが鬱陶しいからそれから逃れたがっていたのが、むしろその日常と常識さえ現実感を欠いたものになりつつあるというところが、今の日本のいちばんの問題なんだろうと思う。
そのあとは文体論ではなく社会観になっている。コンピューターの発展による新たな階級社会。プログラマーという大勢の知的労働者の存在。コアな知的仕事をする人が5%はいて、芸術は滅びることはないという信念。アメリカ文化の凋落と「文化的なやり取りはいっそう盛んになるし、より等価的になる」という見通し。日本という場所に住む人たち(日本人ではなく)がどう生きていくのがいちばんいいだろうという問い。日本語の新しい可能性。日本から発信できるメッセージが必ずあるというこれもまた信念。このあたりはよく読む海外での村上インタビューにかかれていることに似ている。こういう部分は全然変わらないなあと思う、良くも悪くも。小説という特異な物を作り出す村上と、こうしたいわば平凡で常識的な進歩史観を語る素顔の村上のギャップのどこかに、創造の秘密が隠されているんだろうなあと思った。
インタビューした尾崎真理子記者がオウム真理教事件の林泰男死刑囚の法廷で事件の詳細を見届けた上で、死刑囚の心境を想像し続けたことについて、「作家が自ら歩み出て引き受けたその苦役が、この美しい、長い物語に結晶した――そう考えると、あらためて「小説」の不思議さを思う」と書いている。書く人間と物語とはやはり別のところにあるわけで、人間が物語に近づいていくためには苦役にも似た想像力の行使がある、ということが創造の秘密の第一で、しかしそのためには普通の意味での努力も必要であり、そのことを「この作品の軽やかで多彩な面白さがいかに自然に湧いてきたか。的確な文章にするため、表現の技術をどんなふうに鍛えたか。30年を振り返って語る表情は充実していた」とまとめている。さすが大・読売新聞のベテラン文芸部記者。読みたいことを過不足なく取り出している。ネットや新興雑誌のインタビュー記事とはやっぱり違うんだなと思わされた。新聞というものも、文学というものも、まだまだ大した力を持っているのだと思う。
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大不況には本を読む (中公新書ラクレ)橋本 治中央公論新社このアイテムの詳細を見る |
昨夜、橋本治『大不況には本を読む』(中公新書ラクレ、2009)読了。以下の内容は昨夜書いたことなので、もしかして上の内容と矛盾することがあるかも。
前にも書いたが、橋本はこの本を大人の男、ビジネスマンと言われる人たちに対して書いている。その人たちに、この世界同時不況に際して、「自分の頭で考える」ことを復活することによって、我々がこれからどうすべきかの指針を見出さなければならない、そのためには本を読んで自分の頭で考えなければならない、ということを訴えている。
日本のビジネスマンとは江戸時代でいえば町人の末裔だ、というたとえが面白いと思った。江戸時代の日本では支配階級が武士で、被支配階級が農民で、そういうのと関係ない形で存在するのが町人だ、という理解はなかなか面白い。「そういうの」、つまり政治と関係ないところで自分たちの商売をするのが現在の会社員なのであり、だから必然的に政治とか思想とかそういうものとは関係ないところでものを作って売って来たのが日本の経済人だ、ということになるというわけだ。だから、根本的に日本のビジネスマンは欧米で言う「市民」ではない。「市民」は権力に異議申し立てをする存在だが、日本のビジネスマンは「そういうのとは関係ない」町人であり続けたのだ、というわけだ。それが「経済は一流、政治は三流」と言う分離した関係になっている原因で、西欧人の定めたルールにただひたすら乗っかって、「そういうのと関係なく」ものをつくりつづけ売りつづけた結果、どこよりも成功してしまったのが日本だというわけである。
1985年の「内需拡大」政策以来、日本人は特に必要のないものを買い始めることによって世界の景気の下支えに貢献してきたが、その無理が結局最終的に世界同時不況を引き起こした、とする。だから産業革命以来150年のどん詰まりがこの大不況であり、「経済は成長するもの」という前提が環境的な限界でいきづまった今、「経済は成長するものと」という前提を取り払ったとき、つまり「そういうのと関係なくただひたすら生産と販売に従事してきた」自分たちはこれからどうすればいいのかということを考えなければならない。そのためには本を読まなければならない、ということだ。
つまり、自分の頭で考えるために、本を読めと大人の男に訴えているのである。なんだかあたりまえの事を言っているだけのような気がするが、考えてみたら日本の大人の男というのは自分の頭でちゃんと考えてこなかった人がすごく多いだろうなと思う。簡単に言えば金儲けのことばかり考えて人間のあり方というものを考えてきた人があまりいないということだ。それも個人的にではなく、日本人のあり方として、というレベルのことを。
「金儲けのことだけでなく人間のあり方のことも考えろ」という主張は全くそのとおりだなとは思うが、逆に私などは金儲けのことをちゃんと考えてきてないので全然時代遅れだったのだが、逆に三周遅れくらいで先に走っているということになっている・・・といいなと思う。オバマの登場は、経済の時代の終わりと理想を語る時代の始まりを告げていると思っていたが、オバマの登場自体が近代のどん詰まり、経済の時代の終焉によってもたらされたのだと考えるべきなのかもしれない。面白い時代になってきたのかもしれないと思う。
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あわせて考えると、日本の転換点は1995年だけでなく、1985年にもあった、ということになるんだろうな。そして2008年にも。そのあたりのことを立体的に考えておく必要はあるんだろうと思う。(もう一つ2002年にもあった、という考えも私にはあるのだが)
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『モーニング』。「ビリーバット」白洲次郎。「バカボンド」又八。「OL進化論」スパッツ。「社長島耕作」エナコリフ。「Giant Killing」持田の故障。「僕の小規模な生活」ちょっとカワイイだけの女。「かぶく者」なんという存在感by理事長。「きのう何食べた?」これはゲイのマンガだったのか!今週いちばんの衝撃。「とりぱん」鳥がほとんど出て来ないとやっぱりつまらない。「神の雫」ナパ・ヴァレー列車の旅。「エンゼルバンク」会社は従業員のもの。「シマシマ」俺の大吉!「ケンとメリー」今この惑星で恋がひとつ終わった……「ディアスポリス」ホワーイノット?「Ns'あおい」何でそんなこと考える必要があるんだ?「誰も寝てはならぬ」オカちゃんもハルキちゃんもなんかフクザツ。「東京怪童」ハシのマンガ。しかしモーニング掲載のマンガって、一話である程度きりをつけようとか全然考えてない作品が多くてすごいなと思う。「クッキングパパ」命の恩人。「35歳のハローワーク」グーグルのライブラリプロジェクトをめぐる、グーグルとのキャッチボールの出来なさ。ていうかネット企業って、そういうまともな会話が出来ないんじゃないかと思うような会社が多いのは事実。会話する気なんて最初からないのかもしれない。乗ってくる人だけ相手にしてても商売が成り立つ。きっと産業革命のときの新興企業のわけのわからなさとか、バブルの頃の地上げに邁進する不動産屋とか、最初から相手を交渉相手と思っていない感じが、似てる。世の中が変わるときの新興勢力があたり構わずなぎ倒していく感じ。どこかで揺り戻しが来るときが来ると思うが、それが今なのかそうではないのかはわからない。
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