チャンドラー・村上春樹訳『さよなら、愛しい人』

Posted at 09/06/10

昨日帰郷。出掛けに丸の内丸善でチャンドラー・村上春樹訳『さよなら、愛しい人』(早川書房、2009)を買う。電車の中で読み、夜も読み、朝も読んで、現在221/368ページ。すでに6割読んだ。さすがに『1Q84』と比べるとはるかに読みやすく、ぐんぐん進む。

さよなら、愛しい人
レイモンド・チャンドラー
早川書房

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現代日本文学って、基本的に形容詞・修飾語をあまり使わないのがいい文章とされているけれども、チャンドラーの文章は形容詞・修飾語の嵐だ。そしてそれが雰囲気を出すのに多大に貢献している。まわりくどい言い方によって世界を表現し得ている。場末の殺伐とした雰囲気と、ゴージャスな大金持ちの生活の極端な対比を描くのがチャンドラーは実に上手い。マーロウの事務所のうらぶれた感じや、警察署の煮詰まった雰囲気も。インチキ心霊術師の屋敷の描写などは映画を見ているようだ。なんというか、『セーラー服と機関銃』(もちろん薬師丸ひろ子バージョン)の大道寺?とかいった悪の中枢みたいな人物の屋敷の雰囲気とどうもにている。というか、あの映画を見たときこの屋敷はなんかホラーっぽいよからぬものが巣食う場所だなあと思ったので、その印象が強いのかもしれない。印象としては、形容詞の使用法も7割方は反語的な用法という感じだが、本当はいくらなんでも7割ということはないだろう。「なんだって?ああ、面白い冗談だ。非番のときに笑うから、思い出させてくれ」というフレーズが可笑しいなと思う。

読んでいてああそうだなあ、と思ったのは、気絶させられて拘束させられているときに、腕にたくさんの注射針の跡を見つけるシーンだ。

「身体中にうずきを感じた。頭はずきずき痛むし、喉も腕も同様だ。どうして腕が痛むのか、覚えはない。木綿のパジャマみたいなものの袖をまくり上げ、ぼんやりとした目でそこを見た。肘から肩にかけての皮膚には、一面に針のあとがついていた。その一つ一つの周りが変色した斑点になっている。斑点の大きさは二十五セント硬貨くらいだ。

 麻薬だ。おとなしくさせておくために、しこたま麻薬を打たれたのだ。自白を引き出すためにおそらくスコポラミンも打たれたはずだ。短時間に大量の麻薬が投与された。私は薬物による幻覚を見ていたのだ。」

そうだよなと思う。実際そんな目にあったらやりきれないだろうが、危ない団体にひっかかったらそれくらいのことはやられるだろう。そういう意味では、自分で打ちたくなくても麻薬というものは不可抗力で打たれる可能性だってあるってことだ。今までヒーローものとかいろいろ読んでいても主人公が気絶させられて麻薬を打たれたり自白剤を打たれたりしたという話を読んだことがないので、この場面は非常にリアリティを感じた。

出てくる人物がみなそれぞれに特徴がある、というよりは一癖あるキャラクターばかりで、チャンドラーは上手いなと思う。ある種の極端を描くことでその人物の特徴が磨き上げられている感じだ。へんてこりんなインディアンとかを読んでいると、なんだか表現主義的な映画を見ているようだ。たとえばアンジェイ・ズラウスキの『狂気の愛』とか。それでいてレオス・ラカックスの『ポン・ヌフの恋人』のような祝祭性は出ていない。やはりアメリカなのだが、単にアメリカ的な人物造形だけでない、もうちょっと(いや相当)はみ出したものを感じる。この小説はハリウッドでなく、ヨーロッパの監督が映画化すると面白いと思う。

反語的なユーモアの感覚というものが、『ロング・グッドバイ』を読んだときは単なるかっこつけのように感じたのだけど、今この『さよなら、愛しい人』を読んでいると、やはり辛口ではあるがユーモアなんだなと思う。ブラックユーモアというよりは、タフなゴリラ野郎のロマンチックなリアリズム的ユーモアとでもいえばいいだろうか。つまりアメリカ的な、それもなんというか、マッチョなアメリカの粋の精髄とでも言うか、ヨーロッパにも日本にもない何かアメリカのもっともカッコいい部分なんだなと思う。アメリカのどこがカッコいいんだろうという感覚は前からずっとあったけども、これは間違いなくリリシズムなのだ。今まで理解できなかったけれども、アメリカのリリシズムっていわば強者のリリシズムであって、そのシンプルなタフネス信仰から来るリリシズムのようなものは、やはり現代ではアメリカにしか存在し得ないものなんだろうと思った。

今朝はスーパージャンプとビックコミックを買ってもう全部読んだが、その感想を書く時間はちょっとない。

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