ウェブ評論の第一人者としての梅田望夫氏/日本のウェブを「残念」でなくするために
Posted at 09/06/06 PermaLink» Tweet
昨日。労働保健に関する仕事などをしつつ、9時半まで仕事。昨日は比較的早く上がれた。寝たのは12時前。しかし今朝も起きたのは6時40分ごろになってしまった。低潮期だ。
昨日書いた梅田望夫のインタビュー(前・後)に対する反応をネットでいろいろ読んでいて、いろいろ考えるところがあった。梅田の発言は、個人としては基本的によくわかる、それは昨日書いたとおり。しかし梅田は単なる個人ではなく、好むと好まざるとに関わらず『ウェブ進化論』の著者として「ウェブ評論の第一人者」になってしまっており、また日本におけるウェブの最先端企業の一つ「はてな」の取締役としてウェブの動向にもある程度の影響力をもてる存在になっている。ネット上における梅田に対する批判は、基本的にはそういうポジションにいる梅田が日本のウェブの現状をただ「残念だ」とこぼすことに対するいわば道義的な批判だと言っていい。
希望は、語られなければならない。希望は語られることによって、他の人の希望も呼び起こし、共感の力が新しい時代を開いていく。梅田が『ウェブ進化論』で行ったことはまさにそれで、ずいぶんたくさんの人がそこに希望を見出したからこそその著書はベストセラーになり、梅田は「ウェブ評論の第一人者」になったのだ。
ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)梅田 望夫筑摩書房このアイテムの詳細を見る |
梅田自身はその地位、「ウェブ評論の第一人者」という地位に座りごこちの悪いものを感じたらしい。大体そんなものはなろうとしてなれるものではないし、梅田のシリコンバレーにおける経験があって初めてウェブのさまざまな可能性について多くの人が啓蒙されたのだ。私も、たとえばインドの貧しい大学生が英語でコンテンツを発信し、グーグルのアドセンスで未来を開ける収入が得られるという例を読んで、これは確かにすごいことだと思った。途上国の若者が自分の力で可能性を切り開くということは並大抵のことではない。それをネットが可能にするというのはネットの力のかなり強力な善の側面と言っていいと思う。
それらの例を語ることによって、日本においては、梅田の著書・梅田の発言がまず第一に参照され、ということは新しいものを打ち出そうとするときに当然ながら第一に批判されるべき存在になったのだ。簡単に言えば梅田は「ウェブ評論界の手塚治虫」になったのである。正直言って、そんな気もなくなってしまったらこれは相当面倒な地位だろうと思う。
そんな建設的な話ばかりでなく、世の中、第一人者を批判することによってしか世間に関わることの出来ない、甘えてぶら下がっている連中というのは一杯いる。梅田は希望を語ることで、希望に共感して前に進む仲間が出てくることは期待していただろうけれども、そしてそれはある程度は実現した面もなくはないだろうが、そういうべたべたした気持ちの悪い批判者たちももれなくついてくるということについての心構え、つまりそういう存在があっても希望を語りつづける覚悟というものまではなかった、ということなのだと思う。批判者たちもひっくるめて相手にし、日本語のウェブを向上させるために希望を語りつづける、いわばノブレスオブリッジを引き受けるつもりはない。梅田の「残念」発言はつまりはそれを宣言したということなのだと思う。
梅田がその地位を下りたことで、ウェブ評論界はまた混沌状態に投げ出されることになった。そういう意味で、今の状態は昭和初期の政治状況に似ている。少し期待が出来る人が出て来るとみんなわっと飛びつくが、期待通りでないとわかると潮が引くように離れていく。梅田が日本のウェブ界を「残念!」と切り捨てたことはつまりは近衛文麿が、最近で言えば安倍晋三や福田康夫が政権を投げ出したことと構造的には同じことなのだ。まあ言えば、任にないものが政権を担わされた悲劇のようなものだったのだろう。もちろん、現象的には影響力やその規模の点で比較するのは荒唐無稽だという指摘はあるだろうけれども、人間が3人いたら存在する「政治」という側面に限って言えば、「構造的には」同じことだと思う。
もちろん、ウェブ評論界の第一人者といったところで首相と同じような権限が与えられているわけではないし、たとえばオバマのように夢を語ってそれが影響力を持ちえるには、オバマ位の権限がなければ難しい、という面もある。
しかしオバマが現在突き当たっている経済の問題で言えば、たとえ大統領の権限をもってしても、できることは限られている。問題の大きさに対して、権限の大きさはたとえアメリカ大統領であっても蟷螂の斧だ、ということは言える。ウェブ評論界の第一人者がウェブ界に対する責任を負えといわれても実際問題として不可能だ、というのは個人の立場から言えば全く正当である。つまりそんな不可能を可能にすることを期待されているようなポジションにいたくない、というのは個人としては当然のことだろう。オバマは政治家だし、また与えられている名誉と権力が圧倒的なものであるから、大統領を辞めるときまで引き下がることはないだろう。絶対にアメリカをくさすようなことは言うべきではない、ということをよく理解している。梅田が、そういう評論が自分の任ではない、自分は将棋や天才の世界が好きなんだ、といっていることは、つまりは自分は政治家ではない、公人としてウェブ界の希望のために努力する高貴なる義務に生きることではなく、私人として、個人としての幸福を追求したいのだ、と宣言していることなのだ。公的存在としての引退宣言である。
しかし、将棋に関して書いていることを読んでみても、将棋界の将来に対する危機感の強さから渡辺明を評価している点一つをとっても、梅田にはそういうものを担うべき資質はあると思う。ウェブ界は本当に混沌たる状態であって、梅田という存在は実はかなり大きい。だからこそ梅田の発言に対してこれだけ波紋が広がっているのだろう。村上春樹の新作にいきなりたくさんの人々が群がるように、人々は新時代の預言者を求めている。小説界の希望がいまだに村上であるように、梅田はウェブ評論界の大きな希望なのだ。この二人が二人とも実は個人を大切にする人であることはある意味示唆的なことではあるが。
小泉改革が国民の圧倒的な支持の元に遂行されたが、明るさとともに負の遺産も大きなものがあることは明らかなように、すべてのものには光と影がある。その変化が大きければ大きいほど、光はまぶしく、影は深く濃い。産業革命が利便性の驚異的な向上と、おそるべき社会問題を生み出したのと同じように、文明の流れというものは個人がコントロールすることは不可能で、その波によって転落した人びとは深いルサンチマンを抱き、自分たちがその思いをぶつけるべきスケープゴートを求める。フランス革命がルイ16世を、マルクスがブルジョアをスケープゴートとしたように、ウェブの発展によって、梅田が語ったような希望によって、自分たちはもっと幸せになるはずだったのになってない、と憤りを感じている人びと(書いていて少々情けないが)が「責任を取れ!」と誰かに言いたくて仕方がないのだ。ウェブの影の部分の責任、少なくともそれを改善する責任を誰かに取らせたい。まあ前向きだからまだましだが、これがもっと嵩じてくると戦犯探しになり、極東軍事裁判めいてくる。責任を取るべきなのは、ウェブの希望を語ることで脚光を浴びた人だということになりかねない。スケープゴートになるには資格が要るのである。
ここで確認しておかなければならないのは、評論家というのはつまりはその世界における政治家である、ということなのだ。政治家はその世界を仕切り、方向性を見出し、場合によっては異端を排除し、「正しい」方向性を維持しなければならない。文壇政治というけれども、よきに付けあしきにつけ文壇はそのようにして文学界としてのメッセージを世間に向けて発しつづけてきた。今でも芥川賞の選考などの形を通じて、社会に一定の影響力を持っている。近代化時代に比べれば微々たる物であるけれども。(村上龍に言わせれば、ポスト近代時代にはそういうものは不要ということになるらしい。しかしそうでもないと思う。芥川賞の選考と『1Q84』のヒットとどちらが社会に影響をもちえるのか、微妙なところだ。)
ウェブ界はまだまだ日進月歩の時代であって、ウェブ評論の持つ影響力は、今後のウェブの発展にまだまだ大きな影響力を持ちえるはずだ。だから、ウェブ界が健全な発展をしていないと嘆くよりは、ウェブ界の健全な発展に資する発言が出来る、影響力を持った評論家の存在は不可欠であると思う。梅田はそういうものに巻き込まれるのがイヤだと思っているのだとは思うが、でも梅田にしか出来ない役割はまだまだあるのだと思う。池田信夫が梅田は自己を過小評価しているところが残念だ、と言っているが、私もその点に関しては同感だ。個人の幸福を追求するのも自由といえば自由だが、将来もっと梅田自身が住み易いウェブ界にするためにできることを今やっておいた方が、梅田自身にとってもプラスなのではないかと思うのだが。
もう一つ別の次元のことを言えば、ウェブ評論という形の政治だけでなく、現実の政治家がウェブ界の将来のために交通整理をするべき段階に入っているのではないかと思う。官僚がその交通整理に関わることによって、とは言っても既存の官僚機構とは別にウェブを熟知した人々を中核にして新しい組織を立ち上げた方がいいと思うが、ウェブの方向性というものをある程度は示した方がいいと思う。ウェブはアメリカ起源だからアメリカの民間主導の伝統によってウェブというものが組み立てられているが、だからこそアメリカのウェブは骨太で力強く、日本のウェブは残念なものになっているという面がある。
そこを取り上げて梅田はアメリカのウェブに比べて日本のウェブは残念、といっているのだと思うが、それはもう政治文化的な違いでしかたがないところでもある。
日本では官が枠を作り民がそれを利用する、という形になるけれども、アメリカでは枠を作っていくこと自体を民間の、官に関わらないエリートがやる。そういう知的エリートのリーダーシップを尊重するのがアメリカの政治文化で、そういうものをどちらかと嫌がるのが日本の政治文化だ。日本は現場主義、ないしは現場信仰が強いから、現場に関わらないカードルがリーダーシップを発揮して枠を作っていくことを嫌がる。だから結局は官がそれに代わって枠を作る。どうも日本には、「リーダーシップ」というものを「権力」としかとらえられない、仕事を実行していくためのフレキシブルなフレームとしてとらえられないところが強くてそれは残念なことだ。だから権力者=官のやることはしぶしぶというポーズをとりながらも結局積極的に受け入れる。猫に鈴をつけられるのは権力者だけだとみな思っている。
政治文化そのものを変えていくということは、ネットの中でのことを変えるよりずっと大変なことは明らかだ。それでも政治文化を変えることにチャレンジする、というのでなければ、とりあえずは日本の政治文化の型にあった形でウェブをよい方向に導くことを考えなければならないと思う。逆にいえば、ウェブが主導する形で日本の政治文化を変えることが出来れば面白いなとは思うのだが、現実はそれが不可能に近いとまでは言わなくても相当困難な道であることは明らかになってきたのではないか。現実問題としてネットがあったために不幸になった人がかなりの数出てきているとするならば、それの対策はそれなりに考えられた方がいいだろう。もちろん、ウェブの発展に打撃を与えるような形はよくないが。しかし、あれだけ滅茶苦茶にネットを規制している中国でもどんどん変化が出てきていることを考えると、ウェブの生命力は相当強いということは言えると思う。
ある程度プロバイダを規制するとか、ドメイン取得に政府機構が関わるとかをするだけで、不健全な「ネットの影の部分」は相当コントロール可能になると思う。それがネットの自由を侵害するというなら、(というか、まず「ネットの自由」というものを法律的に定義してもいいのではないか)独立委員会的なものがコントロールするという形でもいい。とにかく、ネットという将来的にかなりの可能性があるもの、希望に満ちたものを、暗黒なイメージのままに放置しておくことはあまりよくないと思うのだ。
「ウェブ基本法」、「ネット基本法」みたいなものが、まあこれは日進月歩のウェブの現状に合わせてこまめに修正していくという前提の元に、制定されてもいいのではないかと思う。技術論としては考えられることはまだまだあると思う。
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