小林秀雄『作家の顔』/ネットはバカと暇人のものか/『島耕作』を読んで考える
Posted at 09/06/05 PermaLink» Tweet
昨日。10時前まで仕事をして、帰宅して夕食を食べたあとなんとなくテレビを見ていたら、職場から電話で経理上の件があってもう一度職場に往復する。入浴して寝て、多分12時過ぎだったと思うのだが、今朝は目が覚めたら7時前で、ずいぶん寝た。少し寒いから疲れが出たんだろうなと思う。今日は朝からずっとしとしとと冷たい雨が続いている。6月だというのにストーブをつけている。
簡単にモーニングページを書いてゴミを車に積み、集積場所に出してから職場に行って職場のゴミを捨てる。帰ってきて父に愉気し、朝食。自室に戻ってアイデアを出そうとするが全然。朝眠りと目覚めの中間くらいで彷徨っていたときになんかそうだよな、と思うような言葉が泉のように湧いて出てきていて、これは今日はいろいろなことが書けるんじゃないかと思ったのだけど実際に起きてみたら全く逆で、どうもなんというか。実際寒くて疲れが出ているのだと思う。9時半に少し労働保健関係のことを調べて、また自室に戻ってものを書こうと思ったが書けず、横になって休む。休むとやくたいのないことなどいろいろでてくる。
小林秀雄全集〈第4巻〉作家の顔小林 秀雄新潮社このアイテムの詳細を見る |
昨日から父の本棚にあった小林秀雄『作家の顔』(角川文庫、1958)を読んでいるのだが、なかなか面白い。井伏鱒二、室生犀星、谷崎潤一郎、林房雄、中野重治といった人たちに対する論評をぱらぱらと読んでみていたのだが、読んでいてああ、小林秀雄ってこういう人だよなあと思うようなくだりがたくさん出てきて面白かった。冒頭が井伏に対する文章なのだが、これが感心した。
「作品を読む人びとは、各自の力に応じて作者が作品に盛った夢を辿ります。作品の鑑賞とは作者の夢がどれだけの深さに辿れるかという問題に外なりません。だから、人びとは、作品から各自の持っている処だけをもらうのだ、と言ってもいいので、大小説も駄小説も等しく面白がることができる。……人びとが覚えこんだいろいろな概念の尺度で単純に傑作愚作を弁別しているという事と、自分の力である作品をどの程度まで辿ったかと考えてみる事との間には、大きな溝がある事は確かな事ですし、またこの溝が一般にはなかなか気づかれないことも確かだと思います。」
鑑賞とは、作者の夢を辿ること。その夢を、どれだけの深さに辿れるかという問題に他ならない。全くその通りだと思う。「作品をどこまで読み込めるか」というようなことをよく言うけれども、そこに書かれている「夢」をどこまで辿れるのかということが重要である。「夢」は作者が意図して書いている場合もあるし、だからこそ「作者は何を言いたいのか」という国語の問題も成立するのだが、(成立していないという説もあるが、)作者が意図するものを超えてもっと大きな「夢」が描かれている場合もある。村上春樹なんかは本人の発言などを読んでいると、どうもそういうことらしい。
しかし、どんなに複雑に幻想的に書かれていようとも、村上の作品の追求するところは結局愛と自由という近代的なテーマにどのように迫っていくかということにある。愛と自由の本質のようなものはもう幾重にも隠されていて、古典的な作品に書かれた愛や自由に共感はしてもそこから複雑な現代社会に対応して生きていく力というかヒントのようなものが十分にかかれているかというとなかなかそういうわけには行かない。古典には時代を超えて生き残っていく力があり、それはテーマの普遍性によって支えられているわけだけど、やはり「ヒースクリフのように生きる」とか「キャサリンのように生きる」ということを現代社会において具体化しようと思ったってできるものではない。いや、できる人もいるだろうけど。
愛とか理想とか、この現代において一体何なのか。社会主義的な夢を語った多くの作品は、現実の社会主義の失敗と崩壊によってやはりほぼ確実に過去のものになった。資本主義的な、グローバリズム的な夢を語った作品も(って一体どんなものかはわからないが)やはり古びてきていると思う。この先の見えない現代において、「現代人は愛しうるか」とか「現代人は理想を持ち得るか」というのはかなり切実な問題だし、少なくとも絶望しきらずに何らかの希望をもつことができないか、というのはほとんどすべての人が感じたことのあるテーマではないかと思う。
ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)梅田 望夫筑摩書房このアイテムの詳細を見る |
『ウェブ進化論』を書いた梅田望夫が日本のネット状況について「残念」と形容し、基本的にはそういうウェブの世界の啓蒙者という立場を下りる(本人はもともとそういう気はなかったらしいのだが、成り行きでそうなってしまって本人も相当ストレスを感じたといっている)という話をしているのを読んで、かなり共感する部分があった。(前編・後編)ウェブに自らの能動的な可能性を見出して夢を語る、その方向性に共感を感じる人と、ウェブで広がった発言可能性に着目してどんなことにでも(多くは瑣末なこと、あまり意味のないこと)になんでも発言することに生きがいを見出した人びとのギャップについて、感じるところが多かったのだが、これは上の小林が言うところの自分の力で作品を辿って鑑賞してその作品の描く夢をともに見ようという能動性を持った人と、しっかり自分の中で吟味検証されていない価値観をむやみやたらにあてはめてブログのコメント欄を炎上させ、俎上に乗せられた人を晒し者にしようという方向性の間の溝というものと基本的には同じことだ。小林は何とかそういう前向きなものの見方が出来る人を育てようと批評を書きつづけたのだと思うが、残念ながらまだ日本はそうなっていないし、どんなことに対しても発言可能性が広がったためにいちゃもんをつけるという暇つぶしが爆発的に大衆化したという結果を生んでいる。
日本語のネットはバカと暇人のもの、というのはつまり、ネットが基本的には大人のおもちゃになっているということであり、また基本的にはこのおもちゃは大人も子どももシームレスに参加できるという特徴がある。ネットに参加するのに人間的な成熟は必要ないのだ。そういう状況になると日本ではなぜか未熟な方が幅を利かすという現象が普通に起こる。普通の社会人は、ネットばかりに付き合っている暇はない。バカと暇人は四六時中書き込みが出来るという強みがある。荒れた状態になったら普通の神経の人はもうそれ以上その土地に執着する気を失い、どこかへ去っていく。あとはバカの王国である。
まともな人でもそういう状態のネットに書き込もうとするときには、あえてバカを装うことも多いようだ。それは自衛策でもあるが、ますますバカを増長させる原因でもある。そうやっているうちにだんだんバカがカッコいい気がしてきて、転落は加速していく。
いや、話が変な方向に言ってしまったが、つまりは作者、著者の夢をどれだけ辿るか、つまり作者を「能動的にフォローする楽しみ」を持つことが大事なのだと思う。
人間関係には、上下関係であっても支配―被支配、権力者―批判者の関係だけでなく、リーダー―フォロワーの関係がある。支配関係は固定されたものだが、リーダーシップは可変的で、このプロジェクトでは誰がリーダーだが、別のプロジェクトでは違う人がリーダーである、ということは日常的にある。リーダーが能動的であるのはもちろんだが、フォロワーが能動的にリーダーシップをフォローすることによって物事はうまく行く。リーダーはその際権力的でないことが必要だし、フォロワーも無意味に批判的であったり服従的であったりするのは非生産的だ。どうも日本人は結局そういう関係というものに慣れてないんだなと思う。
そういうことが普通に出来る社会というのが、私にとっては望みというか、理想というには当たり前すぎるが、少なくともそういう社会になってほしいという希望はある。その程度の希望でさえも、なかなか叶わせるのは大変かなとは思うけれども。
***
父島耕作 (プラチナコミックス)弘兼 憲史講談社このアイテムの詳細を見る |
『父 島耕作』を読み、ネットで公開されているコンテンツも読んだ。PC・携帯ともにアドレスはhttp://chichishima.jpでアクセスできるのだが、私の感じでは携帯の方が読みやすかった。これは私が携帯でマンガを読むのに慣れているだけかも知れないので、絶対とはいえないが。
で、これらを読みながらいろいろ考えた。この作品に対し、私はあんまりポジティブな意見を今までもっていなかった。それはなぜだろうと考えてみたのだが、一つには作者の意図が透けて見えすぎるということがあると思った。意図を露骨に見せられるとやはり鼻について嫌な感じがするのはまあ理の当然だろう。しかし、今回いろいろな作品を読み直してみて、もし現実にこういう人物がいたら実は爽やかな良いヤツだなとはじめて認識したのだ。つまり、鼻につくのは少なくとも主人公のキャラクターのせいではなく、作者のストーリーテリングに問題があるということなのだと思った。
まず、作者の設定にいろいろどうも不自然さを感じるということ。不自然さというより、「あざとさ」といったほうがいいか。つまり、何かの理念、作者の思想を語るためにあまりに直接的に、あざとい感じがするくらいにそういう状況が設定されていて、それが不自然さとか鼻白む感じを生んでいるということなのだと思ったのだ。現実に、仕事に熱中するあまり妻との間がギクシャクして、離婚に至るサラリーマンはいくらでもいるだろう。しかしなんだか島の設定がどうも将棋の駒のように見えてしまう。理念先行型というか、リアリティがついてこないというか、頭でっかちな感じがするのだ。
「群れない、媚びない」という島耕作のダンディズム、男の美学もなんだか浮いている感じがある。でも実際こういう男がいたら魅力的だろうとは思う。
そうか、そうかなるほど。わかった。作者はこういう男の魅力と言うものを完全には描ききれていないということなのだ。そこが残念な感じがするのだ。
作者はこういう人間像に、共感はするけれどもなんか突き放した客観的な感じで見ていて、このキャラクターを愛しているという感じがない。まあだからこの作品が作品として成立しえているという面もあるだろう。あまり思い入れをしてしまったら数十年間作品を作りつづけること自体が難しいだろう。つまり、あくまで「将棋の駒」だからこの話が続き得たということなのだ。作者は「神」としてこの作品世界に君臨し、自由自在にキャラクターを動かす。キャラクターへの思い入れはやはりあまりないのだと思う。内面的な思い入れは感じるのだが、キャラクターそのものへの共感が感じられない。
それが端的に現れるのは、「女性にもてる」「上司に引き立てられる」という魅力と権力に関わるところだ。普通、女性にもてるにはもてるなりの理由が提示されているか、「もてる人」というキャラクター設定がされている。しかし島の場合は普通だということが強調されているのでもてる理由を見つけにくい。上司に引き立てられる理由も同様だ。だから、「なんだか理由がはっきりしないがもてて、理由がはっきりしないが出世する」、という印象になってしまい、ご都合主義的な、ある種のファンタジーのような感じがしてしまうのだと思った。
島はストレートに社会的に正しいと思われることをする。その社会的な正しさはまあ言えば戦後民主主義的な正義感だ。まあ文句のつけようのない正義感と言っていい。それは、電車の中で疲れきった老人の前に座りつづけている男に席を代わってやってくれと要求する、というような正義感なら別に文句はないのだが、「愛に国境はない」的な正義感になるとどうもひっかかる。『美味しんぼ』の雁屋哲にも同じような臭さを感じることがあるが、やはり団塊的という気がする。
たとえば外国人と恋愛する、ということはもちろん起こりえることだけど、本人でない家族などがそれに違和感を持つことは別に不自然なことではない。しかしどうもそういう「微妙な部分」があえてさらっと流されてしまっているのだ。さらっと流すなら描かなければいいとおもうのだけど、でもそこは描いてしまう。そういうところにリアリティに欠ける部分を感じてしまう。でも逆にいえば、そういうふうに現実にもさらっと流せればいいのにな、と思う願望がそこに反映されているのかもしれない。しかしなんか、私の中にそういうものにこだわってしまう部分があるんだよな。
しかし実際問題として、もし友人が外国人の恋人を紹介したとしたら、その友人の人間を見る目が信用ができると思ったら、気にしないだろうと思う。見る目が信用できない友人なら、まあ大丈夫かなとは思うけれども、よっぽど親しい関係でない限り、批評はしないだろう。結局自分の中にも「こういうときはこういうふうに振舞うべきであり、またこういうふうに振舞いたいものだ」という願望があるのだ。しかしそれは建前であって、本音でそれが割り切れるかどうかは別の問題だと思ってもいる。だから、現実問題としては多少不自然だと思っても建前を優先させるが、逆に物語の中ではそのへんの違和感を作者はどう思っているのだろうかという方が気になるから、そういうところをさらっとされてしまうと肩透かしの印象になるのだろう。
ああそうかそうかわかったわかった。要するに人物の描き方や状況の設定の仕方が類型的だということなんだ。ステロタイプ。設定自体は巧みだから読ませる力はあるのだけど、人物像を掘り下げることにあまり意を用いてないのだ。
魅力とは一体なんだろう。それは結局、言葉で定義することはできないものなんだと思う。いわく言い難いものだ。しかしそのいい難いものを表現するのが作家というものではないか。なんかそういう部分が物足りないんだなという結論だ。
しかし何というか、状況設定の巧みさとか、タイムリーな話題を拾う姿勢とか、薀蓄的な内容をさりげなく混ぜたり、会社員としての覚悟のあり方とかの説教性、即ちある意味でのノウハウ性も混ぜられていて、読みものとしてそんなに重くなく読めて、しかもフィクションであるからオチがついているので下手に後を引かないで済む。時間つぶしのときに適当に情報を拾ったり軽くストーリーを読んだりするのには上手くできた作品なんだと思う。
つまり、あんまりじっくり集中して読むものとして描かれていないということなんだと思うけど、私などは読み飛ばすと意味のわからないところがけっこうあって、結局じっくり読んでしまう。大町久美子に結婚を話題に出されて黙ってしまうところなど、なんか断る理由がないのにと思ってしまうけど、ああそうか、島は独身主義というのがもうポリシーになってるということなんだなと、三度ほど読み返してようやく思い当たったりした。
あんまり没入しても得るものがたくさんあるとはいえないけど、けっこう自分に対して影響力をもってしまう作品というのはあるもので、『島耕作』というのはそういう作品の一つだなあと思う。なんかわからない、というところが残ってしまいがちだからだろう。「わからない」という感じがいつのまにか、「そういうものなんだろうな」に転換されてしまうからだ。理解できたら始末がつくのだが、ちゃんと理解できないと、自動的に受け入れてしまう回路が自分の中のどこかにある。どんなことについてでも、ではないのだけど。
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