『モンキービジネス』柴田元幸新訳「象を撃つ」など

Posted at 09/05/27 Comment(9)»

モンキービジネス 2009 Spring vol.5 対話号
柴田 元幸
ヴィレッジブックス

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昨日。特急の中で『モンキービジネス』を読みつづけたせいか、目がつかれている。村上のインタビューももちろん面白かったし、小川―川上の対談も、思ったよりずっと参考になる。どちらもリラックスした、ぶっちゃけた感じで喋っていて、どちらも『文学界』とか『文藝春秋』とかで喋っているときは、何かとりすましたような、よそ行きの感じになっているけど、この『モンキービジネス』ではリラックスした感じで喋っていて、作家の興味関心とか何を面白いと思っているかとか具体的にどういうふうに書いてるかとか、結構無防備に喋っている感じがして、そこがすごく面白い。

オーウェルの「象を撃つ」は面白かった。あんな話だとは思わなかった。コマバでやったときは本当にちんぷんかんぷんで、全然理解できなかった。今考えてみたら、本当に高度なことをやってたんだなあ。植民地における白人の振る舞い、なんてものについて、18の自分は決定的に理解のために必要なものを欠いていた。まずその書こうとしていること自体が見当がつかなかったし、描こうとしているビルマの民衆の嫌な感じとか、同情しつつ嫌悪してしまう支配者=白人としての上から目線、支配者であり続けるためには「象を撃つ」ような茶番を繰り返していくしかない白人の喜劇性とか、何かすごくいっぱいのものが詰まっている。81年の受験生上がりの自分には絶対理解できない話だった。そういう意味では自分が進歩しているということだけはよくわかった。そりゃ28年たってるしな。でもここ数年だって、数年前に読んでこの小説にここまで感心できたかというと、それは自信がない。なんていうか、小説を読む技量は、ここ数年でかなり上がってきている。小説のどこを読むべきなのか、ということがわかってきている。芝居をやりながら芝居の見方がわかってきたのと同じで、小説をより深く読むためには、自分でも書いてみる必要があった、のだと思う。それだけではないけど。

朝のうち、仕事をいくつか片付け、朝食後は松本に出かける。帰りは松本駅で降ろしてもらい、弁当を買って電車で帰った。『安曇野ちらし』が美味しかった。

"『モンキービジネス』柴田元幸新訳「象を撃つ」など"へのコメント

CommentData » Posted by shakti at 09/05/27

kousさんの推薦がありましたので、この雑誌を注文しました。

そして、そうですか、『象を撃つ』があるのですか。この小説については、多くの人が言及していて、自分でも読んだのかな読まないのか(?)、みたいになっています。オーウェルって、けっこう、面白いですよね。この人が面白いのは、普通の小説家とは全く反対に、小説がドグマ的でエッセイや書評が非ドグマ的だということですよね。不思議です。(原文もダウンロードしたが、結局あまり読んでいない。評論集とパリの貧困体験記だけ)

「描こうとしているビルマの民衆の嫌な感じとか、同情しつつ嫌悪してしまう支配者=白人としての上から目線、支配者であり続けるためには「象を撃つ」ような茶番を繰り返していくしかない白人の喜劇性」

オーウェルのビルマのテーマというのは、いわゆるポストコロニアル文学(論)の周辺にあるわけなんで、僕もいくつかオーウェル論を読んでみたりしました。しかし、ポスコロ=政治的正義主義で断じる視点では、全然見えてこないようなものですね。本来のポストコロニアル文学論、つまり、「境界線」「両義性」といったキーワードを駆使するような発想でないと、オーウェル的境地は扱えないだろうと思います。

ところで、サイードはオーウェルをこき下ろしています。しかし文字通りに受け止めては行けないのであって、おそらくは秘められた共感みたいのがあるのではないかt思います。

CommentData » Posted by shakti at 09/05/28

つづけてちょっと補足。

僕は、ある種のテーマをいだくようになってから、一連の人たちと意見が対立してしまうようになったんですよ。一言で言えば、正義を信じて逆転の構図をたくらんでいる人たちです。

もちろん、正義というのは実現すべきではあるんですが、とりあえず、そういう展望なしに人間はいきていかなくてはならない。それに、僕のテーマでは、逆転は非常に厳しい。

オーウェルの象を撃つなんかは、間違った世の中で生きて行かざるを得ない、帝国主義国家の一官僚というものを、嫌な気持ちをもちながらも否定しきらないところがあって、それが面白いと思います。

CommentData » Posted by kous37 at 09/05/28

>shaktiさん
コメントどうも。

>しかし、ポスコロ=政治的正義主義で断じる視点では、全然見えてこないようなものですね。本来のポストコロニアル文学論、つまり、「境界線」「両義性」といったキーワードを駆使するような発想でないと、オーウェル的境地は扱えないだろうと思います。

いやあその通りだと思います。この小説、ほんっっっとに両義的で、こんなもの18のガキにわかるはずないというものです。ずいぶんこだわってますが。(笑)

オーウェルの小説は確かにドグマ的ですが、それがプロレタリア文学のような「告発」であるかというとそうは思えませんね。社会的・政治的な不正義を描いたものがすべて告発本だと思い込むのは頭の構造が単純すぎる、というかドグマに毒されていると思います。小説で恋愛における女性の裏切りが描かれていたとしても、それは告発じゃないですからね。(笑)社会的・政治的なテーマに限ってそれを告発と見なすのは、飛躍があります。多分そういうもの以外小説を読んだことがない(ないしは面白さを感じたことがない)人かもしれませんが。

世の中というのは常に多かれ少なかれ間違っているわけで、その中で人間が生きるって何だろうと人は考えざるを得ない。そういう人が小説を読んで、何かが見えたり腑に落ちたり安心したりする。でも結局、「答え」が与えられるわけではない。「答え」を与えるものは、文学ではないと思います。

文学は、やはり常に落ち着かない何か、完全にはスタティックな構造をもった回答を与えることはない何かですし、そうであるからこそ存在価値があるのだと思います。ヒースクリフとキャサリンの恋愛の激しさに憧れるのも勝手だし、呆れるのも自由なわけで、共感しても反発しても、つい読んでしまう「面白さ」があるものが文学なんだと思います。

「象を撃つ」は植民地支配の戯画性のようなものを非常に巧みに描き出していて、本当によく出来た佳品だと思います。「動物農場」や「1984」なども結局戯画的な作品ではないかと思います。マンガに翻案されたようなものしか読んでないのではっきりはいえませんが。植民地にいる全白人のために危険も罪もない象を撃ってビルマ人たちを喜ばせる。ここまできたら痛快です。この痛快さを理解できる人がどのくらいいるかは謎ではありますが。

CommentData » Posted by shakti at 09/05/28

>こんなもの18のガキにわかるはずないというものです。

たしかに、そうですよね。しかし、それをわかるように説明しようと努力した人(=オトナ)がどれだけいるのでしょうか。それが問題です。

たとえば中井亜佐子のような東大出身の優秀な英文学者はいろいろと議論するのですが、学者さんなので、決定的な議論に欠ける。なぜそれが面白いのか、読まれるに値する現代の古典なのか等の議論はしない。つまり学者的なお約束事に留まっている。

というか、もっと馬鹿者が世の中にはあふれている。馬鹿の精神年齢は低いです。ムカツキます。あるいは、呆れます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

しかしですね、オーウェルの小説というのは、やっぱり、どうも面白いとは思えません。彼は評論家として、エッセイイストとして偉大なのではないでしょうか。

CommentData » Posted by kous37 at 09/05/29

>shaktiさん

分かるように説明する人がどれだけいるか。いやあ、いないでしょうね。なぜ面白いのか、ということの説明って、オーウェルに限らず、ほとんど誰からもされたことがないと思います。友人と話していたり、ほんのたまに書評で言及があったり、という程度ですね。あたりさわりのないものでない本気で『どこが面白いか』を論じた書評というのはめったに読めないものではあります。そういうもの、もっとあっていいはずですね。

馬鹿者の相手はおつかれ様です、というしかありません。最近は、あまりそういうことをしないで済んでいるので助かっています。時間と神経の無駄遣いです。そのへん私は最近あんまり「誠実」ではないかもしれません。

オーウェルが小説家として優れているかどうか、は評価できるほど読んでないのでわからないです。でも、柴田訳の『象を撃つ』は私はとても面白かったですよ。適切な訳者を獲得したら、全体に小説としても面白い気がします。それこそ村上春樹が訳せばいいですが、彼はそういう仕事はしないでしょうね。(笑)

CommentData » Posted by shakti at 09/05/29

kousさん、

>柴田訳の『象を撃つ』は私はとても面白かったですよ

像をうつは、小説ではなくて普通エッセイとして理解されていると思います。。

ところで、柴田はロード・ジムも翻訳するのですよね。(映画化もされているコンラッドの作品)。南洋(英領マレーとか)世界の白人の物語ですが、考えてみれば、象(ビルマ)プロジェクトの延長上ですよね。(本当はノストローモを訳して欲しいが)。

>馬鹿者の相手はおつかれ様です、というしかありません。

ネットで俺の文章が勝手に引用され批判されていることがあるんですよ!!! むかつく。

CommentData » Posted by kous37 at 09/05/29

そうですか。あれはエッセイですか。私は私小説だと思ってました。(笑)英文学にはそういうのはないのかな。

ネットの文章を勝手に引用されて批判される、ということは私も以前はよくありました。最近はないですね。あったらアクセス解析で大体わかりますので。向うにリンクが貼ってなかったりしたらわかりませんけど、こっちにわからなければ関係ないですしね。

極力そういうものの相手はしたくないものです。

CommentData » Posted by shakti at 09/05/29

>私は私小説だと思ってました。(笑)英文学にはそういうのはないのかな。

パリにおける貧乏体験記なんかも面白いとおもいます。もちろん私小説といってもよいのかもしれませんが、やはり彼にはノンフィクションと書評、およびフィクションとジャンルが分けられるのではないでしょうか。

CommentData » Posted by kous37 at 09/05/30

わかりました。

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