谷川俊太郎と寺山修司:画廊で猫を飼うべきではない

Posted at 09/05/21 Comment(2)»

文藝 2009年 05月号 [雑誌]

河出書房新社

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『文藝』夏号。谷川俊太郎と穂村弘の対談が面白い。寺山修司と谷川俊太郎の違い。穂村弘と谷川の違い。文芸誌に掲載されている対談をこれだけ貪るように読んだのは初めてかもしれない。傍線を引きまくってコメントを書き込みまくった。

谷川は寺山と仲がよくて、生活上でずいぶん付き合いがあったのだそうだ。しかし、谷川は「ぼくは寺山の作品にはほとんど興味がないんですよ(笑)。」と言い放っていてずっこけた。穂村は寺山をとても評価していて、寺山を「現実への敬虔さを欠いていた人」だという。これは非常によく分る。的確な分析だ。というか、気づいていなかったことを気づかせてもらった。「寺山というのは歴史とか、「私」とか、一般的に確かに存在すると思われているものを信じない。歴史は言葉で何度も書きかえられるし、「私」という存在も言葉によっていくつも自由に作り出されるはずだということを最後まで主張していた。」と穂村は言う。

そうした寺山の言葉を、私は読んだことはないのだが、寺山の作品について考えてみるととてもよく分る。私は演劇をやっていたので、寺山の芝居、つまり『天井桟敷』の芝居は唐十郎の状況劇場・唐組の芝居と並んでよく見ていた。私が見たのはもう80年代に入ってからだが、寺山と唐は70年代アングラの二大巨頭として私たちのような駆け出しの演劇人にとって大きな存在感を持っていた。寺山は映画もやっていたから、『田園に死す』とか『さらば箱舟』とか何本も見た。短歌も、というよりも歌人である穂村にとってはこと短歌が重要だろうけれども、『寺山修司歌集』などを読んでもいたし、散文もいくつも読んでいた。

一言で言えば、寺山の作品はすべて、「現実を陵辱する」ことを目指しているのだ。現実という、確かに存在すると誰もが信じきっているものを辱めることで、ショックを持って現実を相対化させる。寺山が露出狂的なふるまいをした事件とか、ここには書けないが劇団員に課した過酷なイニシエーションとか、『田園に死す』のラストシーンで恐山がイコール新宿東口であるというラストとか、まあこの映画の中には実際の陵辱シーンも出てくるが、すべて現実を辱めることが目的だ。さらに言えば、力石徹の葬式を出したりしたこともその一環だろう。

それは短歌でも同じことだ。彼の作品で人口に膾炙したものはいくつもあるが、たとえば

マッチ擦るつかの間海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや

というのがある。この歌は、初めて読んだときは強い衝撃を受けた。それは多分、私だけではないだろう。霧の深い夜の海、マッチの明かりの中に一瞬垣間見える海を見て、身を投げることを連想し、そしてその連想を命を投げ出すに値する「祖国」というものは果たして存在するのか、という本質的な問いかけに結び付けていく。「祖国」というものについて考えたことのある人にとっては、必ず答えずばならない強い問いかけを感じさせられる。

この歌が力を持ちえたのは、もちろん60年代という時代にあって、学生たちが自分たちのアイデンティティをどこに求めるのか、ということがあったはずだ。まだ戦争の記憶は生々しい。祖国のために死んで行った多くの若者たちの存在は、学生たちの頭にあっただろう。その死が果たして意味のあるものだったのか。そして私たち自身にとって命をかけるべきものは祖国なのだろうか。そうした問いかけが、この歌の中には感じられて、この歌を何度も心の中で繰り返さざるを得ない。そういう思いにさせられた人は少なくないはずだ。

私が読んだのはもう80年代の「軽薄短小の時代」ではあったが、ものを考える人間にとって戦争の記憶と祖国の価値というものは考えないではいられないテーマであった。

しかし、今考えてみると、これは寺山らしいたくらみに満ちた作品である。この歌は「祖国」の価値を転倒させ、陵辱することを目指している。そこが左翼人士の琴線に触れ、また素朴に祖国を信じる人々にもこの作品の持つ物語性、構築性のゆえにある種の脅威を与えた。私のようなニュートラルなノンポリを洗脳するには十分な威力を持っている。

しかしたとえば多分これは寺山にとっては祖国でなくてもよいのだ。「身捨つるほどの愛はありや」でもいいのだし、「身捨つるほどの大義はありや」とか「身捨つるほどの正義はありや」だってよいのだ。しかしもちろん「祖国」がいちばん破壊力があるのは言うまでもない。なぜならば「祖国」というものの価値がその当時はいちばんぐらついていたからだ。「身捨つるほどの正義はありや」ではあまりにインモラルであるが、「祖国」であれば「非国民」という言葉がまだ忘れられていない当時、十分に反逆的でありなおかつ共感を得、反発を感じる人にも脅威を与えうる効果がある。それだけの破壊力を持ったことに、寺山は手ごたえを感じたに違いない。ハプニング演劇などは正直言ってすべっているところが多かったし、力石徹の葬式も冗談のつもりだっただろうにみんな本気になってしまって返って寺山自身が戸惑ったのではないかという気がする。そういう意味で言えば寺山の本領はやはり短歌だったのかもしれない。

穂村はそういう寺山の行き方に、「そうだ、言葉で世界は覆せるんだ」という心強さを感じるのだという。それが谷川の詩を読むと「これだけ言葉を使える人が現実の世界に対して常に敬虔だ」ということに苦しさを感じるのだという。

これには正直言って驚いた。というか、私は文学というものをそういう観点からとらえたことは実はあまりない、というかそういうことがテーマになっていてもなんとなくスルーしてしまう頭がスカスカのノンポリシーだったんだなと思うけれども、「文学が、あるいは演劇が、何でもいいが芸術が果たして世界を変え得るか」という問題をあまり深く考えないままどちらの考えに対しても肯定的であった。つまり単なるミーハーである。

「芝居は世界を変え得ない」ということをさるプロデューサーに言われたとき、「そうかな」と思ったけれども、「言葉で世界を覆せる」といわれると「そうかな」と思う。自分にとって、そこにいい芝居があって、いい詩があって、いい作家がいればそれで満足なのであって、それを生み出す原理的な葛藤について何も考えてなかったんだなとしみじみと思った。

しかしまあ、どちらの立場にたつかと改めて考えてみると、「文学が世界を変える可能性がある」と考える方が楽しいことは確かだが、「現実は言葉なんかでは覆せないような重みと厚みを持っている」という考えの方が説得力があるような気はする。まあ覆ったり覆らなかったりでいいんじゃないの、というすぐ妥協的に折り合いをつけるところに私としては走ってしまうが、谷川はそんなことはしない。

画廊で猫を飼うべきではないと主人は言う
画をひっかかれるからではなく
客が画よりも猫を見てしまうからだ
        (「画廊にて」)

これを読んで私は「ぎゃはは!」と笑ってしまった。身も蓋もない。穂村の表現によれば「人間が描いた絵よりも神がつくった猫のほうが、常に奥深くて強度があるという、この世界観」をあけすけに語る。寺山とは反対のことを言っているが、この破壊力は寺山に負けず劣らずである。さすが谷川である。

寺山の考えを突き詰めていくと、現実は言葉で陵辱されなければならず、現実は言葉で陵辱されるために存在する、ということになっていく。現実が言葉のために存在する、という転倒を、穂村は「現実への敬虔さを欠いていた」と表現しているのだろう。こうなってくるとさすがに違うだろうと思う。言葉のために現実があるのか、現実のために言葉があるのかといえば、それは圧倒的に現実のためだろう。それを言ってしまったら、現実のために政治があるのでなく、政治のために現実があるという考えも、現実のために科学があるのでなく科学のために現実があるという考えもも、現実のために物語があるのでなく物語りのために現実があるという考えもすべて肯定されてしまう。

実際、そうした政治屋や、マッドサイエンティストや、妄想狂が現実に満ち溢れているのが現代という時代だ。彼らはみな現実に復讐し、現実を陵辱するどす黒い欲望を抱えているところが共通している。寺山はそういうものに比べれば格段に純粋で、だからこそ人を感性から動かすような作品を作れたのだが、政治屋の政治のための政治に人びとはうんざりし、科学者の科学のための科学に、たとえば遺伝子操作などのことについて言っているのだが、人びとは脅威を感じ、「アーリア人の優越」といった物語を現実に実行しようという人々が世界を破滅の淵に追いやってきた。それは共産主義という物語もそうだし、本当のことを言えば自由と民主主義とか資本主義という物語もそうなのだが、現実世界の中で最も優越した、最も卓越した物語はほとんど「現実」と同化してしまう(しているように感じさせられる)ので、あまりそうは思わないだけだ。

本当は、物語のために現実があるのでなく、人間が生きるために生きる舞台として現実があるのだ。その舞台に生きること以外のものを優越させて持ち込むのは、ただ生きることに自信がない、生きることに不安があるからなんだろう。生きることに自信があったら現実のそれら、たとえば芸術に対する優越をあっけらかんと宣言することができるわけで、谷川というのはそういう詩人なのだ。

谷川は、藤原定という詩人が「詩に書かれた薔薇の花は実際の薔薇よりも美しい」と言ったときに猛反発したのだという。どんな素晴らしいリルケの薔薇の詩よりも本物の薔薇の方がすばらしいと。これもちょっとたまげるが、人間の作ったものよりも自然のほうが優れているというのは谷川にとってはいわば信念なのだ。

ここから話題は、詩の可能性、「神が初めて見るような詩の一節が自分の手に乗る瞬間が訪れるんじゃないか」という願望についての話題になる。谷川は「言葉を信用していない」と断言し、言葉とは戯れていればいい、と断言する。ついには、「自分の言葉が自分の死後も残り、人々に口ずさまれる」ことも全く夢見ない、全部流れ去って行くものでいいと断言して、これもまたたまげた。

吉本隆明に「世界を凍りつかせる一行」という言葉があって、昔は「お!」と思ったけれども、今は全く思わないのだという。人間が生まれて、言語が生まれるまで、世界は全く無意味だったのだから、最初から世界はナンセンスなのだ、という。これもまあここまできたら言語のアナーキストと言っていい。呉智英が、なぜ吉本隆明は左翼の名だたる理論家たちと議論して連戦連勝だったのかということを分析して、それは吉本がマルクス主義を信じていなかったからだ、と喝破していたが、谷川俊太郎がなぜ詩の世界で一人勝ちをしているのかというのもこれと結局同じなのかもしれないと思った。つまり、谷川はただひとり、詩を信じていないから勝ち組なのだ。

物理学的にいえばこの世は波動というエネルギーか粒子という物質かでできている、経済学的にいえば流動的なフローと非流動的なストックでできているわけだけど、現代は波動性が、つまり流動性が高まっていると思っていると谷川は言う。だから言葉とは戯れていればいいのであって、常に流れつづけているしかない。だから「この世界を言語化することは無意味だ、というのは僕にとって絶望に繋がっていない」のだという。

これはある種の覚悟から生まれた発言だろう。まあ言えば伝統とか歴史とか今までストックとして存在したものはもうすべて流動化していって、何も残らなくなるしそれでいいんだときわめて極端な思想に繋がっていく。これはポストモダンと言っていいのか。脱構築と言っていいんだろうな。まあ歴史も伝統も現実に生きている人間の生を没却させるものであってはよくないとは思うが、そこには人間が類として、肉体を持ったものとして存在するための秘密のようなものが隠されているのではないかという思いが私にはあって、ストックの価値がなくなるということはあり得ないと思う。これはデカルトと議論になったイタリアの哲学者ヴィーコの、「自然界には真実があるが、人間の世界には真実らしいものしかない。だから真実らしいもの=伝統をみだりに廃止したり改変するべきでない。」という主張を私が肯定するからである。人間にはわからないことがある。人間に関しても。一見意味のないことでも、実は深い意味があって、それを変えると取り返しがつかなくなるようなことが、人間の世界にはあるのだと思う。

しかしまあ、世界は流動化する方向に動いているのは事実で、だからこそ守るべきものにより価値があるのだけど、谷川のようにアナーキーなまでに自分が歴史というストックに加わることに無関心であるのは相当なことだと思う。

谷川は、粒子と波動という二元論において、人間が死んでも粒子としての肉体は滅びるが、波動としての魂は不滅なのだ、というふうに考えているようだ。だから自分の書いた言葉がストックとして生き残ることに執着がない、という言い方をしている。彼にとって詩を書くことは本当に生きるための仕事、つまり職業なのであって、生きることをやめたらもうその言葉がどうなってもかまわない、ということのようだ。これはこれで確かに一つの極北の考えだ。だから詩に関しての活動は自分の思想や主張のためのものではなく、むしろ職業倫理に基づく活動だということになるんだろうな。

つまりは、寺山はロマンのために生きた人で、谷川は生きるためにロマンを書いた人、ということになるんだろう。私にとって、寺山のほうが多分わかりやすいが、でも多分タイプとしては、谷川の方により近いんだろうなという気がする。努力と才能の問題は別にして。頑張んなきゃ。

***

昨日。愉気の会に出るために松本へ。お話も面白く、実習もじっくり取り組めた。目の疲れを取る愉気をやったが、本当に私のためのような実習だった。この現代、目が疲れている人がいかに多いか。

12時15分頃に出て、30分頃おきな堂の隣の駐車場に入る。ランチを注文。二階の奥の部屋は隔離されている感があるが、女鳥羽川を見下ろせて気持ちがいい。スポーツ新聞で二岡の活躍を読む。まあ二岡は記事になるよな、巨人にリベンジだし。美味しくいただいて一時過ぎに出、パルコの地下の書店で三省堂で見た村上春樹のインタビューが出ている雑誌を探すが見つからず。やはりそういうものは東京で探さないとだめのようだ。30分に出て松風庵へ。とても暑かったので、窓を外して開け放たれているのが気持ちがいい。庭の景色も涼やかだ。草団子を焙じ茶でいただく。これもいい。45分頃でて一路地元へ帰るが、帰りに岡谷のヤマダ電機に寄ったせいか、到着が3時過ぎになった。仕事は夜までずっと基本的には忙しかった。

今朝は6時前に起き、モーニングページを書いてからモーニングを買いに出かけ、帰ってきて少し読んで父に愉気、朝食。朝食後、駐車場の草刈りなど。モーニングを読んで車で出かけ、綿半で靴磨き用品をいくつか買い、蔦屋で『ひまわりっ』の4巻と5巻を買った。

"谷川俊太郎と寺山修司:画廊で猫を飼うべきではない"へのコメント

CommentData » Posted by y at 09/05/21

>『田園に死す』のラストシーンで恐山がイコール新宿東口であるというラスト
青森出身で青年時代に無理に上京した私、父も同じような経路を辿ったことも併せ過剰に自己投影してショックと涙が止まりませんでした。

CommentData » Posted by kous37 at 09/05/21

故郷を捨てても、故郷はついてくる。それは救いなのか呪いなのか。そんなことを考えさせられますね。

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