『読む技法・書く技法』

Posted at 09/04/29 Comment(2)»

昨日。いつもより早めの特急に乗ろうと9時半過ぎに家を出る。団地のパン屋で昼食を買い、丸の内の丸善に寄って『コミックゼロサム』の6月号を買う。東京の家で余っている洗濯洗剤を6箱持っていた(最近私は液体洗剤しか使わないので)ので、荷物がまた増える。ゼロサムはなにしろ分厚いのだ。

Comic ZERO-SUM (コミック ゼロサム) 2009年 06月号 [雑誌]

一迅社

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いつものようにあずさ回数券で指定を取ろうとしたら使えない。はっと気がついたら、実はゴールデンウィークなのだ。盆と正月とGWは割引切符は使えないのだ。毎週往復している私などには全然関係のない話なんだけど。仕方ないので通常の指定を取る。自由席にするのは少々怖かったので。でも土曜の帰りは自由席にしてみようか。

11時発の特急に乗る。車内ではゼロサムの『ランドリオール』他を読んだあと、本棚整理の中で発掘した島内景二『読む技法・書く技法』(講談社現代新書、1995)を読む。この本は面白い。最初読んだときも面白いと思ったが、あまり参考にはしてなかったなあと思う。発行年を見ると、これを読んだのは大学院に通っている頃で、修士論文を書く参考になればと思って読んだのだと思うが、やはり人文学と歴史学とでは微妙に違うし、また論文を書くのと短めの物を書くのとでは意味が違うので、あまり参考にならなかった。

読む技法・書く技法 (講談社現代新書)
島内 景二
講談社

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今改めてこれを読んでみると、「読む技法」は、一つの読み方として面白いと思う。非常に実践的な読み方だと思うが、ただ自分の読み方とはかなり違うのでどうなんだろうと思うところもある。しかし、何か(評論的なもの)を書くために読む、という目的意識で読むためにはたいへん有効な読み方であることは確かだ。

キーセンテンスやそれをつづめたキーワードが、つまり「何がどうだって書いてあるわけ?」というのを読み取るのは重要なことだ。その中で、自分にとって必要なものを拾う、という読み方を私はしているけれども、「作者の言いたいことを拾う」というのも「相手の話を聞く」という点では大事なことだ。そういえば、わたしは話を聞いているときは「この人は何を言いたいんだろう?」ということに集中して聞いているけれども、本を読んでいるときは自分の読みたいことだけを探して読んでいるなあと思う。本を読むときに、相手の言いたいことにまで付き合う義理はないよな、と感じて読んでいることが多いということなんだろう。よっぽど内容に感心したときしか、あるいは書き手に感想を書かなければならないときを別にすれば、作者の言いたいことをきちんと読み取ろうという気にはならない。

しかしある専門分野で読みかつ書いていくためには、相手の言いたいことは言いたいこととして受け取らなければならない。また読書を自分の人生に生かしていくためには、本当に心に残ったことを書きとめていく工夫がいるだろう。それは「書く技法」の中の読書メモの取り方、読書ノートの作り方というのが参考になる。読書メモは多くの人が(というか少なくとも私は)小規模にはやっている、と思う。ただ私の場合は気まぐれにいろいろなものに書いているのでまとまりがついていないのが問題だなとは思う。

ここで提案されている読書ノートは、特定の本についてのノートではない。先にテーマ、あるいは項目を設定し、それに関連すると思ったものを読書メモから拾って記入していく。だから各項目にノート1ページを当て、多いページにはたくさんの関連事項が記入され、少ないページにはほとんどない、ということになる。筆者は源氏物語が専門なので項目名は「紫の上」とか「須磨流離」という物が多く、文化人類学の本を読んでもこれは紫の上と類似している「山で見初められて英雄と結婚する女性」とか「夫に愛されながら子供に恵まれない女性」とかについて読んだときにそれを記入していったりするわけだ。そうしておけば、紫の上について書く必要が起こったときに、読者にとって思いがけない文献から引用することが出来、視野の広い議論が可能になるというわけだ。

そういえばこれは呉智英も『読書家の新技術』で提案していた覚えがある。それを読んだときに自分でもやってみたのだが、長続きしなかった。博覧強記で文献を渉猟して書くタイプの人にはこういうのがいいんだなと思うし、確かに読む時点から既に「何かを書く」ということを前提に読んでいるからそういうノートが作れるんだなと思う。ということは逆に言えば、本を選択する段階から何かを書くぞ、という目的意識をもって読んでいるということだ。

社会科学系だとこういうのを普通はカードでやる。今ではエクセルとかその手のソフトを使うことも多いかもしれないが。自分が論文を書いたときは基本的にはカードでやっていた。今考えると全然使いこなせてなかったけど。

つまり、「知的生産」というものをしようと志したら「読書」というのが重要な情報源になるわけで、それをいかに構造的に構築していくかという、一つのやり方ということになる。アウトプットを前提としたインプット。それに道をつけるためには一つの有力な入門書であると思った。なんか読み直してみると私の文章が上手くまとめられてないが、この本はいい本だと思う。

1時半に職場について銀行関係の書類を作成し提出。3時に間に合った。支度して職場に戻り、10時まで仕事。帰って来て食事をしながら『プロフェッショナル』で文化財運搬のプロを見る。対象は日本仏像界最大のアイドル興福寺阿修羅立像。乾漆像で腕は木というこの像を特別な運搬方法を開発しつつ実行する。とても面白かった。

疲れて早く寝た。朝起きて6時頃。歩いてファミマに出かけて『コミック乱』を買う。『風雲児たち』の戊午の密勅のくだりが面白かった。こういう描写はこの作者は本当に得意だな。岩倉具視や西郷隆盛のキャラクターがとてもよく描けていると思う。先月号は立ち読みしただけだったが、きちんと読めばよかったと思う。早く単行本が出ないかな。

今日は朝食後、秋に庭木を切ったものを畑に積んであったのを野焼きする作業。午前中で終わるかと思ったら、午後になってもまだ残っている。また日を改めて燃やさないとダメだな。木金は裏山で他の作業が入るから今度は土曜日の午前中か。いやそれにしても肉体労働は疲れる。つんであるのにそのまま火をつけても燃えにくいしいったん燃え上がったら手に負えないくらい火が大きくなる可能性がある。でも7割方は燃やせたと思うので、今度で何とかなるだろう。

"『読む技法・書く技法』"へのコメント

CommentData » Posted by shakti at 09/04/30

>燃やす。

今日テレビでやっていました。伊賀とコウガを燃やし尽くした織田信長の話を。NHKです。いまでも織田はケシカラン、と里の人。

同時に僕は、筒井康隆と笙野頼子の小説を思い出しました。しかし、小さな村で歴史的記憶(血の記憶)があることは、ある意味では幸いです。歴史的記憶がない地域に住んでいると、羨ましくも思います。

CommentData » Posted by kous37 at 09/04/30

先日伊賀に行ったとき、郷土史の本などを読んでいて、天正伊賀の乱は伊賀史の一つのハイライトだということが分りました。その時代から代々住み続けている人がどれくらいいるのかはよく分りませんが、いないことはないだろうな、という感じはします。江戸時代は伊賀は津の藤堂家の支配下だったので、藤堂高虎の前の領地であった伊予から移って来た人たちが上級武士などには多いようです。

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