ピーチパイの天神様

Posted at 09/04/14

昨日。ありもので昼食を済ませた後、午後銀座に出かける。教文館で本を物色。食指の動くものはなし。どこかでコーヒーとケーキを食したいと思い、教文館カフェに行こうと思ったがドライケーキしかなかったはず、と思いやめる。木村屋を見上げてみたりしながら四丁目の交差点を渡り、西五番街をぶらぶら。カフェ・ド・ルトンに久しぶりに行って見ようかと思ったがクレープとワッフルしかないしなあと思う。

しばらく行ってカフェ・フォンテーヌを見つける。ここに入ったことがあったかどうか、記憶がない。地下に下りていって扉を開けると思ったより狭い。多分初めてだ。席に座ってコーヒーとピーチパイを注文する。隣の客が飲食店関係の人らしく、有名人が来店した話などをしていた。時々こういう話を聞くのも面白いなあと思う。コーヒーは薫り高く、久々に外の店でコーヒーを飲む意義を思い出した。味で言えば家で淹れても満足するのだけど、どうしても薫りだけは敵わない。ピーチパイはすごく熱くてはふはふ言いながら食べた。丸ごとの桃をパイにしていて、桃の種の天神様が食べられるようになっていて(わざとかどうかはわからないが)初めて食べたがなんだか結構美味しかった。熱くて柔らかくてちょっときれいに食べるのが難しかったが、美味しかった。

しばらく銀座をこんな気持ちで歩いたことはなかったなと思う。初夏の風。交詢社ビルの角を曲がり、中央通りに出て銀座コアの6階のブックファーストへ。アズタイムゴーズバイのようなピアノ曲が気持ちいい。映画のコーナーを少し見て、また『ユダヤ人大富豪の教え』を立ち読みする。この本、いろいろためになることが書いてあるなと思うが、買ってしまうとそれで安心して中身を読まなくなりそうな気がする。というような理由でなんとなく買いにくい。

エスカレーターを上りながら考えたのだけど、私は自分の感性を、あるいは潜在意識を、本当には信用してないんだなと思う。たとえば何かが欲しい、と思っても理性、あるいは意識がそれをチェックして、最終的なご託宣を下す。感性の部分は無視されがちだ。そして意識はそれに理屈をつけて正当化する。感性は自信を失う。しかし意識は、自分自身で何が欲しいかを知っているわけではないから、いつも不安だ。こうして意識も潜在意識も不安で自分が何者かわからなくなる。というような悪循環があるんだなと思った。

結局何も買わずに外にでて、晴海通りを東に歩く。先日おっと思った花屋で派手な花束がやはり500円で売られている。あとで買おうと思い、東銀座の交差点へ。歌舞伎座には「さようなら歌舞伎座」という垂れ幕がかかっている。歌舞伎座が建て直され、ビルになってしまうのは、石原都知事がオリンピックのメインストリートである晴海通りから古臭い歌舞伎座の建物を取り払いたいという意向だからと某所で聞いたが、全く暴挙だ。岩手銀河プラザでおはぎと焼きプリンと夕食のおかずを買う。夕食は少なめに、そして食べたいものを食べようと思う。意識が評価を下さず、感性になるべく任せようと思う。

花を買うのもどうしようかと思っていたが、花を買って生けるのを想像したら自分の中でわくわく感が沸きあがるのが感じられ、やはりそれは感性に任せようと思った。名前がわからないがなんだか派手な花束を手に店の奥に行ったらミヤマツツジとか山吹とかこりゃいいな、と思うような枝ものがいくつかあったのだけど、今日はこの華やかなものにした。ほくほくして電車に乗って帰った。もう6時だったので混雑が心配だったが、それほどでもなかった。

夜花を生ける。安くされているだけあって、花の首が力がなくなっているものがいくつかある。水には一定時間漬けてはおいたのだが、こういう花束は花の首のところをサポートして漬けておかないといけないなと今思った。新聞紙で包んで深水に漬ける、というのを忠実にやる必要があったかなと思う。

書くということが自分の人生において補助線として重要なことはだいぶわかってきたが、むしろ意識よりも潜在意識を働かせて書くことがポイントなんではないかと思う。そのためにはどうしたらいいかということはよくわからないが、とにかく書き始めてみた。就寝は二時ごろ。活元運動は比較的よく出てきたので書いて疲れたら活元運動をし、また書くということを繰り返す。もう疲れが取れないなと思ったので寝た。

起床は5時40分。ゴミを捨てたりしながらモーニングページを書く。自分がものを処分できないのはなぜか、ということを考えながら、自分は案外お金や物に対して執着があるんだなということを自覚する。それも過去に金を使った記憶が実に鮮明にあるということに気がついた。額が大きいときは特にそうだ。金を払うということは自分にとって結果としてかなり切実な記憶として残る。いわゆる身銭を切るという感覚。でもあまりこだありすぎるのも、流れが悪くなるなあと思う。やはり感謝の意を込めて、処分すべきものは処分すべきだなと思う。それがなかなか難しいのだけど。無理にやるのも余計によくないし。

しかし本棚を見ていても、最近の買った本には生き生きとした流れを感じるが10年以上前に使っていた本などはもうあまり息吹を感じない。そういうことってやっぱりあるよなあと思うけれども、見ているといろいろなことが浮かんでくる。

まあ捨てにくいものはともかく、捨てたほうがいいのに捨ててないものも実は結構あるから、そのあたりから処分して流れをよくして行けばいいんだな。

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by Luke Peterson

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