床を敷け!

Posted at 09/03/04

昨日。朝起きてから3時間弱、「学問と私の関わり」について考え、考えては書き、書いては考えてA4に四枚ほど書いた。それをWORDで印刷しようとしたらプリンタが動かない。インターネットエクスプローラーの画面を印刷したらできるし、別のプリンタにつなげてワードの同じ文書を印刷してもできた。なぜかワードで常用のページプリンタで印刷するときだけうまくできない。とりあえずカラリオで印刷して済ませたが、どういうものか。

ブログを書いてアップしたら出かけるぎりぎりの時間になった。『ユリイカ』『能・狂言の基礎知識』『叱り方褒め方』『努力論』の4冊を持って出かける。

特急の中ではずっと朝書いていた「学問と私の関わり」の続きを考え、考えては携帯メールを書いて自分のパソコンに送った。全部で14通送ったからだいぶ考えたことになる。そういうことをやっていたら2時間もあっという間で、本もほとんど読まないまま郷里についた。

信州は雪。到着したときはたいしたことはなかったが、午後から夜にかけてだいぶ降って来て、夜はかなり積もった。しかし気温が高い(多分零度以下に下がらなかった)ので、朝には路面の雪はだいぶ融けていた。

10時ころまで仕事、帰ってきて夕食。テレビで小沢代表公設第一秘書逮捕のニュースを見る。入浴、就寝。

朝起きてモーニングページを書き、職場に出かけて少し用事をする。帰って来て雪かきを軽くする。

寝床の中で『へうげもの』のことをなんとなく考えていて、突然気がついた。昨日行った目白の「へうげ十作」展、展覧会名を「ト☆コヲシケ」と銘打っているが、これがどういう意味なのかわからず首をひねっていた。これは「床を敷け!」なのだ。『へうげもの』8巻の中の徳川家康のセリフである。これは8巻の、いや今までの全編を通じて徳川家康の最も衝撃(笑撃)的なセリフであった。「ト☆コヲシケ」と書かれてしまうと何だか暗号なのか深遠な意味があるのかとかなり考え込んでしまったが、まさかこんな単純なことだったとは。作者に一本取られたとニヤニヤした。

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能・狂言の基礎知識 (角川選書)
石井 倫子
角川学芸出版

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『能・狂言の基礎知識』。大鼓の革は乾燥させて強く張るので消耗が激しく、10回くらいしかつかえない、という話は驚いた。今まで囃し方のことについてきちんと読んだことがなかったので、このあたりの話はいろいろ面白い。

演技論。「カマエ」「ハコビ」「シオリ」など、読んでいるだけでわくわくしてくる。能の所作の面白さは、自分が芝居をしていたときの体の状態を思い出させる。

「ハコビによってもたらされる時間の連続性が、現在の時間の中に過去の出来事が甦るという複式夢幻能の劇構造の特性を引き出しているのです。」

確かに、舞台上で時間を表現するときに「歩き」を使うというのはとても有効な手段だ。能のハコビにはそういう過去と現在の架け橋となるような特殊な時間を流れさせる力がある、ということなんだろう。

シオリは、ある演出家がそれをやって見せてくれたことがある。ただ腕を動かしただけなのに明らかに悲しみを表現している、そういうことをまざまざと見てぶったまげたことが、その後長期にわたって演劇という身体表現の虜になったきっかけの一つだった。確かに上手下手はあるだろうなと思う。

読了。能の世界がかなり見えてきた。今までの自分の知っていることとかなり地続きな部分もあり、機会を見て楽しみたいと思う。

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小さな努力で大きく報われる法―幸田露伴の人生哲学名著「努力論」
幸田 露伴
三笠書房

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『努力論』。気が散りやすい人の心は、鏡面に墨で落書きをしてあるようなもの。年をとればとるほどその落書きが増えて、心が鏡として写し出さなくなる、という話。よく心が曇っているという言い方をするが、この喩えは実感としてすごくよくわかる。曇った鏡に自分の心を映し出そうとしてもどうなっているのかよくわからず、自分が見えて来ない。自分のやりたいこと、やるべきことがわからなくなっているというのがまさにそういう状態なんだと思う。心の鏡の落書きを消すこと。先入観で判断しようとしていたら、それは先入観ではないか、と問い直す心の働きが、そうした落書きを一つ一つ消していく作業なんだと思った。

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