雨水/謡を読むこと/加藤唐九郎を読み返す

Posted at 09/02/18

今朝は冷え込んでいる。8時でマイナス6.1度。朝は10度くらいまで下がっただろうか。寝床の中でも今朝は寒くてトイレに起きるのも億劫だった。しかしストーブをつけ、ホットカーペットの電源を入れたらすぐ暖かくなったので、もう真冬ではない。6時40分にはもう外はすっかり明るくなっているし、信州にも春は確実にやってきている。今日は雨水。二十四節気の一つ、立春の次の雨水は、旧暦ではこの節気が入っている月が正月とされた目安になる節気である。『古今集』の冒頭の一首に「年の内に春は来にけり一年を去年とやいはむ今年とやいはむ」というのがあるがこれは立春は12月になる場合と正月になる場合があることを表わしているわけだ。今年の雨水は旧暦1月24日。今日は本当に、本来「初春」というのはこういう陽気だったのだろうなという感じの日和だ。まだまだ寒いけれども、光の春だ。

能・狂言の基礎知識 (角川選書)
石井 倫子
角川学芸出版

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昨日帰郷。旅の友の本は石井倫子『能・狂言の基礎知識』(角川選書、2009)、矢部良明『古田織部』(角川叢書、1999)、庄野潤三『山田さんの鈴虫』(文春文庫、2007)、それに檜書店『対訳でたのしむ』シリーズの『融』『安宅』『葵上』『敦盛』の4冊の謡曲。

融 (対訳でたのしむ)
世阿弥,三宅 晶子
桧書店

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『融』読了。月の世界に行ってしまった源融が河原院にふらっと舞い戻り、その澄んだ楽しみの世界をこの世の住人に垣間見させてまた帰っていく、という設定が面白い。それに月と関係の深い潮の満ち干きを絡ませ、月の動きとともに物語が進み終わっていくという設定は、以前文芸座ルピリエで宮城聡が『純愛伝』を演じた際、芝居の始まりとともに炊飯器のスイッチを入れ、ラストシーンで炊き上がったご飯をよそって観客に湯気の立ったご飯を見せる、という演出を思い出させた。ハレの時間もケの時間も、同じように過ぎ去っていく。芝居を演じている特殊な時間の中でも日常のようにご飯は炊ける。お能の引き伸ばされ長大化した時間の中でも月は昇り沈んでいく。あの時間とこの時間が同じ時間であることを、人はなかなか納得できない。しかしそのふしぎを載せて、時間は確実に流れて行く。その彼方に垣間見える月の世界。

『能・狂言の基礎知識』現在112/285ページ。現在「能の現行曲七十五選」を読んでいるのだが、こんなにバラエティに富んでいるのかと驚くばかりで、まったく不明を恥じる。謡に親しんでいた江戸や明治の教養人の教養の源泉というのは、かなりの部分が謡なのではないかと思った。現代の我々がまずマンガやゲームから日本の歴史や古典に興味を持つケースが多いように、昔の人はこうした謡や舞台に親しんでそれから古典の世界に入って行ったのではないかと思う。大衆性の高い歌舞伎や黄表紙本や、講談や浪曲と同じように、教養人にとっての文芸の世界への入り口は謡だったのではないかなあ。そういう研究はないのだろうか。

立ち読みした本で、福原麟太郎ら英文学者が謡を「読む」ことに反対し、幸田露伴などは逆に読むことを推奨しているという記述を読んだが、その本では「シェークスピアを「読む」ことに抵抗はなかったのだろうか」と皮肉っていて可笑しかった。私も正直言って、謡というのは聞くもの、あるいはせいぜい謡うものであって、読むものであるという認識はほとんどなかった。しかし対訳できちんと読んでみるとその中身もよくわかるし、何よりそのドラマツルギーが場合によっては予備知識ゼロで舞台を観るときよりもずっと理解できると思った。

この当たりは、私が芝居の経験があるせいもあるだろう。私も当初、戯曲というものはもともと演じるためのもので読むものではないと思っていた。しかし実際自分が役者として戯曲を読み込み、演技を工夫してみることによって戯曲そのものの良し悪しがわかるようになってくると戯曲を読むことにも興味が出てきた。最初はその戯曲をどのように芝居にするか、演出するかということを考えながら読んでいたが、だんだん戯曲の文学性のようなものも重視するようになっていく。

怪盗乱魔
野田 秀樹
新潮社

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最初に面白いと思ったのは紀伊国屋ホールで見た野田秀樹『怪盗乱魔』だっただろう。上演の際戯曲も買って、あとで何度も読み返した。「靖国通りをふらふらと/思い通りに参ります」というようなセリフを書いてみたいものだと思ったものだ。言葉の絢爛さ、思いがけないドラマの展開。場面転換で息を飲むような華麗な世界が現れたり、凄絶な詩の世界が現れたり。読むだけでそういうものが想像出来るようになっていったということはかなり大きなことだと思う。

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社

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その後三島由紀夫『サド侯爵夫人』を読んでから玉三郎主演で見たり、読むものとしての戯曲の魅力にはかなり目覚めては行ったのだが(何しろ小説は読む気はしなくても戯曲なら結構読んだ)、謡曲は読もうと思わなかった。中学か高校で教科書で読んだときの(狂言は「柿山伏」だった。能はなんだったかすら覚えていない)ちんぷんかんぷんな印象が強く残っていたためだろう。なんだかまとまりのないもの、唐突な展開をするものという印象しかなかった。結局、ドラマ性というものを理解していないと、戯曲に類するものは読んでもわけがわからないのだ。

『忠度』を読んだときに初めて謡いのドラマ性を理解した。そして一つ解ってしまうと、すべてその伝で理解できるのだということも同時に理解できた。よって、謡というものはすべて面白い、ということが瞬時に感じ取れて、ものすごく世界が広がった喜びを感じた。もちろんできの悪い謡曲もあるのだろう。廃曲になったものの中にはおそらく、そういうものもあったのだと思う。しかしこの一大体系を自分の楽しみの対象にできれば、世界がいかに広がることか。

というわけで今は謡を読むのが大変楽しい。いまのところはまだ対訳に頼っているし、原文と訳文の対比が大変面白くもあるのだが、いずれは原文のみで、またあのガリ版刷りみたいな謡の本にもチャレンジしてみたいと思っている。

夜は仕事。まあそれなりに忙しく。今年度の〆と新年度の準備もあるのでこまごまとしたことがいろいろある。話しこんでいく人も多く、その応対のうちに時間は過ぎていく。

夜は『プロフェッショナル』を見ながら夕食。航空管制官の仕事、へえと思う。安全確保が最も重要なのはいうまでもないが、大きな部分が機長とのコミュニケーションにあるというのはなるほどと思った。記号ばかりの英語の無機質な会話の中に、あんな心の通うコミュニケーションがあるとは。

唐九郎のやきもの教室 (とんぼの本)
加藤 唐九郎
新潮社

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夜。部屋の本棚から加藤唐九郎『唐九郎のやきもの教室』(新潮社とんぼの本、1984)を久しぶりに引っ張り出して読む。この本、私は1986年に買っているからもう23年も持っているのだ。私の焼き物に関する体系的な知識のほとんどがこの本からきていると言っても過言ではない本なのだが、いま読み返してみると実にシンプルな本で驚いた。

「名碗十三選」の選択も今読み返してみるとへえっと思う。利休好みの瀬戸黒の「小原木」、秀吉好みの黄瀬戸「難波」、宗旦好みの黄瀬戸「朝比奈」、道陳好みの黄瀬戸、志野の「卯花垣」。ここまでは桃山で、鼠志野「峰紅葉」、織部の黒筒茶碗、奥高麗「深山路」、李朝の伊羅保茶碗、柿の蔕茶碗、光悦の赤楽茶碗「毘沙門堂」黒楽茶碗「雨雲」、高取沓形割高台茶碗。代表的な茶人たちの好みを紹介し、志野や織部、李朝、楽、高取の代表作を紹介している。こう見てみるとちゃんと全般に目配りして網羅的に、しかし自分の好みに従って紹介している。解りやすく読みやすいように見えて天才的実作者でもあり、桃山陶の再発見者でもあり、その研究者でもあり、その技術の復興者でもある加藤唐九郎の知見が遺憾なく発揮されているのだ。最初にこの本にあたったことはたぶん大変幸運なことだったのだと思う。

古田織部―桃山文化を演出する (角川叢書)
矢部 良明
角川書店

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おやと思ったこと。矢部良明『古田織部』では織部焼きの創作の主体が美濃の陶工だったのか織部であったのかは永遠の謎だ、と書かれているのだが、唐九郎は「自らデザインして色のついた紙を切って貼って、こういう風に作れと瀬戸や美濃、伊賀、備前、唐津に注文を出している。」と書いている。ということは型紙が残っているということだと思っていたのだが、そうではないのだろうか。

10時。日ざしがだいぶ強くなってきた。まだ外は寒いが、用事をしに出かける。郵便局・銀行・コンビ二・ホームセンターと回って隣町のジャスコへ。車で行くのは初めてだが、屋上駐車場がひろびろとしていて気持ちいい。周りの山々、湖、街。スーパーの中を一通り見て、近くの家具屋を一通り見て、湖のそばに出る。ジャスコの駐車場から出た道をそのまま湖のほうに行くと、ときどき行く美術館の駐車場に出ることがわかった。そこに車を止めて、湖を見る。遠くに富士山が見える。よい天気。


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