専門の設定の仕方/存在しないことを存在させる技術
Posted at 08/11/24 PermaLink» Comment(2)» Tweet
一昨日帰京。友人とメールでやり取りした中で、齋藤孝『ざっくり!世界史』が面白いという話があって、帰りに地元の書店で立ち読みしてみた。
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こういう本を私に書いてもらいたかった、ということだったのだが、読んでみるとそれはすごく頷ける。普段私が歴史について話しているようなことを上手く一冊の本にまとめている。もちろん発想の違いは随所にあるが、自分の知っていることをいかに面白く印象的に説明しようかという熱意に溢れていて、そのサービス精神のようなものが私自身のそれととても近い感じがしたのだ。
ということを考えつつ、しかし今の自分があえてこういう本を書きたいかどうかと考えてみると、そういう情熱というのはないなあと思う。もちろん年に10冊以上本を出す齋藤孝にとって本を一冊出すことのハードルは本を出したことのない人間に比べてものすごく低いことは確かだから、単純に比較は出来ないけれども、今の自分にとってそういう高いハードルを乗り越えてでも絶対に出したい本、ということにはならないなあと思う。
でも、こういう本を書いてみたいと思っていた時期は確かにあった。それがかなわないまま先を越されたということはまあ残念といえば残念だが、他の人がやってくれたならそれはそれでいいかとも思う。
齋藤は身体論を本拠にして他の分野に出撃していろいろな本を書いている。身体論のような分野で一定の業績を上げること自体が大変だからそれはすごい才気だと思うのだけど、ある意味なんでもやれるそうした専門を選んだこと自体が彼の成功のもとでもあったなあと思う。確立された専門分野は外から見るよりも中にはいってみると思ったよりもしがらみが多く、その分野の内部で出来ることは本当に限られているし、新しいことをやるためには半端でない能力が必要になる。本当にやりたいことをやる前にずいぶん片付けなければならないことが多く、それで消耗してしまうことも多い気がする。
そういう意味で私は専門の設定の仕方が自分のやりたいことと上手く合わなかったんだなあと今にして思う。しかし、そんなことを今更言っても間に合わない。後輩への忠言として役に立たせるか、でなければ次の人生で役に立たせるかしかない。リインカーネーション。
と思ったらなんとなくさばさばしたところもでてきた。今生でやれることを考えるしかない。
***
相撲を優勝決定戦の決着がつくまで見たあと、丸の内の丸善に出かけた。いろいろ本を物色するが、なんとなくダンス関係の本を読みたいと思ってそのコーナーに行き、結局淀川長治『私の舞踊家手帖』(新書館、1996)を買った。
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淀川長治といえばもちろん映画だと思っていたのだけど、実は彼は舞踊にも非常に造詣が深いということをこの本を読んで初めて知った(まだ43/220ページだが)。何しろ13歳のとき、大正11年に彼は神戸でアンナ・パブロワを見て感激し、自らバレエダンサーになることを決意しているのだ。(!)
そんな彼のバレエ評、ダンス評なので映画評と同じく素晴らしいオマージュの連発。しかし厳しいところは思いもかけずシビア、というところも同じ。パブロワ、ダニロワ、ローラン・プティ、ジジ・ジャンメールと伝説的なダンサーたちを語る淀川の口吻は輝いている。
ローラン・プティのバレエを香水に喩える淀川の表現は、読んでいてうれしい気持ちが広がってきた。まさにバレエというのはそういうものだ。言葉では表せない何か気配のようなもの、が表現されているかどうかというのがバレエという芸術のよしあしで、それに一番近い感覚は香り、ということになるのではないかと思った。バレエも香りも音楽も、その場で強い印象を残しながら後に残すことの出来ないものだ。形のない芸術。だからこそ恋しく嬉しい、そういうもの。
そんなことを考えながら自分のしたいことを考えていたら、「存在しないものを存在させる技術を磨く」という言葉が浮かんできた。それはどういうことだろう、とさらに自問すると「実生活を夢幻化すること」というさらに雲をつかむような言葉が出てくる。
いずれにしても、できなかったことを考えていてももう仕方がないので、今やりたいことをいかに実現していくかを考えた方が遙かに前向きだ。雲をつかむようなことでも意味のないことではないから、それが具体的にどういうことであるかを見極めながら実現していくしかないと思う。
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"専門の設定の仕方/存在しないことを存在させる技術"へのコメント
CommentData » Posted by shakti at 08/11/24
>私は専門の設定の仕方が自分のやりたいことと上手く合わなかったんだなあと今にして思う。
そうだなあと思う。
しがらみの多い専門分野と、しがらみさえない忘れられた分野。
関曠野さんがシェークスピア論を書いたら黙殺されたが、ギリシャ哲学論を書いたときは大いに歓迎されたそうだ。前者は業界軍団でできており、後者は専門家はいても軍団はできていないので、良い物は良いと評価されたのだそうです。
CommentData » Posted by kous37 at 08/11/24
>shaktiさん
いずれにしても、20歳そこそこの若者にその選択は難しい気がします。大学に入ってみて講義を受けてみて、それでこの分野、と決めるならまだ間違いは少ないんでしょうが、上京前から勝手にイメージを膨らましてたりすると特に文系の分野は予想と現実のギャップが激しいということになるなあと思います。
外部の人が書くとき、軍団が出来てるかどうか、ということは確かに大きい。西洋史も日本史も、専門家以外の人の書いたことは全く黙殺されますね。東洋史は、わりと誰でも入れるんじゃないかな。中国(特に前近代)はダメかもしれないけど。日本史も近代なら、西洋史も20世紀ならまだいいかもしれません。
仏文でも古典新訳文庫のスタンダールの翻訳をめぐって相当内輪もめがあったようで、まあそのあたりは面倒な世界のようですね。