理不尽だから小説/作者が特権的存在であるという作品の持つ構造

Posted at 08/10/04

昨夜は寝る前に少しル=ロワ=ラデュリを訳していたら、今朝起きたら7時だったので驚いた。出来れば5時ごろに起きたいのだが、最近疲れがたまっているのか、起きても6時台でなかなか目が覚めない。それにしても7時では朝のうちに本当に何も出来ない。何とかしたいのだが。

F―落第生 (角川文庫)
鷺沢 萠
角川書店

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鷺沢萠『F 落第生』(角川文庫、1998)、現在64/204ページ、7話中3話読了。この人は文学界新人賞出身なのだ、ということを知る。芥川賞も三島賞も候補にはなっているが、受賞はしていない。泉鏡花文学賞を受賞している。1987年のデビューで2004年死去。この作品は1996年の短編集か。同時期の芥川賞受賞者には小川洋子や荻野アンナ、多和田葉子らがいるが、彼女らに比べて鷺沢が何が足りないのか、ということは考えてもよくわからない。何かの運と言うか、そういうものも大きく働いているんだろうなと思う。村上春樹だって受賞していないのだし。まあ理不尽なところが小説と言う芸術のある種の本然だという気もするし、そんな風に考えた方がいいのかもしれない。

小説智恵子抄 (人間叢書)
佐藤 春夫
日本図書センター

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佐藤春夫『小説 智恵子抄』(角川文庫、1962)、現在35/174ページ。フィクションであり虚々実々だと作者本人が言っているのでよくはわからないが、光太郎と智恵子の出会いと言うのはこういうものだったのかな、と思う。洋行帰りの光太郎が父の光雲の影響下からなかなか逃れられず、悪戦苦闘している様子が描かれている。身を固めろとか教職につけと言う両親の要求を避けつつ自らの芸術の大成を志しているけれどもうまく行かず、という状態を見かねて友人がよい女性を紹介し、それをきっかけに飛躍してもらいたいと言うことで、智恵子が紹介されたのだと言う。その智恵子は福島の素封家の娘だが、平塚らいてうの青踏社の同人となりその表紙も描いているのだそうだ。そういう意味では当時の最先端の男子と女子、特権的な存在だったということになる。

詩に現れた彼らの関係がある意味そんなに特権性を感じさせるものではなかったのできちんと認識していなかったが、逆にいえば自分の特権性を意識すればこそ、ある意味そういう普通のことを詩にしても特権的でありえたのだなと思う。高村光太郎と言う作家/詩人/彫刻家はある意味そういう構造の中でみなければいけない存在なのかもしれないと思った。

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