楊逸「老処女」/大相撲の立ち合い問題

Posted at 08/09/21

ワンちゃん
楊 逸
文芸春秋

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楊逸『ワンちゃん』収録の「老処女」読了。楊逸の小説を読むのは四作目だが、それぞれかなり傾向が違い、この作家が実に楽しんで話を作っているのを強く感じる。この作品の主人公は妄想型。「ワンちゃん」「金魚生活」と同じく中年女性ではあるが、生活力がなく、自分の中の固定観念に縛られて行動が出来ない学校秀才タイプ。こういう妄想型の主人公の考えることを読んでいると、いつも自分が考えてしまいそうなことが出てきて読んでいて自分が恥ずかしくなってきてなかなか読み進められないことが多いのだが、この作品もまたそうだった。

しかし読んで見ると、登場人物はややステロタイプな気がする。物語の進行も、オチはこうなるだろうなと思った通りに落ちていて、ちょっとそこはどうかと思った。しかし、そういうことが狙いではないのかもしれないけど。中国の産婦人科での描写などはちょっと想像がつかない雑然ぶりで、そういう部分の描写はやはり想像を絶しているから、そういうところで単なるステロタイプから救われているのかもしれない。

芥川賞受賞作の「時が滲む朝」では出てくる革命の女神的な美少女の描写がステロタイプになっていて、このあたりは「革命には美女が出てこなければならない」というある種の共産革命幻想みたいなものの子孫のようなものを感じた。あの美少女は柴玲(ツァイリン)を思い出させたが、そういえば彼女はどうしているのだろう。ウィキペディアによるとこの会社を経営しているそうだが…と、柴玲はパリに逃れたのか。ということを考えるとあの美少女はやはり柴玲を下敷きにしていたことになるな。

六四事件(天安門事件)までの展開はやはり借り物の構造を使っていて、そのあたりは楊逸の全作品の中でも少し浮いているのだなということを今まで読んできた中で認識した。基本的に楊逸は革命の「大きな物語」を書く書き手ではない。もっと身近な、中国と日本の狭間で生きる中国人たちを描くのが、彼女の身上なのだと思う。そういう意味では文学界9月号で「大きな物語の復活」を祝した沼野充義はやや的外れであるし、芥川賞の選評で「大きな物語の復活」に警戒感を示した村上龍もまた杞憂であったように思う。

この作家の人間観察は面白いし、背後にある人間観も中国人的な、と言っていい部分と彼女独自の部分がどこに境目があるのかとか、まだまだ読んで知ってみたい作家である。近年の日本の作家はどうも付き合うのがめんどくさいというか、金原ひとみなどを読んでいても「どこに行ってしまうつもりなんだ?」と思うのだけど、楊逸の人間に対する関心は地に足が付いているというか、私などの想像力の範囲内ではあるけれども今まであまり考えたことがないような部分、あるいは考えたことはあるけれどもあまり文章にしようとは思わなかった部分を物語にしていて、実は非常にオーソドックスな、それもかなり力のある作家なのだと思う。

楊逸はまだまだ外国人が日本語を使って小説を書いてその話題性で芥川賞を貰ったキワモノという程度の見方しかされてない気がするが、実は上手くすれば一般の小説への関心を非常に盛り上げる力のある優れた作品をたくさん生み出していく可能性があると思う。今のところは、どうしても「日本とかかわりのある中国人」を主人公にした作品しか書けないだろうとは思うけれども、そういう作品を一通り書いてしまって次の展開を図るときに、日本人を主人公にした話とか中国人を主人公にして第三国を舞台にした話とか、もっとさまざまな話を書いていける可能性を持っているのではないだろうかと思う。そういう意味では今後さらに期待したい作家だ。

***

ラ・ロシュフーコー公爵傳説 (集英社文庫)
堀田 善衛
集英社

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今日は在東京。午前中は曇っていて自転車で地元のスーパーに買い物に行ったが、午後は雨が降ってきた。3時過ぎに丸の内の丸善に出かけ、堀田善衛『ラ・ロシュフーコー公爵傳説』(集英社文庫、2005)を買う。オアゾの一階が通行止めになっていて、一度地上に出てしまったら丸善に入れなかった。二階の東西を結ぶ歩道橋とその下が通行止めにされていて、このスカイウォークが何らかの不都合があったようなのだが、原因はよく分からなかった。

地元に戻って雨の道を歩いていたら急に強くなり、ズボンの裾がだいぶ濡れた。

帰ってきて相撲を見る。今場所は立ち合いが問題になっているが、朝青龍が「場所前に急に変えられても対応できない」とぶつぶつ言っていたけれども、いろいろとまどいはあるだろう。もちろんこれは相撲協会全体の粛正策の一環として、「立ち合いの正常化」によって土俵を引き締めるという武蔵川新理事長の方針だ。立ち合いをきちんとやるというのは原則論として当然のことなので、そういわれて反対することは誰にも出来ない。ただ、北の湖前理事長の時代にはそれがなあなあになっていただけなのだ。しかしそのなあなあ状態に慣れてしまっている力士たちにとっては厳しくやられると対応できないということが出ているわけで、まあ慣れてもらうしかない。

私が相撲を見始めたのはまさに北の湖全盛時代で、現理事長の三重の海や先代の大関貴乃花が活躍していた頃だ。当時はほとんど手をついてなかったことを覚えている。手つきの厳格化は今までも何度か図られているが、ちょうど小錦が上に上がってきた頃にもそういうことがあった。小錦を取り上げた番組の一シーンでそのことについてアメリカ人の友人に小錦が説明していたのだが、そのとき彼は友人たちに英語で、「今場所からルールが変わったんだ」と説明していた。その説明がとても奇妙なものに感じたので今でもよく覚えている。

厳密に言えばルールが変わったわけではない。ルールを厳格に適用するようになっただけなのだ。しかし、現場にいる力士たち、特にそういう曖昧な、ルール適用が厳しくなったり緩くなったりする日本文化になじみのない外国人力士にとっては「ルールが変わった」と割り切るしかないということだったのだろうと思う。そういう部分が、文化的ギャップだったんだなと思う。小錦はクレバーだから引退までうまくやったけれどもしばらくして相撲協会を離れた。やはりクレバーな小錦にとっても文化的ギャップは結局埋められなかったんだろうと思う。

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