危機と成長

Posted at 08/09/09

ミシェル城館の人〈第3部〉精神の祝祭 (集英社文庫)
堀田 善衛
集英社

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堀田善衛『ミシェル 城館の人』第三部を読みつづける。現在118ページ。モンテーニュが1580年、ドイツ・スイス・イタリアをめぐる旅に出たときの様子。秘書による興味深い日誌が残っていて、旅行中のモンテーニュの様子がよくわかる。病を患いながらの旅で痛みに襲われる記述は読んでいて辛いものがあるが、各地の有力者の訪問の記録や歓迎の記録、またドイツやスイス各地でのカトリックとルター派、カルヴァン派、ツヴィングリ派の共存や対立のありさまがそれぞれいきいきと描かれていて大変興味深い。モンテーニュはドイツの宿屋や食事がとても気に入っていて、城館の料理人を連れてくればよかったと後悔している。また、フランスでは水で割って飲むのが一般的だったワインをドイツでは生で飲んでいるなど、国柄によって特徴的なことが多いことがわかる。彼は全般的にドイツの几帳面さやまじめさ、清潔さなどをを気に入っていて高く評価している。それはわりあい意外だったのだけど、おそらくは17世紀前半の三十年戦争(1618‐1648)以前であったことと関係があるのだろう。ドイツはこの宗教戦争で非常に荒廃してしまうから、その頃のことを知るとモンテーニュもがっかりしてしまうだろう。デカルトはこの戦争に従軍している、ということを考えるとモンテーニュよりも数世代あとであることがよく認識できる。モンテーニュはルネサンスの、デカルトはバロックの時代の人なのだ。(蛇足だが、音楽史上のバロックは美術など他の分野でのロココの時代-18世紀-にあたるのでややややこしい。)

読んでいるところはちょうどローマに滞在中。近世のローマの様子などもよくわかって興味深い。

***

東京駅で12時新宿発の特急の指定を取ったら既に窓際の席は満席で驚いた。完全に満席の車両がいくつかあったので、おそらくはかなりの数の団体がちょうど乗り合わせたのだろう。出掛けにだめになりそうなものを適当に料理して朝食をかなり多めに取ったので食べ過ぎ感が強く、昼食は昨日買った木村屋のあんぱんの残り一つとおにぎりと水で済ませることにする。それでもなお夕方になっても食べ過ぎ感はあり、ここ数日よほど食べたということになる。食べている割には運動不足だとは思っていたが、昨日一昨日はほとんど運動らしい運動をせず、本を読んだり文章を書いたり、友達と電話で話したりしていた時間が長い。今朝5時台に目が覚めたのでまずは運動と思って久しぶりに荒川まで歩く。南砂町の駅の南側に建設中の新しい大規模商業施設の前を通る。場所をはじめて確認した。一時間ほど歩いた。

書いたり考えたりしている主なテーマは「自分が自分であるとはどういうことか」、というもの。これはモンテーニュの影響だが、今まできちんと考えようとしてこなかったこと。しかし考えてみてもなかなか書くことがないのでなぜだろうと思うと、自分が自分であるとは私にとっては普段は意識していないけど何かことがあって自分はこれを受け入れられないと感じたときに強く意識されるものであるので、何かをやりながらではないと感じられないもの、普段は意識に上らないもの、ある種の危機の状況の時に初めて自覚されるものだからだ、ということに思い当たる。だから自分が自分であることを更新し、さらに自分を成長させていくためには、自分にとってある種の危機と常に渡り合っている必要があるということだ。自分を成長させる危機、自分をその方向に伸ばしていきたい危機に進んで飛び込んでいくことがよりよい自分になることであるわけだ。

そういえば日曜日に神田で諸星大二郎『バイオの黙示録』を買ったのだがまだ読んでいない。

未来歳時記・バイオの黙示録 (ヤングジャンプコミックス)
諸星 大二郎
集英社

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