露鵬の怒り

Posted at 08/09/09

時事ネタでブログを書くことは自粛しようと思っているのだけど、今回の大相撲不祥事については考えること印象に残ることが多く、少しだけ書いてみたい。

解雇された露鵬は処分に納得が行かず、テレビの電話インタビューでは陰謀にはめられたと言っているらしい。NTVのサイトによると以下の通り。

露鵬関は「新理事長になった武蔵川親方一派の陰謀だ。私は最後まで無実。私は謝ってほしい。私はどんなに謝罪されても相撲界に戻るつもりはない。この世界はあまりに汚い。北の湖理事長は最高に律義な人です」と述べ、今回の解雇処分に憤りをあらわにした。また、辞任した日本相撲協会・北の湖理事長や、大嶽親方をかばう姿勢を見せた。

なぜこんなふうに言うのかとやや不思議に思っていたが、今朝になって新しい記事も出てきた。毎日新聞

解雇された両力士は2日、日本相撲協会の再発防止検討委員会(委員長・伊勢ノ海理事=元関脇・藤ノ川)による抜き打ち検査(簡易検査)で大麻の陽性反応を示して発覚。その際、検討委に事情を聴かれ、露鵬が「大麻は(6月の)ロサンゼルス巡業の時に、黒人シンガーから入手した」と告白していたことが、関係者の話で明らかになった。当初は両力士とも使用を否定し続けたが、検討委側から「師匠には報告しないから本当のことを言ってほしい」といわれ、露鵬が告白したという。

このあたりのことが原因だろうか。「師匠には報告しないから」といわれたのを真に受けたのだろう。このあたりの取調べの二重底は日本人なら阿吽の呼吸で理解できるのだが、告解を神父が漏らすことは禁じられているキリスト教圏では「汚い」という印象になることはあるかも知れない。日本ではどんなふうに脅かされたりすかされたり甘い言葉で誘ったりされても喋ったら終わり、と観念してしまうところがあるけれども、彼らはそこでは引かないかもしれない。しかしそこで怒ってしまうと、日本人にとってはどんな手段で聴取されたにしろ一度認めたものを一転させたということでさらに印象が悪くなってしまうのだが。このままでは彼らも「悪いことをしても絶対に認めてはだめだ」ということを学んだだけで終わりになってしまう。

こうしたことを今後防ぐにはどうしたらよいか。今朝のNHKで言っていたが、一つの大きな問題は「部屋」が昔に比べて小規模になっていることなのだという。現在一番大きな部屋は八角部屋でそれでも所属する力士は27人なのだそうだ。大きな部屋というのは5、60人はいるという印象だったから、昔に比べるとずいぶんこじんまりしてきている。少人数教育なら教育が行き届くかというと話は逆で、部屋付きの親方や床山、行事といったいろいろな人たちとの接し方も少なくなり、部屋持ちの親方が病気がちだったり相撲協会の役職で忙しいとほとんど野放しになっているのが実態のようだ。そんな中で日本の習慣をよく理解していない外国人力士があっという間に出世して行っても、日本的な伝統を十分身につけることができないのは避けがたいことだろう。

現在部屋数は53あるそうだが、そういう意味から言ってある程度部屋の統合をすることが望ましいのではないかと思う。今まで一国一城の主だった親方が部屋付きになるということは抵抗が大きいならば、「一門」の縛りをもっと強くするとか、あるいは一門の中で数部屋単位の「隣組」などの制度を作って新弟子の時代からなるべく多彩な人々に触れ、また多くの親方の目の行き届くようなあり方を考えていくという方法もある。核家族化が家庭の機能低下の大きな原因で、実際多くの家庭で妻の母が子育てや家事を手伝うことによってようやく夫婦共働きが成り立っているような実情があるのと事情としては同じだ。家族同然、のよさが部屋制度のよさであるとするならば、核家族化した現在の部屋の実態からなるべく大家族的な部屋制度に戻すことが大相撲の基礎を固めなおすことにつながるのではないか。

「家族同然」の部屋制度が逆に虐待の内向化につながる側面もあることは時津風部屋の事件にも現れている。これは、戦前の陸軍の内務班が家族をモデルにして考えられていたことと共通する問題だが、小隊長を父に、班長を母になぞらえるというモデルの下で暴力が横行していたことはよく知られている。しかしこういう問題もまた、部屋の規模を大きくし多くの指導者がかかわっていく態勢を取り戻すことで解決していく面もあるのではないか。

露鵬は以前から暴力事件を起こしたりして問題が指摘されていた。弟の白露山は穏やかで兄をいさめる方に回っていたという。露鵬の鵬は横綱大鵬が起こした大鵬部屋に入門し、その女婿である貴闘力がついで大嶽部屋に所属していることを指している。大鵬は父が白系ロシア人だし、ロシアの力士を育てるのを楽しみにしていただろうから大鵬にとってもショックなことだっただろう。白露山はもと北天佑の二十山部屋に所属していたのを二十山の急死で兄弟弟子の北の湖が引き取ったものだというから新弟子のときからの教育もどの程度のものだったのか、ということもある。こうしたことを考えていくと、今回の問題は単発的なことではなく、大相撲の抱える構造的な問題が露出したものと考えるべきだろうと思う。

露鵬の怒りは、同情はできないが、どこかその割り切れなさ、やり場のなさが私の心に訴えてくるところがある。大相撲に対しても、日本に対しても、怒りの感情を持ち続けるだろうことは残念なことだ。

一方、一連の騒動のきっかけとなった若ノ鵬の方は憔悴しきった感じで思わず同情してしまう。しかし実際問題として相撲界復帰は不可能だろう。三ヵ月後には在留許可も取り消されるというし、今までこうした不祥事で相撲界を離れて復帰した例はない。厳格化が求められている今の相撲界で彼の復帰を認めれば、厳しい姿勢もなし崩しになってしまう。未成年の彼には重過ぎる十字架ではあるが、今後の人生を強く生きてもらうことを期待するしかない。

***

夢の中で、「怒りの激白ワイド」、みたいなテレビの特集をやっていて、その中で高校在職中に自分の教えたことのある女子生徒が高校に対する怒りをぶちまけているという映像を見た。みんな怒っていることがある、というような印象がそういう夢につながったのだろうか。その夢の印象が強く、こうしてブログに書くことを思い立ったのだった。


しかし書き終わってみると書きたかったこととかなりずれている。最初は怒りというものについてもっと突っ込んで書いてみたかったのだが、そのあたりは書こうと思ってもボキャブラリーが不足しているのか書きようがない。というか考察が甘いのだろう。露鵬についてもなんとなく同情的なコメントになってしまったが、もともと同情するつもりはないのだ。検査前数日の行動を聞かれて「頭の中が真っ白で思い出せない」といったそうだがそんなしらばっくれ方で事態を切り抜けられると思っていたのだとしたらそれだけでも断罪されるに値するという印象を受ける。

こういうことは書こうと思ったことがまとまった時点で後は新しい情報を入れずに書くか、でなければ新しい情報を入れてからまた考え直して書くかにするべきだと改めて思った。しかしいずれにしてもこうしたホットな問題というのは事件の全貌が明らかになっていくにつれてこちらの印象も変わりまたこちらの思考も変わってくる。そうすると一度書いたこととの整合性を考えなければならなくなり、また一段深く考え、書くことになる。しかし自分にとってそこまでする意味があるかということを考えると、最初に時事ネタについて書くこと自体の可否を自分で問うてしまう。

だから最近は書くことを自粛していたのだが、しかし実際に書いて見るとそういうめまぐるしく状況が動いているからこそ書き手として考えなければならないことが多く、思考が鍛えられる側面もあるということもまた認識した。時事ネタを書いても微温的な方向のコメントに終始するのでは書く意味はないが、一歩踏み込んで自分の考えていることをなるべく正確に書き、事情が明らかになったり情勢が変わったりしたときにまたきちんと考えて書き直すということはよい鍛錬になる。基本的に極論を書くことはよくないことだということもよく分かるし、微温的なコメントとのあいだで真実への狭い通路のようなものを見つけるための練習になる。より真実に(少なくとも自分自身にとっての)迫るために書くのでなければ、わざわざそんなことを書くことの意味がどこにあるのか、ということだ。

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