本と自分との距離

Posted at 08/09/03

昨日帰郷。銀行で用事があったのでいつもより1本早い特急に乗る。東京は予期していたよりもずっと蒸し暑く、ジャケットを着て出たら特急に乗るまでに大汗をかいてしまった。汗はしっかり拭いたつもりだったが、やはり冷えてしまったようで、今はどうにも調子がよくない。こちらは空気が乾いているし気温もあまり高くないので楽は楽なのだけど、落差が堪えているようだ。自分の感じとして、低潮期であるようにも思う。

職場で銀行関係の仕事を少しして、書類が足りないことがわかって実家まで往復し、銀行で用事を済ませてまた実家に戻って一休みして、ほぼとんぼ返りで職場にきて夜まで仕事をする、ということになった。仕事はまずまずの忙しさだったが少し難しい仕事があってそれにやや時間をとられた。

夜は北島を育てた平井コーチを取り上げた『プロフェッショナル』を見ながら夕食。本当に素直に指導についてくる選手たちと、それにすべてをぶつけるコーチ。人間の信頼関係というものはすごいものだと思う。入浴、就寝。

疲れていたのだと思うが、今朝は起きるのが遅れて朝のうちは何も出来ず。モーニングページを書いただけで精いっぱい。父に愉気、朝食。出かける準備をして歯医者へ行く。戻ってきて職場でブログ更新。

ローマ人の物語 (12) -迷走する帝国
塩野 七生
新潮社

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塩野七生『ローマ人の物語』33巻[迷走する帝国・中]。現在142/166ページ。3世紀のローマで問題になっていたさまざまなこと、ササン朝ペルシャとの抗争、ドナウ河畔からのゴート人の侵入、キリスト教徒の問題、ローマ人の公共性の減退などさまざまなことについて具体的に書かれていて今までの知識が腑に落ちていく感じがしてなかなかいい。十把一絡げにされる軍人皇帝たちも一人一人見ていくとトラキア人あり、アラブ人あり、シリア人あり、北アフリカ人あり、伝統的な元老院議員ありとバラエティに富んでいて面白い。

ミシェル城館の人〈第2部〉自然・理性・運命 (集英社文庫)
堀田 善衛
集英社

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堀田善衛『ミシェル 城館の人』第二巻、254/494ページ。モンテーニュの読書に対するスタンスが面白い。読書は何かを知るためにするのではなく、自分が思考し、判断するための材料に過ぎないので、特に熱心には読まない、自分が考えるのに必要なものは基本的には自分自身のみだ、というスタンスなのだ。教養人であり博識であり蔵書家でもあるけれども本は手段に過ぎないということをはっきりと宣言していて、そのあたりは考えさせられる。

確かに私も、本を読んでいるときというのは寄り道をしていると感じることはあるので、彼の言うように一日の活動の中心は思考と判断と執筆に当てるべきなのかなあと思う。このブログも主に記録的な意味あいで書いているのだけど、それにあまり時間をとられるのも本末転倒かもしれないと思ったり。このブログは書くのにちょちょいのちょい、というわけには行かないのだ、実際の話。そうたいしたことを書いているわけではないのだけど、結局1時間ではすまないことが多い。それでこの内容かよ、と思うと時間の使い方としてあまり賢いとはいえないのではないかという気がしてくるわけだ。

しかしだからといって書かないことにすると一日の生活の姿がはっきりしなくなってしまう。酔生夢死という感じになってしまって、ぼんやりと過ぎていってしまうのだ。一日に形を与えるという意味では意味がなくはない。毎日他の文章を一定量書いていればそういうこともないと思うのだけど。

知ることよりも考えること、形を与えることに重点をおいているという点で、モンテーニュは間違いなく作家であって学者ではない。

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