楊逸『時が滲む朝』
Posted at 08/08/20 PermaLink» Tweet
時が滲む朝楊 逸文藝春秋このアイテムの詳細を見る |
楊逸『時が滲む朝』読了。結局、日曜日に買ったのを火曜日に読み終わってしまった。最初に思ったよりもずっと面白かったからだろう。久しぶりに小説を読んだ気がした。私が思う意味での小説だが。やはり小説というのは、自分と周囲、社会や国家とのかかわりが描かれていなければ面白くない。敢えて特殊な世界に踏み込んでいく作品が最近の純文学作品では多いけれども、私はどうもそういうものは不自然な気がして、時代の中でそう特別でもない個人が時代の動きとの係わり合いの中でどう選択しどう流されどう自分の居場所を見つけていくか、ということを描いた作品が自分にとっての小説らしい小説ということなんだなと思う。そういう意味では、いわゆる純文学作品は変に特殊を気取ったものが多いと感じられるわけで、そのあたりが現代小説というものに親近感を抱けない理由になっていたのだと思う。
しかしこの作品はそのあたりが自分にとってとてもフィットする作品だった。もちろん中国人的な感じ方などはわれわれとは違うなと思うけれども、中国人は中国人なりに国家や社会の動向に左右されつつ自分の居場所を見つけて生きていっているのだという当たり前の事実に感動させられる。流されて自己破滅的な方向に行く人を描いた作品ばかりが最近の芥川賞作品でも多く見られるように思うが、そういう意味でこの作品は明るく健康的で、自分の読みたい作品にかなり近い要素が多いなと思わされた。
天安門事件は私がちょうど教員になった年で、あの無邪気な盛り上がりと無慈悲な弾圧は強く印象に残っている。それ以来の中国は反日近代化路線一本槍で好感の持てない国になってしまったが、確かにあのころは希望があった。革命家たちのその後の群像を描いたものとしては、みな資本家的になっていくのが本来の中国人ぽいなあとは思うが、同時代のロシアの民主運動家たちも佐藤優の描くところによるとやはり資本家になっていく人たちが多いようで、これは一つの流れなのかもしれないと思った。日本でもそういうことはあったのだろうか。アメリカでは学生運動崩れがヤッピーになって90年代の繁栄をもたらしたということがあったようだが、日本の団塊世代はあんまりそういう感じがない。
前半が運動の高揚と崩壊、後半が日本にやってきた主人公の日常の奮闘と冷めていく民主化熱への苛立ち、しかしその中でもそれぞれにたくましく生きている人々への感慨のようなものが描かれていて、日本的な諦念のようなものもあり、特に後半は私は嫌いではなかった。そのあたり、いろいろと判断が分かれるところだとは思うが。
選考委員の選評も面白く読んだ。一番多かったのは、この作者は「書きたいことを持っている」ということで、これは間違いなくそうだと思った。また、川上弘美が書いている「見知らぬ人たちなのに、この小説に出てくる人たちを、どんどん好きになってしまった。」という感想もよく理解できる。山田詠美の言を借りればこの作者は「応援したくなる人間を描くのがうまい人」なのだ。
山田詠美は「このリーダブルな価値は、どちらかといえば直木賞向きかと思う」とかいている。確かに尾崎豊やテレサ・テンなどの固有名詞がある意味無批判にポンと投げ出されているところなどは芥川賞的には無防備に過ぎると思わなくはない。しかしその無防備さが逆に中国人にとっての尾崎やテレサというものをわれわれに飾らずに見せてくれているという面もあって、そういうところでも興味を惹かれてしまう。それは小説に対する興味というものと少し違うものではあるけれども。
選評で一番自分とは違うなと思ったのは村上龍で、小さな物語よりも大きな物語の方が価値があるという「何度も暴かれた嘘」が復活するのではないかという危惧を述べているが、そういう問題ではないと思う。というか、村上龍がそういう視点で小説を書いている人なんだなあとはじめて認識した気がする。私が読んだ村上作品は『限りなく透明に近いブルー』と『コインロッカー・ベイビーズ』だけだし、少なくともこの両作品の中では社会や国家は意識はされていた。そういう意識がないと、というか国家や社会との「距離感」のようなものがないと、どうしても浮遊した作品になってしまい、読後感が物足りなくなってしまうと思う。楊逸の作品は「距離感」はあるけれども大きな物語の方が小さな物語のより価値がある、というテーゼに立脚してはいないし、そんな風に読もうとする人がいるのだろうかという気がした。村上のスタンスというものは私にはあまりよくわからないので、どう評価すべきなのかもよく分らないのだけれども。
一番頷いたのは、宮本輝の選評の「表現言語への感覚というものが、個人的なものなのか民族的なものなのかについて考えさせられたが、楊逸氏が現代の日本人と比して、書くべき多くの素材を内包していることは確かである。」というものだ。日本人の文学村という孤島の中で語られてきた文学というものが、世界や世間の荒波にさらされる一つのきっかけになることはいいことだと私は思う。いろいろな意味で、最近の芥川賞作品では一番未来への希望を感じさせられるものだった。意外なことに。
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