思考的人間/関西人の対東京ルサンチマン/逃げ場のない状況での修業
Posted at 08/07/24 PermaLink» Tweet
昨日。11時半に歯医者の予約が入っていたので、ついでに図書館に本を返しに行く。図書館と私が行っている歯科医は歩いて5分ほど。10時半に家を出て職場に置いてあった本を持って図書館へ。『鈴木貫太郎自伝』は読了したが、『谷川俊太郎詩集』は半分ほどになってしまった。しかし途中で読む気がやや失せてきたのでやむを得ず。私は結局、表現に最も大きな関心があるのではないのだ。思考そのもの、が自分を自分として成り立たせている根幹に非常に近いところにある。思想ではなく。せざるを得ない衝動というかエネルギーが突き上げてくるからそう行動する、そういう人間の原初的な仕組みのようなものを哲学者は「実存」と呼んだ。それは人間だけでなく、生命体すべてが持っているものだろう。だから実存は哲学用語だが、もっと違う言葉で表現されるべき性質を生物としての人間は持っている、ということだと思う。
その衝動の現れ方は人によって違う。「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」と詠んだのは吉田松陰だが、やむにやまれぬ、ものを人間ならみな持っているだろう。しかしそれは人によって違う。
「これを食べれば体重が増えると知りながらやむにやまれぬ食欲魂」である人もあれば、「これを作ればこればっかりに熱中してしまうと知りながらやむにやまれぬアート魂」であるひともあろう。私はそのやむにやまれぬものが「考えること」そのものなのだなと改めて思うのだ。
それは何だか不自然な形がして、もっと本能的なものとか感情的なものを重視しようという構えが自分にあったのだけど、それの方がむしろ自分の感覚を混乱させるものらしいということも分ってきた。思考的な人間が感情的な人間や本能的な人間に変化することは出来ないが、自分の本質を磨くことでそういう人間を理解することは出来るようになるだろうし、すべてのタイプの人間にとって必要なことは自分の感覚を磨くことであって、それを磨ける状態がその人にとってベストな状態なのだと思う。
図書館で二冊返却し、時間がまだ少し余っていたので本を物色する。寺田一清編『鍵山秀三郎語録』(致知出版社、1998)を借りる。
鍵山秀三郎語録―続けると身につく (活学叢書)致知出版社このアイテムの詳細を見る |
この人は『掃除』で会社を変える、ということで知られている人らしいのだが、私が読もうと思ったのは桜井章一がこの人を激賞し、また雀鬼塾でも鍵山氏を呼んで桜井と公開座談会を開催しているということが理由だった。「凡事徹底」「微差僅差の積み重ね」などの言葉は平凡の非凡、という感じで非常に興味深い。「心温かきは万能なり」という言葉は、もともとは林田明大という人の言葉らしいが、桜井もよくそう言っている。味わいたい言葉なのだと思う。現在62/163ページ。
日本に古代はあったのか (角川選書 (426))井上 章一角川学芸出版このアイテムの詳細を見る |
『日本に古代はあったのか』読了。基本的に昨日書いたことからあまり出ていない。ライシャワー、梅棹忠夫、司馬遼太郎などの分析は面白い。この三者は全員関東史観なのだそうだ。梅棹の『文明の生態史観』は封建制を経てきた近代化に成功した社会という点で西ヨーロッパと日本の共通性を強調し、宮崎市定は都市国家から領域国家へという成長を持って古代世界の成立とみなし、ヨーロッパと中国の共通性を強調している。
この点においては、ヨーロッパと地中海世界を意識的にか無意識的にか混同している点が気になる。都市国家から領域国家への成長と言う流れは確かにある。ギリシャのポリス社会からローマによる領域的統一という流れが中国の春秋時代までの都市国家連合社会から戦国時代の領域国家の成立、秦漢統一国家の成立という流れと一致していることは確かだ。しかしそれはあくまで「地中海世界」の話であって、「西ヨーロッパ」と同値ではない。最近ではギリシャが果たして西欧文明の祖といえるのかという議論も出てきている。西ヨーロッパの成立に関しては、これはピレンヌだったと思うがカール大帝による「西ローマ帝国復興」が画期であると見なした方がいいと思う。そう考えるとヨーロッパと中国の共通性よりも日本との共通性の方が大きくなるのではないか。
日本における都市国家から領域国家の成立というのは、漢書や三国志に出てくる倭の百余国から三十数国の群小国家がそれをさしていると考えることもできる。ムラからクニヘ、というあのパターンだ。それを大和朝廷が従える。そう考えると日本にも古代的な統一があったとみなすことは出来る。古代官僚制も、受領が諸国に派遣されていたことを考えるとある程度は中央集権が機能していたと言っていいと思うし、そうなるとやはり日本に古代があったと言っていいのではないかという気がする。読み終えたあと、異論反論みたいなものが結構でてきた。しかし、こういうことを考えさせてくれただけ、この本が刺激的であったのは事実だ。
問題としては、まあはっきり書いてはいるけれども、京都びいきに過ぎるところは少々辟易する。東京は権力の地であり東京史観を全国に押し付けることが可能だ、と文句を言っているが、関西もまた東京都並ぶ権力の地であることは看過されている。巨人に対抗するのは阪神であり、今や阪神の方が人気が高いくらいだ。方言が全国ネットで流されているのも大阪弁だけである。私は関西にいたことも東京にいたこともそれ以外の地方にいたこともあるのでよく分るけれども、関西の対東京ルサンチマンというのは他の地方から見るとやや滑稽なのだ。東京人が東京しか見ていないことは確かだが、関西人は関西と東京しか見ていない。他の地方の人は東京もあり関西もありだが、おおむね東京になびき、ちょっと反骨心のある人間が関西になびいたりする。私の地元でもおおむね東京の大学に進学するが、ちょっと反骨心がある人間が京大に進学したりすることもある。まあ関西が東京をなじり東京が関西を鼻であしらうような構図は、他の地方から見ると「やっとるやっとる」という域を出ない。
歯医者では虫歯を削ると思ってその覚悟は出来ていたのだが、実際の治療は歯石の除去で、これが覚悟が出来ていなかっただけにうわあ、というものだった。下だけやったが、次回は虫歯を削るのか上の歯石を除去するのか。怖い怖い。
待合室で読売新聞を読む。職人の鍛え方の話。宮大工の修業で、就職希望者が早稲田の学生と中卒の子がいたら中卒の方をとる、という話が面白かった。早稲田の学生は他にもできることがあるから楽をしてしまう道を取りがちで、しかし楽をしてしまったら後から地道にやってきたものに追い抜かれてものにならない、ということらしい。中卒の子は他にできることがないので、ただ正直にやっていくしかない。やらざるを得ないという状況の中でやりつづけることが職人を育てる修業には必要なのだ、ということである。
これは人の育て方として伝統的な日本の特徴といえるのではないかという気がする。まず逃げ場をなくし、そのなかで目の前のものに取り組みつづけるしかないという状況を作る。それは育てる方の責任が非常に大きい。自由にやれる状況を作るのでなく、それしかやれない状況を作るという方法論である。確かに逃げ場がないだけにそれに集中してやれば非常に濃度の濃い修業ができることは確かだ。しかしそれについていけない、つまり入門する前にそれだけの精神的・肉体的な構えが出来ていない子どもがほとんどになっているであろう現状は、その方法論の限界のようなものを示しているとはいえる。
その対極にあるのが「仕事を楽しむ」「仕事も遊びととらえて徹底的に楽しむ。真剣に遊ぶ」という仕事の仕方だ。しかし、一つの仕事をやるのになんでもやってみる、なんでも試してみるという積極性を持たなければいけないという点においては結局は同じだろう。たとえば外国人が陶磁器の工房に入門したりするのは楽しいから好きだからやっているのであって、ほかのことが出来ないから逃げ場がないからやっているわけではない。職人は寡黙であることが多いのは逃げ場のないところで修業する、つまり言葉にしても意味がないという状況の中で育つからだろう。しかし好きでやっている人はいくらでも喋る。そのあたりは明るい感じがする。しかし、逃げ場のない状況の中で鍛えられた職人ほどの修業の濃度はやはり確保できないかもしれない。
微妙なところだが、やはり現今の社会的趨勢から行けば後者の方向で鍛えることが主流にならざるを得ないだろう。しかしもし日本の「強み」というものがあるとすれば逃げ場のない中での修業の強さという点にあるとも考えられる。どちらも並行して存在することが望ましいのだろう。
逃げ場のない状況というのは、オウム真理教などの洗脳の方法論としても使われることがあり、そういうことから疑問を呈する向きがあることもまた事実だと思う。ここはまあ性善説に立つしかない。しかし悪意に基づいてそういう組織が形成された場合はやはり危険であるから取締りが必要なこともあるだろう。
と、修業における方法論みたいなことを考えた。
午後から夜にかけて仕事。かなり忙しかった。朝は 6時前に起床。活元運動をしモーニングページを書いた後、部屋の前の草刈りをする。だいぶ生い茂っていて少々見苦しくなっていた。刈ったはいいものの量がすごい。乾燥させて量を減らしてからどうするか。
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