松尾芭蕉のスケールの大きさ/「魂の飢餓の叫びは、誰の耳にも届かない」

Posted at 08/07/10

昨日。午後から夜にかけて仕事。暇。終了後、帰宅、『そのとき歴史が動いた』を見ながら夕食。昨日の放送は松尾芭蕉。私は小6から高2まで伊賀にいたので、松尾芭蕉には親しみがある。小学校の頃から俳句を詠まされたし(そういえば佳作だったかな、入ったこともあった)、高1の夏休みの課題は芭蕉の旧跡を訪ねることだった。今でも東京では江東区に住んでいるから、芭蕉庵には親近感がある。また、信州の郷里の実家のそばの寺には「おくの細道」で芭蕉と同道した弟子、河合曾良の墓がある。いろいろと縁があるのだが、だから返ってなのか、あまりちゃんと芭蕉のことに付いて調べたことがなかった。したがって、昨日の放送はとても印象深かった。

芭蕉が藤堂家の若君の薫陶を受けたことは知っていたが、当時は貞門の俳人で宗房と名乗っていたこと。江戸に出た後は貞門の権威ある書物を持っていたことで弟子をとったこと。談林が流行していて新しい気風に衝撃を受け、貞門から鞍替えし、桃青と名乗ったこと。伊賀上野には今でも桃青中学校というのがあるが、それが江戸に出て鞍替えした後の俳名だというのは何だかなんだか変だなと思った。しかし俳諧の出来不出来に点数をつけ、またそれを元に賭けが行われるようになるとそれに嫌気がさし、旅に出たということも知らない。「野ざらし紀行」とはそういうドラマだったのだとは。その野ざらしの旅の中で新境地を開き、見たこと感じたことがそのまま17文字に結実する「蕉風」を確立したのだ、という説明はわかりやすかった。

また、「古池やかはづとびこむ水のおと」という句の成り立ちの説明。最初は「かはづとびこむ水のおと」の方が先に出来たという話は覚えがあったが、そのことが「かはづ」といえば「鳴く」と受けるのが古典の定石だったために、それを打ち破った斬新さが弟子たちを驚かせた、という話も興味深い。またさらに、初句に「山吹や」とつけたらどうかと弟子がいい、それは山吹とかはづは常に取り合わせられるものだから、ということだったわけだが、それに反して「古池や」とつけたことによって無限のイメージが広がる句になった、という解説も非常に興味深かった。正直かなりハイブロウな内容だと思ったが、それをうまく解説していると思った。

私は今まで、古池と言われてもなぜか古井戸が頭の中にあって、古い井戸にかえるが飛び込んでぽちゃん、という印象だったので、あんまり広がりを感じなかったのだ。まあつまり、「井の中の蛙」ということわざと芭蕉の句が頭の中で混同されていたのだ。しかしやや荒れたひろびろとした古池を想像してみると、その中にかえるが飛び込むのは大海の一滴のような印象も生まれるし、また一瞬の破調と永遠の静寂の対比、不易流行という言葉の連想も生まれ、非常にひろがるのだなあと思わされる。

その後も、「夏草やつはものどもが夢のあと」とか「閑かさや岩にしみいる蝉の声」とか、大ぶりの句が解説されていくと、芭蕉という俳人が実にスケールの大きな世界を読み込んだ詩人であったことが良く分ってくる。その延長線で考えると、「五月雨を集めて早し最上川」とか「荒海や佐渡に横たふ天の川」なども芭蕉の絶唱であることが良く理解される。

最後のお仕舞いは大阪で倒れたときの辞世の句。「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる」。知っていても、松平アナの美声であの荘厳なテーマをバックに読まれると無理やり感動させられてしまう。本当にスケールの大きな詩人で、夢とか、憧れとか、ゆかしさ、小さなポエジーから大きなポエジーまで、そのすべてを17文字の中に読み込んでしまうというのは実はものすごいことなのだと感動させられてしまった。最近にない収穫。

鈴木貫太郎自伝 (1968年)
鈴木 貫太郎
時事通信社

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朝は6時前起床。起き抜けに詩を一つ書き、モーニングページを書いて活元運動。朝食後、しばらく『鈴木貫太郎自伝』を読む。日清・日露戦争の体験談のところ。現在日本海海戦の前。132/342ページ。江川達也の『日露戦争物語』や司馬遼太郎の『坂の上の雲』で読んだことと重なる部分もあるが、やはり体験者の語りは一味違う。軍艦の中で一酸化炭素中毒で危うく死にそうになった話とか、相変わらず九死に一生を得ている話が多いのがご愛嬌だが、日露戦争前にヨーロッパ諸国を回った話なども含めなかなか面白い。今まで陸軍側をちょっと贔屓にしていて海軍側をあまり読んでこなかったのは残念なことだったなあと思う。やはり感覚的には海軍の人のいうことの方が分り易い。それはまあ最初からわかっていたのだが、世の中あまり陸軍悪玉説が強くてつい陸軍の肩を持ってしまっていたのだ。

NHK-FMで「クラッシックカフェ」を聞く。今日はシューベルトとフィビヒ。フィビヒという人はよく知らなかったが、チェコの国民楽派でスメタナの後継者と目された人らしい。なかなかいい曲を書くなあと思ったので、また探してみようかなという気がした。

コンビニに買い物に行き、『ビッグコミック』を買う。今号の良かったもの。『太陽の黙示録』は一つのクライマックス。迫力だ。今号はどれも良かったが、一つ印象深いものを書くといわしげ孝『上京花日』。『単身花日』と対になる作品ということだが、なんとなく野蛮な感じの主人公が読む気をそいでいるのだけどなんとなく読んでしまっていた。しかし、この中ででてきたせりふが強烈な印象。女優の孤独を振り回し、暴れる女に、

魂の飢餓の叫びは誰の耳にも届かない。

と言い放つ。これはアメリカのビート文学の詩人、アレン・ギンズバーグの言葉だそうだが、知らなかった。たしかに魂に届く言葉。

孤独が深ければ深いほど、その孤独をどうにかして誰かに理解してもらいたい、と思う。敢えて言うならば、それがために「表現」を志向する人はたくさんいるんじゃないかな。間違いなく自分にもそういうところがあって、どうしてこの深い孤独を表現し、届ける言葉が生み出せないのか、ということを深く悩んだことも多い。

しかし、それは、このギンズバーグの言葉の力強さの前に消え失せてしまうような、影のような感情であり、言葉であることがわかる。

孤独だと泣くことが重要なのではなく、孤独の中で何が見えてくるのか、それを黙って見据えることで孤独を自覚したことのない人間には出来ない表現ができる。そしてそれによって、その孤独の深さが人の胸を打つこともまた、あるだろう。人は孤独に共感するのではなく、孤独の中で戦っていることに共感するのだ。またそういう共感でなければ力にならない。

秋葉原の事件で、犯人の気持ちがわかるという人はかなり多いが、それは彼の孤独に共感したつもりになっているということだと思う。しかし、その「共感」は、彼がやってしまった犯罪のあまりの重さに目を眩まされているところがあるのではないかと思う。酒鬼薔薇事件の時も、あの少年を偶像視し崇拝する少年たちはかなりいた。あれは自分にはできないことなのだ、ということが分るから、間違った方向に英雄視の感情が、憧れの感情が動いてしまう。本当は彼ら犯罪者の心の中の闇など、誰にも理解することは出来ないのだ。また、理解されたいと思っているかどうかすら不明だ。

五・一五や二・二六のとき、青年将校に同情し減刑を求める世論はかなり強かった。誰もが時代に閉塞感を感じていたからだ。青年将校には世直しのための捨石という意志があったことは確かで、それに対する共感もあったろう。秋葉原の事件への「共感」はそういうところは皆無で、つまりは同情と、自分のやるせなさの投影がその本質だろう。だから「共感」はしても減刑を求める声は出ないし、正当に処罰されるのは当然だと思うだろうと思う。

そういう意味では、「魂の飢餓の叫び」が誰かに届いてしまうということは、むしろ危険なことなのだ。そういうこともまた、私は私なりに経験しているなあと思えてきた。

なんか考えているうちに論旨がぐじゃぐじゃになってしまったが、ギンズバーグのこの言葉は重い。一見蛮カラだけど実は教養もあり頼れる中年男、という設定は、ありがちだけど実は最も展開の難しいキャラクターだと思う。いわしげ孝はやはり才能のある作家なんだなあと改めて思わされた。

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