高見順、相田みつを、高村光太郎、など
Posted at 08/07/05 PermaLink» Tweet
昨日。仕事は暇、しかし体調が悪く、時間の最後まで職場にいるのがやっとという感じ。久しぶりに友人にのみに誘われたのだが断らざるを得なかった。残念。夜は夜で、一騒動あり、食事、入浴。早めに寝たのだが爆睡。
朝6時に起き、体調を少しコントロールするために整体体操をしようと思ったが、考え直して脚湯をすることにする。脚湯は、冬にはよくするがこんな暑くなってからしたことはあまりないのでどんなものかと思ったが、かなりいい感じだった。最近左右のバランスが悪く、左半身ばかりに力が入り、右半身は力が入らない状態だったので、それはかなり改善されたように思う。父に愉気、朝食。自室に戻ると疲れが出て、モーニングページも書けない。しばらく横になり、回復を待つ。10時過ぎに起きだしてモーニングページを書いたり『死の淵より』を読んだり。早めに昼食。
死の淵より (愛蔵版詩集シリーズ)高見 順日本図書センターこのアイテムの詳細を見る |
高見順『詩集 死の淵より』。最初ぱらぱらと読んだときにこの詩集があまり詩人の作品らしくないと思ったのは、たとえばこんな作品があったからだ。
俺は今ガンに倒れ無念やる方ない
しかも意外に安らかな心なのはあきらめではない
俺はもう充分戦ってきた
内部の敵たるおれ自身と戦うとともに
外部の敵とも存分に戦ってきた
(「おれの食道に」)
・・・これが「詩」だろうか。なんと言うかそのまんまだ。文士の力業、という言葉が思い浮かぶ。著者自身の解説を読むと、これらの詩よりももっといいと思う作品を冒頭に掲げた、というようなことが書いてあり、高見自身もそういうことは思ったのだろうと思った。
今日またこの詩たちについてつらつら考えていて、このストレートさというのはたとえば相田みつをに似ていると思った。私は相田みつをは読まないが、彼の作品が好きな人は、技巧的でない、わりとこういう実も蓋もないような表現が好きなんだろうと思う。詩を書く人間にとっては、そういう身も蓋もなさは堕落ととらえる人が多いだろうから、詩を書く人で相田みつをが好きな人はそんなにいないと思う。しかし、高見のこの詩集は実は読めば読むほど私にはしみじみと気に入ってくるものがあり、技巧をこらした、感覚的な詩だけがいいわけじゃないのだなあという気がしてきたのだ。だから、相田みつをは読まないけれども、その作品を感じ取る感性の回路のようなものは、私にも共通するものがあるんだなあと思ったのだ。
「詩」というと誰を思い出すか、といえば私は圧倒的に萩原朔太郎で、次に谷川俊太郎というところだったが、考えてみるとそれ以前に高村光太郎に出会っている。つまり「道程」だ。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
このあまりに有名な詩は、あまりにアプリオリに目の前に存在したため、詩だという意識すらなかった。この詩は実は非常に練られた作品らしいのだが、とてもストレートに感じる部分がある。朔太郎と違う光太郎の特徴は、見つめるものが感覚的なものではなく、「人生」である点だろう。私は今まで、どちらかというと無骨なこういう系統の作品はあまりいいと思わなかった。しかし、系統で言えば、高見の作品は明らかに朔太郎より光太郎に近い。人生というものを見つめる、というのはやはり一つの姿勢であって、そこにはすべての人間が経験している人生というものを書くというスタンスから、言葉を越えたものを想定しやすく、「言葉がすべて」ではなくなるという特徴がある。高見も、詩の言葉でしか表現できないものを追求するというよりも、人生の各場面を書こうという姿勢があり、そいう言う意味では「小説的な詩」だと言えるのだと思った。
そんな風に考えてみると、詩や小説もいろいろな傾向に分けられる。もちろんそんなことは大昔から文芸批評家が言っていることなので何も目新しいことはないのだけど、たとえば志賀直哉の後期の作品など読んでいると、散文で表現できることのぎりぎりのようなものを追求しているところがあり、言葉的な小説という感じがする。
また朔太郎的でない詩といえば、宮沢賢治もそうだろう。宮沢賢治は感覚的でもなく、かといって人生を描こうとしてるわけでもない。もっと、真理を追究するような、宗教的な、あるいは科学的な(多分彼にとっては真理を追究するという点で同じことなのだと思う)作品群だ。賢治の作品が独特の静謐さを持っているのはそのためで、童話などでも案外残酷な描写は多いのだが、それもまた一つの真実として受け入れざるを得ない、というような感じの部分もある。
そういうわけで、高見順の詩集は少し朔太郎崇拝に偏りすぎていた私の詩観を少し修正してくれるものがあったなと思う。まだ読みかけ。211/235ページ。
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