谷川俊太郎

Posted at 08/06/27

昨日。仕事に入る前に図書館に行き、谷川俊太郎の2冊を返して新たに谷川俊太郎の『シャガールと木の葉』(集英社、2005)と『夜のミッキーマウス』(新潮社、2003)を借りる。仕事場に出かけて荷物を置いて、歩いて図書館に行ったのだけど、途中で雨がぽつりぽつりと降ってきた。急いで返して急いで借りて急いで帰ってきたら帰り着いた途端に一気にザーッ、と降ってきた。ぎりぎり助かったのだけど、その後は短時間で雨があがり、夜はずっと降ったり止んだりしていたのだった。

シャガールと木の葉
谷川 俊太郎
集英社

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夜のミッキーマウス
谷川 俊太郎
新潮社

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谷川の詩集は両方ともまだ読みかけなのだが、この二冊は一つの目的を持ったコンセプチュアルな詩集ではなく、数年間にいろいろなところに発表し溜まった詩篇を一冊にまとめたという趣旨のもの。谷川は本当にいろいろなところに作品を発表しているのだなあと改めて感心したが、初出一覧を見ていると『文学界』に書いたものを集英社で出していたり、初出不明のものがあったり、特に『シャガールと木の葉』のほうはアナーキーだ。『夜のミッキーマウス』は『新潮』や『小説新潮』に発表されたものが主体になっているが、現代詩手帖などに発表したものも含まれている。

谷川は、こういう広く多くの人に読んでもらうために書いた詩はメジャーな出版社に出してもらい、『minimal』など実験的なものは思潮社など詩が中心の出版社に出してもらう、という方針をとっているようだ。それはなるほどと思うが、もちろん詩の世界では谷川のような特別の存在の人にしか出来ないことではある。私にもこういう方針が取れるようになるといいなあと思う。

初出一覧を見ていると、1990年代後半に谷川がほとんど詩を書いていない、少なくともほとんど発表していない時期があることに気がつく。これは現代詩手帖の座談会でも取り上げられていたけれども、「現実を詩の視点でしか見られなくなっている自分に嫌気がさした」(『minimal』後書き)からと言うことらしい。現在はまた旺盛な発表意欲が戻ってきているようだが、そのあたりは積極的にポエトリーリーディングに取り組んでいることと関係があるのだろうと思う。しかし、その時期を通り過ぎて、また詩を書き始めたときに実験的な短詩集『minimal』と、そうした「嫌気」の本質を抉り出した『詩人の墓』を出したことは、地中に潜ったある種の地獄めぐりからの生還報告のようなもので、でもそこでこんなすごい作品群を生み出すことができるのが谷川俊太郎の谷川俊太郎たる所以なのだなと思ったのだった。

萩原朔太郎も何度も詩を発表していない、中断している時期があったが、朔太郎は人生50年余り、最初の詩集が出てから20年余りしか生きていないのでトータルでもその期間は短いが、谷川俊太郎の場合は1952年に最初の『二十億光年の孤独』を三好達治の序文つきで出版してから既に56年のあいだ詩を書きつづけているというほかに比べられるのはゲーテぐらいしか思いつかない人なので、その中断の時期も何度もあって、何と言うかやはりこの人は巨人なのだなと思う。本人は反権威だといっているからそういわれることはあまり嬉しくないだろうけど。

『現代詩手帖』の主要詩集一覧で見る限りで言うと、谷川は1950年代に4冊、56年から60年まで中断があったあと60年代に5冊、また3年の中断があり70年代に10冊、80年代に16冊、96年までに11冊だして、2002年の『minimal』までのあいだに2冊だけ出し、2002年から昨年の『私』までの間に6冊を出すというペースである。このいくつかの中断の時期にはまたそれぞれ多分、特別の意味があるのだろうと思うが、その意味まではわからない。

この『シャガールと木の葉』と『夜のミッキーマウス』はいずれも、中断の時期をはさんだ作品が収録されているし、また中断の時期そのものに書かれた作品も収録されているが、それを読むことで何かがわかるかどうかは今のところまだよく分らない。

蜂飼耳も言っていたが、詩を書く人間にとって谷川俊太郎というのはちょっと敬遠したいとか、「もう卒業した」などと口走りたくなる存在であることは否めないし、私もそういうことがあって読んでいなかったという面もあるのだが、しかし詩のことについていろいろなことを考えさせてくれる存在としては、現代において稀有な詩人であることは間違いない。きちんと認識しなおして、この巨人の作品を読んでいきたいと思った。詩の作り方については何か新しいものを喚起してくれるということは(いまのところあまり)ないのだが、逆に言えばそこまで完成された詩人であり、通俗の読み方に耐え得る詩人であるということはものすごいことだと思う。

『夜のミッキーマウス』は現在45/109ページ、『シャガールと木の葉』は現在29/109ページ。まだまだ読みかけなのだが、作品としては『シャガールと木の葉』の方が訴えかけてくる作品が多いように思う。形式的にも内容的にも実験があったりある種の「賭け」のようなものを感じさせられる作品がある。しかし『夜のミッキーマウス』の安定感、どっしりとした巨匠感もまた普通の詩人には出せないもので、これもまたそういう意味で面白いと思う。まあどんな見方でも受け入れてもらえそうな懐の深さが谷川詩のひとつの魅力なんだろうとは思った。

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