ダダへの関心とポストモダンの再発見
Posted at 08/06/21 PermaLink» Tweet
街を歩いていてときどきはっとする景色に出会うことがある。それをそのままにしてしまえばそれまでなのだが、カメラを持っていればそれを残しておくことが出来る。シャッターチャンスはそうあるわけではないけれども、植物が相手だと比較的長いスパンで許される。しかし、昨日よかったからといって今日も、というわけには結局は行かない。その場で工夫して撮ってみるしかない。
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吉行淳之介『詩とダダと私と』読了。最後のほうはリブモン・デセーニュの書いた「ダダの歴史」の翻訳で、いまいちよく分らなかったが、とにかく滅茶苦茶でスキャンダラスなものであったということだけはよく分った。既成秩序の破壊、という点で68年革命とある意味共通するものがあったのだろうと思う。しかしダダは芸術運動であって社会運動ではなかった、という点が68年とは異なる。そういえば1920年代と1960年代は似ている、という言説をどこかで読んだ。そうした反権威的な作家たちが叢生した年代であるという点において、20年代と60年代が似ていることは確かだと思った。
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「現代詩手帖」6月号で飯吉光夫「ペーター・ウォーターハウス」を読む。ウォーターハウスはウィーン出身のポストモダンの詩人で、父親はイギリスの情報将校だったのだそうだ。ここで飯由が展開しているポストモダン論が簡にして明を得ているように思う。
ポストモダンの社会的環境とは、生活がいくらか楽になって、人々の関心が生活水準以上に生活様式に向けられ始めたことである。この社会的風潮の上に立って、たとえば建築も実質的なものよりも美的なものに目が向けられたと言っていいだろう。
<細分化>が時代の掛け声や呼び声なのだろう。そう考えるとこれは確かに風潮で、二つのものの間の差異を極小にまで持っていく微分が何よりの基本原理になる。
しかし、そのいずれにしろ、それが生まれた大もとは所詮、<陰翳(ニュアンス)>への敏感さである。一つのもののかないある差異をことさらにきわだたせて、そこに情緒や詩情を持たせる。これは確かに人生の知恵だろうけれど、決定的な根源的な力には欠ける――それがウィーンやパリでのぼくの印象だったし、現在はポストモダンへの不満である。
いささか図式的だという批判もあろうが、これは私にとっては非常によく分る説明だった。自分がその時代に生きていたために、どうも客観的には見られず、あまりに当然のことだったり、そういう方向に暗黙の内に仕向けられていたことが多くて、そういう私自身にとってはむしろこうした図式が与えられることで自分の生きてきた時代を整理することが出来る、と思った。
このようにとらえてみると、ポストモダン思想は、あるいはその背景にあってそれと分かち難く結びついている時代状況は、広く私たち自身を支配していたということが実感として感じられる。誰もポストモダンから逃れることはできなかったのだ。ポストモダンとは解体や脱構築の思想や実践だけでなく、その方向を暗黙に指し示す時代の勢いのようなもので、そのひとつの結果が宮崎事件であり、それがどんどん深まっていったことが秋葉原事件にも及んでいる。そういう意味ではポストモダン的状況はいまだ終わってはいないし、911後すなわち「テロとの戦い」以降の「新しい時代状況」もまた、差異の時代の時代状況ととらえることも出来る。ただポストモダン思想の背景にはこうした時代状況を楽天的に肯定する部分があり、そこがこの思想を古いと印象付けるもとになってしまっているのだと思うが、こうした時代状況を「乗り越えるべきもの」と定義しなおしたときに、ポストモダン思想もまた新たな生命が吹き込まれることもありえるのかもしれないと思った。
ウォーターハウスの詩は快い、と飯吉は言う。
このような快適さとは何なのか?それはおそらく、これまでの詩人たちが対象の中身をストレートに問題にしたのに対して、ポストモダンの詩人たちが対象のありように眼をとめたことだと思う。(中略)
…ここには<気配>とか<雰囲気>とかいうものに対する感覚、今日視覚芸術の分野では<Ambiente>という語であらわされている<環境>への感覚の先きどりがある。(中略)
これまでの無骨さは繊細さを忍び込ませることですべて破壊できるとウォーターハウスは考えているようだ。
このあたりも非常によく分る。私も<気配>や<雰囲気>というものが関心の中心である場合が多々あるし、詩を書くときなどはやはりそういう方向に傾く。そして、「繊細さによって無骨さを破壊する」という戦略は、意識はしないまでもその方向性を信じている部分はあったなあと思うし、またこういう方向による脱構築を、演劇をやっているころには劇団の方向性として持っていた。
飯吉は、ウォーターハウスはポストモダンによって解体された現実の中にすっくと立っているものが重要で、それは「過去のしがらみを払拭された『瞬間』」だと言っているように思えるが、そうした『瞬間』を生む場は詩の中にしかないだろう、という形でウォーターハウスを肯定している。
しかし現実の作品として、彼の散文作品は「散文」としては破綻している、という。それは「散文が事柄の伝達を主とし、詩の言語が感情の伝達を主としているから」、と言っている。これはヴァレリーの言う「散文は歩行であり詩は舞踊である」という言葉をまさに散文的に表現したものだが、そういわれると私の短篇小説がどこが問題があったのかよく分ってきた。
飯吉が最終的に問題にしているのはこの部分で、詩と散文の融合は可能か、ということに話を持っていっている。詩の可能性も散文の可能性も保ったままひとつの文章にするのはやはり至難だろう。また、それぞれに特徴があるのだから無理に融合させることもない、という考え方もある。このあたり、作業としては難しいが考えるテーマとしては面白い、といったことだろう。逆にいえばテーマの面白さにひかれて作品としては破綻してしまうという無数の例が生み出されているということにもつながっていくのだが。
***
松本に愉気の会に出かけて行く道に麦畑が広がっていた。心を奪われた。
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