朔太郎と自然主義/小林多喜二『蟹工船』つづき
Posted at 08/05/29 PermaLink» Tweet
夕べから降り出した雨が、朝はかなり降っていたのだけど、10時前の今になるとほとんど上がり、雨上がりのいくらかぼおっとした空気の中に、少しの風と雲の去っていく気配が漂っている。遠くの道を行き交う車の雲のようなかすかな音。近くで時々ちちと鳴く鳥の声。雨上がりの静けさを私は愛する。やがて過ぎ行く移ろいの至福。
昨日は午後から夜にかけて仕事。半ばあきらめかけていた仕事が入ったので少し喜ぶ。いろいろ対処すべきことはあるが、仕事があること自体がまず大事なこと。しっかり軌道に乗せていきたい。
青猫―詩集 (1980年)萩原 朔太郎日本近代文学館このアイテムの詳細を見る |
昨日から萩原朔太郎の作品や批評をぱらぱら読んでいる。『青猫』はまだ82/220ページだが、これは初版本の復刻なので、読んでいて非常に重厚な感じがある。私は居間までどちらかというとテキスト派というか、文字が読めれば文庫でもプリントアウトでもかまわないという考えだったのだけど、この『青猫』を読んでかなり考えが変わった。特に詩や場合によっては小説など、愛玩する対象になる要素が含まれている場合、ものとしての存在感がかなり重要になってくる。文字も、写植の味気ない文字ではなく、昔の活字の味わいがかなり大きく著者の身体感を蘇らせる部分がある。こういう本を見ていると書物が総合芸術であることを思い出させるが、文庫ばかり読んでいるとそういうことに思い至らなくなる。
萩原朔太郎詩集 (新潮文庫)河上 徹太郎,萩原 朔太郎新潮社このアイテムの詳細を見る |
河上徹太郎編の『萩原朔太郎詩集』は『月に吠える』『青猫』をはじめとして朔太郎の詩集各編からの抜粋だが、読み比べてみると『月に吠える』と『青猫』が他の作品群と比べても屹立しているのがよく分る。他の詩は、朔太郎でなくても書けるかも知れないと思うが、この二つの詩集は朔太郎ならではの作品だと思う。これはおそらく、かなりの部分、衆目の一致するところだろう。ただ残念なのは、『月に吠える』のなかで私が重要な詩だと思う「およぐひと」が収録されていないことだ。「青空文庫」で確認すると、「くさつた蛤」と題された詩篇の中に入っているのだが、「ばくてりやの世界」「およぐひと」と続く私の好きな二篇が省略されているのは、河上徹太郎がこれらの詩を評価しなかったということかもしれない。逆に、そういうところで編者の朔太郎観がうかがえるから興味深いということでもある。
『文芸読本』を読んでも三好達治『萩原朔太郎』を読んでも、あるいは河上の解説を読んでもそうだが、朔太郎は自分が強く否定した自然主義の影響を強く受けている、というよりも支配下にある、という指摘があって興味深い。朔太郎の詩の一番強烈な魅力はボードレールなどの象徴詩とは違うし、また室生犀星のような抒情詩とも違う。また北原白秋のような技巧とも違う。そこにむしろ人間の感情とか欲望とかをありのままに描こうとする自然主義の影響がないとはいえない。ただ、それが自然主義のように散文ではないためにいわゆる自然主義的な臭気が発せられず、またその突き抜けた言葉の用法のために非常に現実離れしているように感じられるので、自然主義的な臭気、すなわち自己憐憫とかぐずぐずと開き直った自己肯定のようなものが感じられないというところが大きい。朔太郎は、自己を肯定などしておらず、むしろ異形の自己そのものに呆然としたまま、それを記述しているのだと思う。西脇順三郎の言う驚きのイロニーというか、そういう新鮮さが朔太郎にはある。自己の本体の姿に驚く朔太郎、呆れる龍之介、うんざりしながら記述する漱石、偽悪的に語りつつひそかに肯定する自然主義作家、藤村や花袋、というような印象がある。一番新鮮なのは驚く朔太郎だろう。彼には肯定も否定もない。基本的には驚きっぱなしで、驚いたまま一生を走り抜けたような人なのだと思う。
蟹工船・党生活者 (新潮文庫)小林 多喜二新潮社このアイテムの詳細を見る |
小林多喜二『蟹工船』。現在74/139ページ。船内の男たちが究極に追い詰められて行き、漁夫が欲望のはけ口に雑夫に夜這いをかけたりもしながら、ロシア人に助けられた漁夫の話からプロレタリアとしての自覚に目覚め、連帯意識を強めていく、という展開。プロレタリア文学のひとつの教科書どおりの展開のような気もするし、ある意味「赤化のための教科書」として上手く書けているなという面もあるが、そのことについては作中でもそういうことが言われていて、その起こっている現象を決め付けてない態度がこの作品の大きな魅力なのだと思った。船出の当たりは非現実的な感じだったのが、読み進むに連れてどんどんリアリティが出てくるところが面白いなと思う。昭和初期の労働者・農民、下層階級が搾取される実態が淡々と語られているところなどは、きっと現代のワーキングプアの人たちもうなずきながら読んでるんだろうなと思う。既成産業・大企業では野蛮な搾取はできないが、新しい産業、この本で言えば蟹工船、現代で言えば派遣や請負など新しい労働形態を生み出すことで使用者側に圧倒的に有利で搾取可能な状況を作り出しているという仕組み上の問題は現代でも似た部分は確かにあると思う。その深刻さ、悲惨さはかなり形も程度も変わっているとは思うけれども。
また雨が降ってきた。そう強くはなく、穏やかに降る雨。午後からは上がるはずなのだが、さていつまで降り続くのか。
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