「髪は自然乾燥の方がいい」は迷信らしい/「食べてしまったこと」への罪悪感

Posted at 08/05/26

今日はかなり天気がよくなって来た。朝のうちは曇っていたのに、午後になってからは強い日差しがさしている。少し風があるので、暑い感じはしない。10階の部屋に、気持ちよく風が通る。今日は朝から半袖、白いポロシャツ。家の中でも外でも、これで十分。一気に夏が来た感じ。本当の夏はこんな暑さじゃ済まないが、これくらいで済めば日本も過ごしやすいのになとは思う。

人間噂八百
足立 淳
産経新聞出版

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昨日。見るものに迷い、けっきょく原美術館に所蔵品展を見に行く。とちゅう大手町で降り、丸の内丸善で足立淳『人間噂八百』を購入。マンガのコーナーには見つからず、サブカルチャーの棚で見つけた。『コミックガンボ』休刊以来、他社から単行本が出たのはこれが初めてではないか。編集にはガンボの石川誠壱氏の名が出ているので、今回の単行本化にも関わられたのではないかと思う。数奇な運命をたどったマンガだが、作者のブログを見るとマンガ専門店などでは好意的に扱われていて、それなりの売り上げを見せているようだ。私はガンボの読者だった者として、なんとなく連載陣には連帯意識があるので頑張って欲しいと思う。『ステージガールズ』もどこかで2巻を出してもらえないものだろうか。

東京駅から山手線で品川に出、御殿山ヒルズの隣を通って原美術館へ。少し変な道を通ったが、公園の中の木の階段を上っていくルートを発見した。原美術館は2階が工事中で1階のみの公開。デートコース化してるのか?そういうことで半額。昨日見られたのはナムジュンパイクなど28点。この所蔵品だけではちょっと物足りない。ミュージアムショップは若い子がたくさん。レストランはわりあい空いていたが、どうも入る気がしなかった。美術館にカフェは付きものだが、見疲れるほど見て初めて入る気になるものだと思った。少し残念。せっかく品川に着たので駅に戻ってからウィングで本屋を探す。くまざわ書店があったが隣のカフェがかなり賑やかで、書店としての条件はそういいとはいえない。品川ってホテルとかは多いからラウンジでコーヒー飲んだりするのにはいいけれど、今ひとつ文化性がないなあと思う。

萩原朔太郎 (新文芸読本)

河出書房新社

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帰りに再び丸の内丸善。詩のコーナーで『新文芸読本 萩原朔太郎』(河出書房新社、1991)を購入。これも良く見たら17年前の本か。表紙を含め、少し古い感じがするなあとは思ったが。中身はまだよく読んでいないが、私の読みたいものとはどうも微妙にずれている感じがする(表紙からして)。萩原朔太郎は日本の近代史において画期を為す偉大な存在だということでは一致していると思うのだけど、その脱偶像化とかに急で、大事なことが見落とされているような気がしてならない。大正にこのような詩人が出たことは、私は奇跡に近いことだと思う。なぜそんなに凄いことが起こったのか、ということを私は知りたいのだが、みな何とか等身大に貶めようとしかしていないように思われる。そのすごさを十全に味わえるような詩評が読みたいものだと思う。自分で書けばよい、とも思うが。

神南火 (ビッグコミックススペシャル)
星野 之宣
小学館

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星野之宣『神南火』(小学館、2004)読了。猿田彦・天のウズメ伝説を扱った「サルメ」が印象に残る。猿田彦は天孫降臨以前の天神、太陽の神であったというのは説得力がある見方だ。wikipediaを見ると、そういう説も現にあるらしい。興味深い。

Cookie (クッキー) 2008年 07月号 [雑誌]

集英社

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今日はCookieの発売日。昼食の買い物に出たついでにローソンで購入。『NANA』を読んでしまえば後は読むとこないなあ、と思っていたらスーパージャンプに「高円寺チェリーボーイズ」を連載してる東村アキコの「きせかえユカちゃん」というマンガが掲載されていた。SJのと違ってこちらは泣かせる展開。やはりマインドは少女漫画なんだなと思った。そのほか面白かったのは高須賀由枝「レッツ☆ヘアケア」。洗髪後、髪は自然乾燥の方がいいというのは迷信なのだそうだ。ドライヤーの熱風でキューティクルを補修した方がむしろ髪にいいのだそうだ。これは私の実感にもあっている。自然乾燥すると髪がバリバリになる。ドライヤーで乾かしておくと髪の毛が柔らかくなる感じがする。ブローローションなんて物はつけたことがないのでよくわからないが。

今日は朝から、なんか数時間もネットを見続けてしまい、雑然たるネタを膨大に仕入れた感じがする。印象に残った物二つ。

時々読んでいるブログ「マイネ・ザッヘ」の北海道に関する話。阿寒湖畔のホテルで、「洞爺湖に客を取られて客足が落ちてる」という話を聞いた後で、従業員の気配りが少しかけてるなという印象を持ち、それも客足が落ちている原因ではないかというと、「いや、違う。マリモが飽きられ、旭山動物園に客を取られているからだ」という答えが返ってきたのだそうだ。また、つまらないことで絡んできた交通警官にもっと暴走ドライバーを取り締まれといったら、「こんなに広い北海道に1万人しか警官がいないからやりたくてもできないんだ」といわれたのだという。oribe氏は「あれのせい、これのせいと、すべて他次第。もちろん努力だけではどうにもならない現実はあるでしょうが、そういう風に考えてしまうことを、情けないことと感じる姿勢がなければ、客へのサービスがうわべだけを繕ったものになるのも当然です。」と嘆いている。

こういうふうに考えることを全然変だと思わない思考回路は確かに存在する。で、指摘されてもどこがおかしいのか気が付かない。多分、回りもみんな同じような思考法をしているのだろう。残念ながら、特に地方の人にこういう考え方をする人が多いのも事実。自分から努力することが自分と関係のあることのように意識しにくいということなのだろうと思う。どちらの方向にしても向上心はあった方がいい。自分と違う考えの人であっても、その人の向上心が見えるとさわやかな感じがして納得できることが多いが、そうでないとやれやれということになってしまう。

食習慣を変えることの難しさについて甲野善紀氏が書いていること

「食べる物を厳重に気をつけて、しばらくは体調も良かったのだが、一生懸命我慢をして食を締めていたのが、フト気が緩んでアイスクリームを食べたら抑制が利かなくなって、バケツ一杯ほどアイスクリームを食べてしまい、以後は罪悪感からメチャクチャな生活になってしまったという話がある」

この感じはよくわかる。我慢し続けているときはともかく、少し気を緩めて食べないようにしていた物を食べてしまうと、「抑制がきかなくなる」。これは多分、ダイエットをやったことのある人なら皆経験していることだろう。私はダイエットではないが、体調のために食事の量を減らすことをしていたときに、そういう経験は何度かしている。そして頑張っていると頑張っている分だけ、食べてしまったことに「罪悪感」が募る。拒食症や過食症というのも、この罪悪感が過剰に作用することに関係があるのだと私の経験からは思う。

「私もいわゆる自然食を知って40年。さまざまな例を知っているし、自分の体験も通して、好みそのものが変わらねば絶対に無理があると痛感していたので、敢えて意志で食べるものを選ばないようにしていたのである。」

ということばは説得力がある。座って書き物をしているとつい何か食べたくなってしまうので、私は家に食べ物を基本的に置かないようにしているのだが、必要に迫られて買い置いたりするときもあり、そうなると一段落するたびに冷蔵庫を開けてしまったりして困る。人間にとって食べるということは本当に基本的な欲望だと痛感することがこのごろ多い。

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