『ティファニーで朝食を』:無垢、奔放、スピリチュアリティ

Posted at 08/03/08

今朝上京。土曜朝の特急はいつも混んでいる。指定を取ったときにはまだかなり空席があったのに、実際に乗ってみたらほぼ満席。わたしの籍も、乗ったときには既に隣に背が高い若い女性が座っていた。彼女は八王子で降りたが、ずっと目をつぶっていたので、朝日が入ってくる窓のブラインドを下げていて、外の風景が見たい私はときどき遠慮しながらブラインドを上げて朝日を見ていた。

車中ではずっと村上春樹訳『ティファニーで朝食を』に収められた短篇を読んだ。「花盛りの家」「ダイアモンドのギター」「クリスマスの思い出」の三本。一番好きなのは自伝的なエッセイっぽい「クリスマスの思い出」かな。後の二本も読んでいるときにはあまり気に入らなかったけど今思い起こして見ると割といいなあと思う。

ティファニーで朝食を
トルーマン・カポーティ
新潮社

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村上のあとがきを読んで、カポーティーの作品を貫くものについて考える。村上はカポーティの苦しみを「霊的なるもの」と「物質的なもの」の狭間における対立、ととらえる。主人公たちはイノセンスの中に生きようとするが、しかしそれは失われる運命にある、ととらえる。

イノセンスとは何か。私は最初、スピリチュアリティへの渇望、ととらえてみた。そうなると精神的な愛と物質的な欲望の狭間で精神性を求める、みたいな感じになってしまう。しかしカポーティは物質的な欲望を実現することそのものを否定しているわけではない。主人公たちはむしろストイックなまでに物質的な成功を目指している感があって、そのあたりである意味ソローやホイットマンなどのアメリカ精神を受け継いでいる感があり、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の関係みたいなものを思い起こさせてしまう。物質的な成功そのものが神の恩寵の証明であるという観念があればこそ資本主義や物質文明のこれだけの怪物化を成し遂げることが出来たわけであり、市場原理主義の根本には深い宗教的精神性があるという逆説を感得することが出来る。

主人公たちのセレブリティ志向、物質的な成功志向も、そうした精神的背景があると考えると納得できるし、現実のアメリカの自由を重んじる開放的な部分と強い宗教的原理性がなぜ共存しうるかという問題にも答え得る話なんだなと思った。

いろいろ考えながら、次にイノセンスとは自分に正直で自由奔放である、という意味かと考える。「ダイアモンドのギター」にでてくるティコ・フェオという青年をイノセンスの象徴であると村上が言うので、彼と「ティファニー」のホリーとの共通性と考えると「奔放」という言葉になるなと思ったわけだ。

しかし考えて見るとそれだけでは底が浅いし、カポーティ自身やホリーの哀しみ、苦しみというものもよく理解できない。

そうすると結局、イノセンスとは文字通りの「無垢」ということになる。よくみてみるとこの単行本の帯に「神童・カポーティが精魂を傾け、無垢の世界との訣別を果たした名作」と書かれている。

解説によるともともとカポーティは少年時代のさまざまな特異な体験を素材にして感覚的な作品を書き続けてきたが、「ティファニー」ではその路線を転換して、新しい素材を使った新しい物語を書き上げることに成功した、しかし彼は二度と天衣無縫のイノセンスを取りもどすことは出来なかった、と村上は書いている。「無垢の世界との訣別」とは、神童・カポーティの作家としての苦しみの始まりであり、ある意味二度とその限界を超えることが出来なかった運命の作品であったということになる。

この話はよくわかる。神童とか天才といわれる種族は若いころは天衣無縫の力を発揮するが、「大人」として大人の作品を作らなければならなくなったときに必ずしもうまく転換することが出来ない。未完の大器といわれたままで一生を終える人も少なくない。若いころの実りの多さに比して年配になってからの寡作に驚かされる作家は決して少なくない。また、作品を作り続けても若いころの代表作を越えられないまま終える人は多い。ジョルジオ・キリコも、エドヴァルド・ムンクも。プーシキン、モーツァルト、ランボー、みなそうだろう。みな自らのイノセンスを使い果たしたときにその芸術家としての生を終えたのだ。

イノセンスとは何か、そしてカポーティをそう評価する村上にとって、イノセンスとはどういうものなのか。それは十分にはあとがきに書かれていないような気がする。それは読む側に任せよう、ということかもしれない。

無垢であること、奔放であること、そしてスピリチュアリティ。そこにアメリカ文明の琴線に触れる部分と、人間存在の真底に近づきえるテーマがあるのだろうと思うけれども、一言ではうまくまとめられない。まあしかし、『ティファニーで朝食を』という小説が思ったよりずっと深いテーマを抱えているらしいということはおぼろげながら分かってきたところではある。

地元の駅で降りて家に帰る際、レンタル屋でヘプバーン主演の『ティファニーで朝食を』を借りた。後でじっくり見て原作と比較してみたいと思う。

ティファニーで朝食を

パラマウント ジャパン

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