読めないマンガ

Posted at 08/02/28

私が買う雑誌は月刊誌が中心で、隔週刊もいくつかある。発売日が大体重なってしまうため、新しいものが読みたくても読めないときは全然読めないし、今でなくてもいいんだけどと思っても新しいものが出てるとやはり買ってしまうので、変に時間つぶしをしてしまうことになることもある。雑誌とうまく付き合うのはなかなか難しい。

今のところ必ず買っているのは――ほとんどマンガなのだが――隔週刊の『スーパージャンプ』(集英社)と『ビックコミック』(小学館)。月刊の『コミック乱』『コミック乱TWINS』(リイド社)。それから最近買うようになったのがやはり月刊の『Cookie』(集英社)と『コミックゼロサム』(一迅社)、『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)だ。

それぞれの雑誌には目当ての作品がある。SJは大河原遁「王様の仕立て屋」、『コミック乱』はみなもと太郎「風雲児たち 幕末編」、Twinsは「忠臣蔵」「仕掛人梅安」。しかし青年誌はどれか一つが目当てと言うより、いくつも読んでいるので目当てがどれと言えなくなる状況もある。BCは最初は「築地魚河岸三代目」が目当てで読み出したが、今では特にこれと言うものもなく、どれも同じような比重で読んでいる。

しかし最後の三冊は事情が異なる。Cookieはほとんど矢沢あい「NANA」しか読まないし、ゼロサムもおがきちか「Landreaall」しか読まない。ダヴィンチも山岸涼子「舞姫―テレプシコーラ第2部」が休載の月は買わない。ダヴィンチはさすがに買ったらほかの記事も読むけれども、Cookieとゼロサムはほとんど読まない、というより読めない。

以前、「少年漫画雑誌は絵が汚いから読む気がしない」という女の人がいたが、私はCookieに同じことを感じる。「NANA」はシャープな線で魅力的なのだが、Cookieのほかの作家の線が汚く見えてどうも気に入らないし、内容的にもどうも読むことが難しい。そこに流れている価値観にこちらが拒絶反応を示してしまうのだろうと思う。そのあたりはゼロサムも同じで、この世ならぬ世界の構築と言うのはランドリオールだって同じだし、大体ナルニア以来私はそういうものが好きなはずなのだが、どうもだめだ。Cookieと違い、ゼロサムの作家の線はシャープできれいで、これは絵がいわゆるアニメ系であるせいだろう。少女漫画のほんわかした線でも陸奥A子なら読めるのだが。

読まない雑誌を買うのは無駄なのだが、読みたいマンガを単行本が出るまで我慢するのは体に悪い(大げさだが)し立ち読みだけでは満足できない。何度も読み返すからまあいいのだけど。

ケータイ小説は現代の少女たちのノンフィクションだ、と言った人がいたが、Cookieやゼロサムの作品も現代の少女たちのノンフィクションや心象風景であるのだろう。特に少女漫画や少女向け小説においてジャンルが限りなく分化していくのは理由があることなのだと思うのだけど、私にはよくわからないし、評者の分析を読んでもあまり納得がいかない。ある種のトラウマの表現なのかなと思うことも多いのだが、その表現があまりに固定化されているようにみえる。ラノベだとか801だとかセカイ系だとか言葉は蔓延しているが、なにをどうしたいんだかよくわからないと言えばいいのか。

よく分らない世界だがその世界にとにかく浸りたいと言うことか。それならかろうじてわからないことはない。諸星大二郎の世界とかに浸るのは私も好きだから。ただ諸星の世界は桁違いの博学に支えられているからこそ魅力的なのだが、こうしたマンガにそうした教養や博学があまり反映されている気がしないし、そういう問題ではないんだろうな。

なんと言うかぷちぷちを潰すのが好き、というようなかなり生理的な次元での趣味の共通性のような気がするのだが、そんなことはないのかな。生理的な次元の話になると、自分の整理と共通するものを持っている人でないと共感を感じることは難しいから、お手上げだ。

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by Luke Peterson

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