ベジャール/不安と不信

Posted at 08/02/15

また体調を少し崩す。いろいろやってみたが、素人療法は返って危ないかもしれないという気がしてきた。とりあえず様子を見て、また明日対処。

午前中は仕事の関係で行ったり来たり。午後は『ベジャール』を少し読む。ベジャールは昨年80歳で亡くなったが、80歳という年はストラヴィンスキーに会ったりニジンスキーの未亡人に会ったり出来る年だったんだなと思う。私の父より7歳上。1927年だから昭和2年生まれか。

総特集 モーリス・ベジャール 1927 ~ 2007 2008年 03月号 [雑誌]

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『コリオグラファーは語る』を読んでいるとベジャールは旧世代だな、と思ったけれど『ベジャール』を読んでみると新しい世代の方が私の感覚的な好みとずれているかもしれないと思う。いろいろな発想を湧きあがらせてくれる作品を作っている。個より類、ということなんだろう。この概念を、もっと違う自分なりのぴったりした言葉で見つけたいのだが。

コリオグラファーは語る (Performing Arts Books)

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「不安」という問題と「不信」という問題。不安を持っていても信じるということはできると思うが、不信を持っていて安心することは出来るのだろうか。こう書いてみると出来ないような気がする、というのは自分は一時それで潰れたような気がするから。しかし不信に類する言葉を並べながらぴんぴんしている人たちも世の中にはいて、そういう人たちは私より丈夫なのかそれとも不信の毒が回らない特異体質なのか。いずれにしても私とは違う人間だと思われてならない。

それとも本来生命の力というのは、不安とか不信とかそういう人間の不足を寛大に受け入れる力を持っていて、そんな精神の人間でもしっかりと支え得るほど強いのだろうか。

強い人間になるために最も必要なのは、生命の力を信じそれに安んじられることであり、そのためにはもてる生命の力をフルに発揮しなければ生命の力を伸ばすことは出来ないのだろう。一歩前に踏み出す力が常に必要なのだ。

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