バレエ:身体と言う現場/バレエ:諸芸術の統合

Posted at 08/02/07

今朝。目が覚めたら4時過ぎ。こんなに早く目が覚めたのは久しぶりだ。昨日は仕事が暇だったので少し早上がりし、寝たのもいつもよりだいぶ早かったからかもしれない。早く目が覚めてみると、早い時間から実は外の音がしていることに気がつく。そういえば早起きしていたころにはよく聞いた音、新聞配達の車の音、毎朝同じ時間に出かける車の音(この車はいつもバックで坂を上がって来るので特徴的)、近くのお湯汲み場でバケツにお湯を入れる音、など。

朝の日課、順番を入れ替えてやってみる。とにかく昨日は、『コリオグラファーは語る』と『バレエの歴史』を読んでいて、自分がこんなにも舞踊というものに近いところにいたのかということに(精神的にだが)やっと気がついて少し呆然とした感じを持った。昨日は28年ぶりということを書いたけど、それほどではないにしても芝居をやっていたころは舞踊にかなり近いところにいたのだ。しかし結局、それに対して本格的な関心を持つことなく、芝居自体から離れていってしまっていた。もしあのころ一冊でもこんな本に出会っていたら、考えることは全然違っていたかもしれないと思う。

今午前6時20分。急激に眠くなってきた。朝の日課をして、だいぶ体を動かしたから眠くなってしまったのか。信州の朝は寒いし、いろいろ考えごとをすると眠くなる傾向はあるのだけど。

とにかくいま自分に必要なことは、いろいろな踊りにふれていくことなのだと思う。本を読んだり映像や音響に触れていくことも大事だが、なるべく生のものに触れていくこと。今更それで何が出来るかは分らない、それについて書くことぐらいは出来ると思うけれども、踊りというものは「私のための芸術」(なんだってそうだが特に)なのだと感じたのだ。

『バレエの歴史』も面白い。まだ58ページなのだが、バレエがフランスの宮廷での「宮廷バレエ」に起源をもち、「最初のバレエ」とされるものがちゃんとあるということ。1581年にカトリーヌ・ド・メディシスが主催した『王妃のバレエ・コミック』というもの。バレエとはその後も主に宮廷によって主宰され、詩と音楽と演劇と美術を総合して、調和と秩序を表現し、諸芸術の総合という理念は、大貴族たちを従えて国王が王権を確立していくという時代的要請に合致していた、というのだ。バレエはだから当初は舞踊そのものというよりも諸芸術の融合を体現したものだったのだ。バレエが本来そうした華やかなものを表現したものだということははじめて知った。バレエが華やかなのはむしろ当然なのだ。

バレエの歴史―フランス・バレエ史-宮廷バレエから20世紀まで

学習研究社

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また、バレエは祝宴と渾然一体となって催され、夜から朝方にかけて何時間も行われる社交の舞台でもあり、そこでは王たちも国王そのものを演じたり、場合によっては自分のやりたい別の役柄を演じたりした。時代によって演劇的な要素が強くなったり舞踊的な要素が強くなったりしたようだ。

こうした歴史的な社会の中での、また国家の中での位置付けを知ると、バレエに対する興味もまた強くなるし、関心の持ち方もより大きな視点から見るものに変化する。コンテンポラリーの振付師たちの前衛的・実験的な作業も面白いが、バレエの持つ壮大なスケールというものの意味を改めて考えさせられるこうした話も大変面白い。

『コリオグラファーは語る』で振付師たちが語っていることは実に根源的な、身体と精神の関係、身体と心の関係、と言ったことで、文学者や哲学者が語っていることは「現場」を持っていないと常に感じていた私にとっては、「身体」という現場を持ってかたるコリオグラファーたちの発言は非常に説得力のあるものに感じた。

コリオグラファーは語る (Performing Arts Books)

新書館

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ノイマイヤーもキリアンもフォーサイスも面白い。フォーサイスがノイマイヤーに対して否定的で、キリアンに対しても音楽という側面に特に評価が偏っているのも興味深かった。それは世代的な差と言うものがあるのだろう。プティやベジャールは1920年代の生まれ、ノイマイヤー、キリアン、フォーサイスは40年代の生まれだ。

ノイマイヤーが舞台に現実と幻想(内面)を同時に現出させる『オテロ』の振り付け、フォーサイスの脱構築的な振り付け、それぞれ面白い。キリアンがNDTでやっている40歳以上のダンサーによる作品作りという試みもものすごく面白いと思った。40代のダンサーは20代のダンサーのようには飛べないだろう。しかし明らかに、20代のダンサーに持ってないものを持っている。これは自分が年を取ってきたせいもあるが、非常に面白い試みだと思った。

またキリアンはアボリジニの舞踊にも強い興味を持っていて、実際に見に行ったアボリジニの舞踊からいろいろなものをインスパイアされている。アボリジニの舞踊の跳躍には全くプリパレーション(準備、「ため」のようなものだろう)がない、という指摘は甲野善紀の古武術の動きと共通するものがあるだろう。

インタビュアーの三浦雅志は遊牧民のダンスが高く飛ぶバレエで、農耕民のダンスが低く舞う能、狩猟採集民のダンスが高く飛び地面を強く踏むアボリジニのダンスだ、という見解を述べていて、これも興味深かった。

『バレエの歴史』でなるほどと思ったことをもう一つ書いておく。トラジディとコメディは悲劇・喜劇と言うわけ方とは少し違う。トラジディは「能」のような神や超自然なものと人間とのかかわりを表現したものであり、コメディは「狂言」のように人間どうしのドラマを描いたものだ、という指摘である。なるほどそう説明されるとうまく納得できる、と思った。

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