リアリティとファクトの間/エコなお札

Posted at 08/01/02

今日から本格始動。

奈良美智『NARA NOTE』(筑摩書房、2001)。いろいろなヒントが詰まっている。まだぜんぜん読み始めたばかりなんだけど、既に彼が書いているいろいろなことに自分の答えを書いてみたらどんどん出てくる感じで、びんびん。(関係ないが、最近の小説作品はあんまり擬音語や擬態語がでてこない気がするが、気のせいだろうか。鍵が開く音とか、「カチャ」とか描写している文章をあまり読まない気がする。鍵の開く音って、必ずしもカチャ、じゃないんだよな。でもそれを描写しようと思っても、今度は鍵の音だかなんだか分からなくなる。「タン」という音がして鍵が開いた、とか言っても分からないだろう。)

NARA NOTE
奈良 美智
筑摩書房

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最初にいきなりリアリティとファクトとTRUTHに対する考察がでてくる。

「リアリティ ― 自分の中で実感できる/現実または空想も含む
 ファクト  ― 自分の外・実感を伴わない現実も含む
 Truth    ― リアリティとファクトの間/信じたいと思う願望も実は含まれている」

うーん、なるほど、と思う。リアリティは現実(感)、ファクトは事実、Truthは真実、と訳してもいいと私は思うんだけど、実感できるものが現実、自分のとそにあるか実感できないものが事実、自分の中と自分の外の間にある願望も含むものが真実、という見方は面白いなと思った。

特に「リアリティとファクトの間」に真実がある、という発想は今まで私はしたことがなかったので、ちょっと目が開かれた感じ。飽くまで事実の向こうに真実がある、と思ってたんだな。でも、リアリティの側から真実に迫るとしたら、真実には必ず「主体」というものが含まれることになる。ファクトは自分の外、客観的なものだから、どこまで行っても主体は含まれない、いや、観察者・実験者・実行者としての主体はもちろん忍び込んでいくけど、いないふりをすることが多いのではないか。その辺に事実から真実に迫ることのごまかしが生じやすいんだろう。ハイゼンベルクの不確定性原理とかをブルーバックスで読んだときに観察者の存在によって観察結果が変わってくる、という話が面白いなと思ったが、観察結果というものそのものが観察者の主体的な意図によって始めて存在するものなわけだから、科学においても主体というものを捨象することは本当は出来ないということなんだなと思う。

主体を捨象することが客観性の担保には必要だ、という発想が自分の中にもあるけれども、真実は主体的にしか把握できない、というのは本当なんだろうと思う。真実は物事を動かす力になるけれども、事実は必ずしもそうはならないし、事実によって情動が喚起されることでむしろ無軌道な爆発が誘導されることさえある。

禅のことを考えてみて、たとえば手を叩いたときにこの音は右手から出たか左手からでたか、ということを問う公案があるのだけど、右手も左手も音を出すために動くのは主体の意志によって初めて動くのだから、音を出したのは右手でも左手でもなく主体(敢えて言えば心)だ、ということなんじゃないかなと思った。言葉は客観性を気取るから主体というものの存在を述べるのは苦手で、だから敢えて禅は「不立文字」を宣言するのだけど、主体もまた言葉によってしか説明できない部分があり、だから千万語を費やされる。禅の追求する真実というのはそういうものなんじゃないかなと思った。

アーチストや文学者は真実はリアリティの向こうにある、と考え、科学者は真実は事実の向こうにある、と考えるのは、まあ言えば「群盲象を撫でる」ようなもので、象を見たことのない人に言葉でどういう動物かを実感させることはできないというようなものだ。リアリティとファクトの間にTruthがある、というのはある意味言い得て妙で、確かに象はたくさんの群盲の間にいるのだ。

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キャメロンのレッスン、10週を終わって11週に入った。発想がどんどんでてきて、本当にこのレッスンは面白い。ただ人によっては、モーニングページを毎日続けるということは大変なんだろうな。無理をしても続かないとは思うけど、出来なくても「なるべく」毎日やる、というくらいでいいから続ければよいのだと思う。

ずっとやりたかったことを、やりなさい。
ジュリア キャメロン,Julia Cameron,菅 靖彦
サンマーク出版

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最近いろいろなものとであったり、いろいろなものを新しい見方で見られるようになっているのはこの本のおかげだと思うし、新しい作品も書いている。自分の中を洗濯しながら、新しい作業に入れて嬉しい。

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昨日はいろいろやっていたけどテレビも見た。天皇杯の決勝は途中までで、鹿島が勝ちそうだからテレビを消して銀座に出かけた。元日の銀座は気持ちいいくらい何もかも閉まっていて、返って面白かった。こんな光景、本当に元日だけだろうなあ。しょこたんの『空色デイズ』は買い損なったけど。

空色デイズ(DVD付)
中川翔子,サイトウシンヤ,黒須克彦,平田祥一郎,meg rock,大内正徳
ソニーレコード

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夜はかくし芸を見る。まああんまりまじめに見てないけど。トランポリンで火の輪をくぐるのはやっぱすごいな。しょこたんのヌンチャクは見そこなったが、ギャル曽根の皿回しは見た。

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今朝も日の出を見に荒川に出かける。昨日と違って人はあんまりいなかったが、でもただ朝日を見る人が何人かはいた。毎日(なるべく)見てる人は私くらいしかいないだろうけど。

帰りに富賀岡八幡でお参りし、一月の「生命の言葉」というお札を貰ってくる。

「天地(あめつち)の中に満ちたる草木まで 神の姿と見つつ恐れよ」 吉田兼邦

このお札は東京神社庁が制作しているもので、このあたりの神社によくおいてある。私は毎月貰ってきているけど、今月のお札はエコだな。まあこういう考えが日本的なエコロジーの原点にあるといっていいんだろうと思った。

でも今朝は寒かった。何度くらいだったんだろうとこのブログ右カラムの「ネコ温度計」の「今の温度を見る」というところをクリックしてみたら、1℃という表示が出て驚いた。寒いはずだ。

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