実現しなかった美しい死
Posted at 07/12/07 PermaLink» Tweet
川端康成『伊豆の踊子』、最後の作品「禽獣」を読了。
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三島由紀夫が「名作」と書いているので期待したのだが、これが一番わかりにくい。主人公の小鳥への偏愛と冷淡さは非常によくわかるのだけど、千花子という女性との感情のやりとりがぴんとこない。男の一人称でも「伊豆の踊子」はとてもわかりやすく、読みやすかったのだが、小鳥についてのくだりが書き込まれすぎているのか、千花子という女性が余りよく浮かび上がってこない。
菊戴(きくいただき)、という鳥の名前はいい。この菊戴のつがいの魅力と死というのがこの小説の根本にある。
昼間松本に出かけたので、車中でもう一度この小説を読み直してみた。特に千花子関係の部分を。読み直してみると、最初どうもぴんと来なかった以下の部分が重要なのだということがわかった。
「彼は十年近く前、千花子と心中しようとしたことがあったのだ。……
「裾をばたばたさせるっていうから、足をしっかり縛ってね」
彼は細紐で縛りながら彼女の足の美しさに今更驚いて、
「あいつもこんな綺麗な女と死んだといわれるだろう」などと思った。
彼女は彼に背を向けて寝ると、無心に目を閉じ、少し首を伸ばした。それから合掌した。彼は稲妻のように、虚無のありがたさに打たれた。
「ああ、死ぬんじゃない」
彼は勿論、殺す気も死ぬ気もなかった。千花子は本気であったか、戯れ心であったかは分らぬ。そのどちらでもないような顔をしていた。真夏の午後であった。」
これは、実現しなかった美しい死の記録だ。結局彼は心中せず、結局二人は分かれてしまうが、そのいきさつについては触れられていない。そこに意味はないということだ。
彼は菊戴のつがいのうち雄を逃がし、残された雌を新たに買った菊戴のつがいといっしょにしたら、雌が一羽死んでしまった。残りのつがいも、水浴の際に冷やしてしまい、温めようとして脚を焼いてしまい、一生懸命看病したが死なせてしまった。新たに菊戴のつがいを買い入れても、同じように水浴で失敗し、また温めようとしたら女中に「旦那さま、でも、死なせておやりになったらいかがでございます」と言われて目が覚めたように驚き、結局死なせてしまった。
この菊戴のエピソードは、上の実現しなかった死の記録と、ラストの引用と重なるのだということにようやく気がついた。ラストは以下のようだ。
「ちょうど彼は、十六で死んだ少女の遺稿集を懐に持っていた。少年少女の文章を読むことが、このころの彼には何より楽しかった。十六の少女の母は、死に顔を化粧したやったらしく、娘の死の日の日記の終わりに書いている、その文句は、
「生まれてはじめて化粧したる顔、花嫁の如し」」
この十六の少女の「花嫁のような美しさ」は、心中しようとしたときの千花子の無心の美しさ、「無心に目を閉じ、少し首を伸ばし、合掌したときの美しさ」と同じであり、「死なせてやった菊戴の美しさ」とも同じなのだ。最初の菊戴の看病しようとしてよけいひどいことになった無残な死は、ラスト前の千花子の踊り(と肉体)の無残な衰えに重なる。
「彼は…彼女の踊の堕落に目をそむけた。野蛮な力の名残は、もう俗悪な媚態に過ぎなかった。踊の基礎の形も、彼女の肉体の張りと共に、もうすっかり崩れてしまっていた。」
つまり結局、彼女の美を全うするためには「実現しなかった美しい死」を実現させるべきだった、といっているに等しい。これはいくらなんでも少なくとも当時にあっては反社会的であるから、ラストが分りにくくなったのも当然といえば当然だろう。現代だって小説であれば表現として許されようが、テレビでコメンテーターが「彼女は美しいうちに死なせてやるべきでしたね」とか言ったら袋叩きに合うことは目に見えている。昭和8年当時の小説は、そのくらいには社会的であったのではないかという気がする。
このものすごく利己主義的な美の追求が、韜晦はさせているがかなり赤裸々に描かれているところが、三島は高く評価しているのだろうなと思った。そして彼の「抒情歌」の解説とあわせ読むと、要は文学に道徳性とか社会性とか人生論とかそういうものを持ち込むこと自体を不純であると見なしていることが感知されるし、つまりは思いがけず川端康成という作家は芸術至上主義者なのだということが分る。このあたりのところ、私も強く共感してしまう。もちろんそれは現実の人間を美しいうちに死なせるべきだと私が考えているということではない、言うまでもないけど。
こういうテーマを表現することの困難性に川端は立ち向かい、やや中途半端に突き放したような分りにくさで物語を終わらせているけれども、三島の解説を導線にして、その意図するところが見えた。阿部和重『グランド・フィナーレ』などはその系譜の上にある作品かなという気がした。
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現在、続いて『雪国』に取り掛かっている。これも既に感心させられる表現にいくつも出会っている。川端康成はやはり凄い。
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