川端康成とロートレック
Posted at 07/12/05 PermaLink» Tweet
川端康成『伊豆の踊子』(新潮文庫、1950)の二作品目、『温泉宿』を読了。
伊豆の踊子川端 康成新潮社このアイテムの詳細を見る |
下層の女達を書いたこの作品を読み終わって、ロートレックを思い出した。ロートレックもパリのムーランルージュで働く娼婦たちを描いている。貴族の息子に生まれたロートレックは足に受けた障害が元で画家を志し、パリで暮らした。彼の絵には、言いようのない悲しみとか、ペーソスとともに温かい同情、この世に生きる苦しみを共有するものとしての娼婦たちへの愛情のようなものが感じられる。それがそこはかとないユーモアとなって――エスプリというよりはユーモアという感じだ、フランス人だが――現れている。
川端康成の作品には、そうしたユーモアのようなものはない。ただひたすらに清冽な印象がある。女たちの描写も的確で、人物造形も個性的だ。最初はお滝とお雪という温泉宿の二人の女中が話の中心だと思っていたが、というか最初から最後まで通してでてくるのはお滝なのだが、特定の主人公というものがないといってもいい。最初はあまり強い印象がなかった曖昧宿の二人の酌婦、お清とお咲の存在感が、最後に来て急に高まるのが凄い。
お咲は生まれながら娼婦の素質を持った女、お清は体が弱く、流れてきた村で死ぬことを考え、子どもたちを可愛がる。子どもたちも彼女になつき、曖昧宿の主人も自分の子どもがなついてしまったお清を体が弱いからと追い出すことが出来ない。お清の夢は、自分の弔いで子どもたちが行列になってお墓までついてくる、というものだった。しかし現実にお清が死んでみると、彼女の通夜は淋しく、また弔いは子どもたちがまだ寝ている早朝に曖昧宿の主人と番頭が棺を担いで土葬にしただけで終わった。それをにやにやしながら見ているお咲。しかしそこに物凄さのようなものがなく、お先がそういう女であるということがむしろ清冽な印象として浮かび上がる。作者は明らかに、そういうお咲も愛しているということが感じられる。
ロートレックが外れた貴族であるのと同様、一高東大卒の、本来ならエリートであるべき川端は押さないころに両親を失った孤児であって、そうした「孤児根性」が現れてしまうことへの恐れが「伊豆の踊子」に描かれている。そうした孤児としての思いが、社会の底辺に生きる旅芸人たちや女中、酌婦などに対する親しさとして現れていることは確かだろう。しかし親しいけれどもあくまでも川端は作家であって、彼らを描き出すことのみに専念している。その距離感がロートレックとは全然違う。
川端康成というと思い出すエピソードがいくつかあるが、やはり女性がらみだ。石原慎太郎が母と一緒に横須賀線で東京に出る車中で――当時の文人は多く鎌倉に住んでいたから横須賀線は文壇史の一つの舞台だ――川端康成と出会ったが、川端は挨拶もそこそこにじっと石原の母に見入っていたそうだ。彼女が「そんなにごらんになると穴があいてしまいますよ」と笑ったためにようやく川端は視線をはずしたそうだが、その女性への執着の凄さはやはりある種の怪物性があったという感じがする。そういう意味では、ロートレックよりも澁澤達彦などと比較するべきなのかもしれない。
ただ澁澤が描いたり言及したりする人物、三島由紀夫――川端康成とは特に親しい弟子のような関係にあったということは最近知った――が書く人物もそうだが、そこには己の執着に対する業のようなものを意識している。特にサド公爵などはそういうところがある気がする。しかし、川端の描く人物像、その描写はあくまでも清冽であって、そこには執着という業に対する基本的な無自覚性が感じられる。あるいはその無自覚性が怪物性ということになるのだろうか。そう考えると「新感覚派」の代表とされた川端は実はずいぶん古怪な作家であったということになろう。近代人はそうした己の業を自覚し、それに呪縛されてしまうからこそ近代人なのであるから。川端の業はそういう意味では全開放されている。そこにやはり前近代的な凄さ、強さを感じてしまうのだろう。まあこのあたりはまだ短篇二作を読んだだけの段階での戯言というべきではあるのだが。しかし川端という作家の捉えにくさというのは、そして商業的な売り出しにくさというのは、そういうところにあるのではないかという気がする。
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