「活字を読まない」を終了/西洋音楽の音階は絶対的なものでないということを知る/丸善の件その後

Posted at 07/11/21

月曜日でキャメロンのレッスンの第4週、「活字を読まない」というエクササイズを終了にした。『活字を読まない』ことから解放されるとこんなに世の中が明るく見えるかと思うほど。まあでも今後とも、あまり頼らないようにはしていかないとと思う。

ずっとやりたかったことを、やりなさい。
ジュリア キャメロン,Julia Cameron,菅 靖彦
サンマーク出版

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火曜日帰郷の途中に東京駅の丸善に寄って本を物色。「ガンボ」をもらう。新書のベストセラーの10位に入っていた小方厚『音律と音階の科学』(講談社ブルーバックス、2007)が面白そうなので買った。

音律と音階の科学―ドレミ…はどのようにして生まれたか (ブルーバックス 1567)
小方 厚
講談社

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特急の中で読む。外は晩秋。黄葉が進んでいる。この本は面白い。音階について、今まではっきりしたことはよく理解していなかったのだけど、とても分かりやすく説明されている。現在69ページ。

オクターブの音程が弦長が半分、周波数が二倍になる、という関係だということは理解していた。ギターで言えば12フレットがちょうど弦長の半分で、ここを押さえるとオクターブ高い音が出る。オクターブの音が美しい、あるいは同じ音として感じられるのは、この2倍の比例関係にあるからなのだ。

音律はピタゴラス音階、純正律、平均律と「進化」してきた、という話はどこかで聞いたことがあったが、この本を読んではじめてちゃんと理解した。言葉は知っていたが、それが何を意味するのかということは、やはりちゃんと数学的に説明してもらわないとわからないんだなと思った。アート関係の人は数字の説明を敬遠する傾向があるからかもしれないが、このあたりの理屈をきちんと説明してくれているものを今まで読んだことがなかったように思う。

完全五度(ドとソの関係)は周波数が3/2倍の関係にあり、つまり弦長が1/3の音のオクターブ低いもの、という関係にある。つまり完全五度の音程の差は3の倍数関係にある。完全5度の和音が美しいのはその正確な比例関係にある、というわけだ。そこから完全5度ずつ(つまりC→G→D→A…)移行していって12音階を作り出したのが「ピタゴラス音階」というわけだ。したがって、どの二つの音をとっても3倍の比例関係の美しい和音になるわけだ。

しかし、なるほどと思ったのだけど、というかこれがこの本を読んで初めて気がつき納得したことなのだけど、ピタゴラス音階というのは周波数が公比3の等比数列になっている。しかし、オクターブの音階というのは公比2の等比数列なのだ。3を何乗しても2の倍数にはならない。ピタゴラス音階をたどっていくとC→G→D→A→E→B→F#→C#→G#→D#→A#→F→Cと元のC(ド)を3の12乗倍するとC(ド)に戻るはずなのだけど、つまり3の12乗が2の何乗か(計算してみると19乗)にならなければオクターブの差にならないわけなのだけど、ならない。ピタゴラスはこれを結局、3の12乗=2の19乗、と「丸めて」しまったのだ。したがってここに微妙なずれが生じることになった。これを『ピタゴラスのコンマ』というのだという。

グレゴリオ聖歌まではピタゴラス音階で歌われていたという。しかし10世紀ころからポリフォニーが発達すると、完全5度の和音だけでは物足りなくなるわけで、長3度の和音、完全4度の和音も導入される。完全5度は周波数比で3/2だが、長3度は5/4、完全4度は4/3というきれいな比で導入され、これによって美しい和音が実現した。これを「純正律」というのだそうだ。しかし純正律ではCとDの音の周波数比が9/8なのにDとEの周波数比が10/9になるというふうに、音の幅のばらつきが出てきてしまう。しかし純正律は19世紀の半ばまで(ピアノが普及するまで)使われていたといい、ということはモーツァルトやベートーベンは純正律で書き、演奏していたと言うことになるのだという。

現在使われている音階は「平均律」だが、これはオクターブの差を周波数比で2倍とし、その間の12音の幅を均一にCの2の1/12乗倍の音がC#、その2の1/12乗倍の音がDというふうに平均的に割り付けたものだと言う。平均律の利点は転調の容易さにある。どの音程の幅も一定なので、転調しても音と音の関係は変わらないわけだ。しかしその分、平均律は和音の美しさを犠牲にしていることになるわけだ。二つの和音がオクターブ以外、完全な整数比(あるいは簡単な分数比)にならなくなるわけだから。ウェーバーはピアノと言う楽器を『音楽の合理化』と捉えたそうだが、平均律も転調が容易になる演奏効率を上げるために和音の響きを犠牲にしているある種の合理化であるということになろう。

そう言われてみると、モーツァルトやベートーベンは本来純正律で書いていたわけだから、純正律で演奏した演奏をぜひ聞いてみたいという気がする。世の中物好きな人は多いから、多分そういうCDもあるんだろうな。暇なときに探して聞いてみたいと思う。和音は美しいんだろうな…

邦楽や民族音楽などではともかく、西洋音楽の音階って絶対普遍のものと言うイメージがあったけれども、実はそうでなく歴史的変遷をたどってきていると言うのが非常に興味深かった。音楽って奥が深いなあと思う。

そのほか電車に乗ってて考えながら自分の自我構造について発見したこともあるのだが、それは機会があったら書くことにして、今回はここまで。

***

ようやく丸善の問い合わせ先に電話がつながった。結局カード番号まで紛失されたようだ(あちゃー)。しかし今のところ実害の報告はなく、万一今後そういうことがあっても丸善の側で補償するそうだ。まあ当たり前だけど。だからカードを止めたりする緊急性はないと思います、とのことだった。一安心ではあるが、まあ念のためどこのカード会社のカードかだけ確認しておくことにした。折り返しの電話待ち。

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