原風景/散歩というより/修羅場のころ/江東区の風景/小沢氏の行動への反応

Posted at 07/11/05

日曜日。5時起床。30分ほどモーニングページを書いて、散歩に出る。昨日出て気持ちよい道だったので、清洲橋通りを歩く。歩きながら、そういえば『NANA』は連載再開しているんじゃないかと思ってコンビニで『Cookie』を探す。何軒目かで見つけたが、連載再開は1月号からとのことだった。あと3週間待ち。清洲橋通りは車が少なく、朝焼けを十分堪能しながら歩くことが出来た。旧葛西橋の釣り船店を横目で見ながら堤防にのぼると、朝日は荒川の向こうの高速道路の下に出ていた。堤防の川側はなだらかな芝生の斜面になっていて、そこで御来光の行、薙刀の型を少しやる。家に帰って食べようと思って、船宿の向かいの和菓子屋で売っている五目いなりと鹿の子を買う。また堤防に上り、トイレに行きたいなと思ったのだが、旧葛西橋の周辺は公園化はしてなくて、船着場の手前は草叢になっている。葛西橋のほうまで行けばトイレがあるので、川下に向かって歩く。

そこで、海まで一キロ、という標識を見つけて考え込んだ。どう考えても、河口まではもっとある。どういうことなんだろう。その謎を解明したい、と思ってしまった。葛西橋に登り、歩道を少し歩く。もう20年以上前、この川の向こうに病んだ恋人が住んでいて、自転車に乗ってときどき訪ねていた。あの頃は毎日のように修羅場だったなあ、ということを思い出す。なんだかそんなことを思い出してしまったのがいけなかったのか。

川原に降りて、トイレに行き、そのまま川下へ。標識どおりなら、1キロで海に着くはずだ。いつもの川原をずっと川下まで歩き、清砂橋よりさらに河口へ。いつまで経っても川は終わらない。しかし、面白いものがいろいろ出てくる。自然の再生のために荻や薄がそのまま生えているスペースがかなり長く続いていたり、灯台なのかなと思われるものがたっていたり。どんどん下ると、もう川原は石ではなくて、テトラポッドが護岸になっていた。降りてみると、貝がたくさんついていて、海の匂いがした。

行けるところまで行くとずいぶん遠い。とても一キロじゃない。新砂の緊急用船着場があり、突き当りまでくるとその向こうは干潟になってるスペースがあり、さらに向こうに東関道と京葉線が通る荒川河口橋が見えた。そこから引き返したが、西側には巨大な工場があったり、よく分からない道があったり。その道を、年配の夫婦が歩いていったのだが、どうも既に相当歩いていて疲れてしまったので、引き返すことにした。向こう側には夢の島の植物園らしきものが見えたから、かなり南まで来たことになる。上流に戻っていくと、西側には埋め立てたままほうって置かれたのか自然のママっぽいところがあったり、子どもがプレーする野球場があったり。なんかその新開地の印象が、子どものころ住んでた開拓地的な場所を思い起こさせて、何か原風景のようなもののデジャビュ感覚があった。

清砂橋の西詰めからいつもの道に降り、膝も痛くなってきたし疲れたから袖ヶ浦からバスで帰ろうと思って停留所に行ったのだが、日曜で本数が少なく10分以上待つことになるので、しばらくベンチで休んでから歩いて帰った。何も考えずに歩いていたらジャスコの前の道に出、図書館の前を通って家に帰った。帰ってから地図で測ってみたら8キロ歩いていることが分かった。帰り着いたら8時。2時間半も歩いてしまった。これはもはや散歩ではない。

帰って五目いなりを食べていたら友人から電話。いろいろな話をしたが、昔話が結構出た。電話を切ったら10時過ぎ。少しネットを見て、銀座にズボンを取りに行くことにする。天気がよくて気持ちいい。銀座に出てしばらく歩く。銀座が気持ちいいのは、みんなきれいな格好をしてくるからだなと思う。普段着っぽかったり、小汚い格好をしてくる人は余りいない。みなその人なりにエレガントな格好をしているので、見ていて気持ちがいいのだと思う。まず腹ごしらえと思い、いくつかのぞくが結論としてはハゲ天でてんぷら定食。うまかった。特に海老の揚げ方がいい。衣は薄く、海老も火が通っているかいないかの微妙な一瞬のところを見切っている感じ。ああ、こんなてんぷらがあるんだなあと感動する。満足。

ブルックスブラザーズに行ってズボンを受け取り、歩行者天国を歩いて伊東屋へ。メルシー券がちょっと溜まっていたのでそれで原稿用紙を買う。北斗舎製のグレーの罫のものがあり、使ったことがないのでちょっと使って見ることにした。中央通りを北に歩き、京橋を過ぎて日本橋へ。コレドの地下でコーヒーその他食料品を買い、帰宅。

帰ってきてアタック25を見ていたら小沢代表辞任のテロップ。あれあれ。その後全日本大学柔道選手権を見ていたらいつの間にか寝ていた。

こりゃあちょっと疲れたんだろうと思い、布団を敷いて寝ることにした。結構ぐっすり寝たのだが、暗くなってから目が覚めて朦朧としていた。急に金縛り系の気配に襲われる。大体肉体的に疲れて寝ているときに襲われることが多かったのだが、最近はほとんどなかった。無理やり目を開け、起き上がってその状態を脱する。昔はそれが出来なくて何者かに捕らえられ、恐いものに捉えられている状態で動けない感じになることがよくあった。起き上がってからもちょっと自然に物を考えて、葛西橋での印象から昔の数々の修羅場を思い出した。それは恋人とのこととは限らず、異形の友人たちのこととか、もっと深刻な別の恋人との別れとか、なんだかそういうのが急にいっぺんに私のところを訪問してきて驚いた。

最近はそういうことはあまりなかったけど、アートをやってる、という意識があった頃はもういろいろな意味での修羅場が日常茶飯事だったということを思い出した。楽しいことは楽しいのだけど、修羅場は必ずやって来る。自我と自我とのぶつかり合いというか、もっとそれを越えた何かエネルギーとエネルギーの衝突のようなものがあった。こういう感じをありありと思い出したのはものすごく久しぶりだ。少しはそういうエネルギーが自分の中に蘇ってきたのかもしれない。夜は10時過ぎに就寝。

今朝は3時半起床。5時半まで本棚の片づけをしたりモーニングページを書いたり。5時半に出かける。今日は清洲橋通りを歩こうと思っていたのだけど、仙台堀川公園に出たら気持ちよく、丸八通りの手前まで仙台堀川を歩く。鬱蒼とした森が作ってあって、やはりこういうところは生命の息吹のようなものを感じる。やっぱり森はいいな。丸八通りの手前から清洲橋通りに出、旧葛西橋の手前で曲がらないでまっすぐ川に出ると、堤防に上ったら燃えるような朝焼けが広がっていて、ものすごく気持ちよかった。しばらく薙刀の型をし、船の係留所のあたりまで川に近づくと、鳩が草叢の中で動いている。岸のコンクリの上を少し歩いて東を見たら、唖然とするくらい大きく赤い太陽が、頭の先だけ見せていた。6時10分。ちょうど向こう岸にも高い建物がなく、ほぼ地面から上っている感じで、これだけ地平線に近いところの太陽を見たのは本当に久しぶりだと思う。テキサスを自動車で旅行していたとき、地平線から上る太陽がまぶしかった。視線より低いところに太陽があるのが、奇妙に新鮮だった。それ以来じゃないだろうか。

いつもの行をし、堤防の上を北に向かって歩く。今日は、小名木川沿いを歩いて帰ろうと思っていたのだ。しばらく行くと、また公園のようになってきて、テニスコートなどがある。小名木川の出口には荒川ロックゲートという巨大な水門があった。その手前に巨大な変なものが回っていて、何かと思ったら風力発電システムだそうだ。

この水門は江東区の堤防内部の水位調節の重要なものなので、かなり厳重に立ち入りが禁止されていて、徒歩でまっすぐ小名木川に入ることが出来ない。少し下流に下っていくうちに小名木川に戻る気が失せて、街中の道を歩くことにした。末広通りの手前に小さな緑道があって、それを南下して行ったら清洲橋通りに出た。そのまま西に歩き、境川近くの江東区役所砂町出張所の場所などを再確認し、志演尊空神社にお参りして帰宅。戻ったら7時半を過ぎていた。結局どこかでまた時間を潰しすぎたようだ。

帰ってきてご飯の残りに梅干を乗せ、ほうじ茶をかけてお茶漬け。最近なぜかコンビニで永谷園のお茶漬け海苔を売っていない。仕方ないから梅干を買ったのだが、あのいい加減なお茶漬け海苔の味が恋しいんだが。

小沢代表の行動、玄人筋ほど理解を示す人が多く、そうでない人は拒絶反応という感じか。私は19世紀の穀物法廃止のときの保守党の分裂とピール首相の離党とか、そういう歴史上のいろいろないきさつを思い出して、小沢氏のやろうとしていることもそのクラスの歴史的事業なんだろうと思ったのだけど、まあそういうでかい話を理解しようという人はあまりいないようで、小沢氏が以前のインタビューで生まれ変わったら日本では政治家をやりたくないな、といっている映像があったが、まあ何でもかんでも矮小化されてしまったらイヤになる気持ちもわかるよ、とは思う。矮小化の最大の元凶はマスコミであることは間違いないしね。

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