真の鵜呑みを見た/木を見ずに森を見る/気分や不安の向こう側

Posted at 07/10/24

昨日。4時に目が覚め、1時間ほどモーニングページを書いた後、荒川に出かける。雲の関係からか、一昨日ほど朝焼けが鮮やかではなかった。清砂大橋の手前を下に入るころ、朝日が少しだけ荒川の対岸を走る遠い高速道路の下から顔を出した。橋の北側から川原に降りる。トイレがちょうどある場所だったからだが。朝日はほとんど見られない。御来光の行、円相と張翼を少しずつ。水の上で音がするのでふと見たら、川鵜が魚を捕らえ、飲み込んでいるところを目撃した。これが本当の鵜呑み。自然の中でじかにこういう風景を見ると迫力がある。感動。橋の南側まで歩いたら急に波が押し寄せてきてザッパーンと何度も打ち返す。そういえば、かなり遠くのところをモーターボートが南に下っていっていた。もうすでに下流の橋のあたりまで走っている。その波が、今ここに打ち寄せてきたのだ。何度も何度も。かなり激しい波。自然と言っても人口の放水路なのだけど、やはりこのあたりでは一番自然を感じる。

帰ってきてその後いろいろやっていたらあっという間に出かける時間。10時半に家を出て丸の内丸善でガンボをもらい、前日のアーチストデートの記録をつけようとスクラップ用にスケッチブックを買う。東京駅の構内で「えんがわずし」を買う。カレイのえんがわのおしずしなのだが、これはうまかった。久々のヒット。特急の中ではガンボを少し読んだがほとんど寝ていた。

昼から夜にかけて仕事。まあまあ忙しく。夜はプロフェッショナルを見る。ワインは振った方がうまいとか、庭の見方、野菜は7ミリ角などいろいろおもしろかった。だいぶ眠かったが、12時に就寝。

キャメロン『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』を最初から読み返している。最初に何もわからずに読んだときにはぴんとこなかったことが、いろいろなるほどと思う。丸一冊マスターするつもりで読んだら、いろいろなことがわかってきそうだ。

ずっとやりたかったことを、やりなさい。
ジュリア キャメロン,Julia Cameron,菅 靖彦
サンマーク出版

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今朝は4時過ぎに起床。モーニングページを何ページか書いて、散歩に出かける。親戚の人が共同浴場に行くところに会う。川沿いを下る。中門川に出る。この川は、この間地図で調べてみたら上川から引いた用水路だということがわかった。多分、上流の山浦の地方から物産や年貢を運ぶために作られたんだろう。そういえば土手の感じが用水路っぽいなと思う。中門川を横切って郊外型鮮魚量販店の前に。まだ全然朝日は出そうにない。東京ならこの時間に出るのだが、このあたりはやはり遅いのと、かなり霧が深いから見えないということなんだろう。これから先の季節、どんな感じになっていくんだろう。秋は霧が出るが、冬はどうなのか。

この地方の水運、ということを考えながら、そういえば私は諦めた夢、のようなものがたくさんあるなあと思う。歴史に関してもそうだ。この地方の水運、ということで調べてみると結構おもしろいのかなあと思う。

いろいろな意味で、自分には心の傷みたいなものがいっぱいあって、それを描くのが小説だという思い込み、あるいはそれを抉り出し明らかにしなければならないという強迫観念があったのだなあと思う。しかしそれは違うんじゃないか。だいたい、自分の傷を仔細に検討してみると、自分より大変な人生を送ってきた人はいくらでもいるんだなあということに気がつく。なんていうか、自分の傷みたいなものがある意味で自分のアイデンティティだと思い込んでいたんだなと思う。しかし、森の中の一本の枯れた木の枝のようなものばかりをじっと見つめていても、何かがわかるということはないんだなと思う。その森全体の生命力のようなものを感じなくては。それを感じてはじめて、その枯れた木が世代交代のための生命の循環のための死なのか、それとも森全体の危機の最初の現われなのか、がわかるのだろう。私の負って来た傷は、今となっては循環すべき生命の一時的な危機、森がときどき被る一時的な災厄に過ぎず、それが自分自身に影響を与えてきた面はもちろんあるのだけど、危機自体を感じるよりも生命の力を感じ、それをさらに強くすることの方が今の自分にとっては大事なことなんだなと思う。

自分がしてきた特殊な経験も、傷としてみるよりも珍しい体験として単に語りのネタと見る程度でちょうどいいのだろう。そういうふうに、全体のいのちの動き、たゆたい、揺らぎ、蠢き、流れの中で見てはじめて、自分の中の数々の傷に決着がつけれられるんだな、と思った。

自分の置かれている状況も、考えてみたらひどくありがたい状況なのだと思う。ただ将来が不透明なので、それに怯えているだけなのだ。ただ今は、将来のことに怯えるよりも、今を充実させることの方がずっと大事だ。今のいのちを強い流れにしていくことで、将来の流れもきっと変えられる。相すれば、今問題だと思っていることの多くも自然に解決していく部分もあるのだろうと思う。

キャメロンは、「モーニングページは私達を向こう側に連れて行く」、という。私たちの気分や恐怖、否定性の向こう側である。これは多くの人が判ってくれると思うけれども、仕事というのは気分とかおそれとかイヤな思いとかそういうのとは別のところで進んでいく部分があるし、どんなに気分が重くても仕事は存外うまくいったりすることがあるものだ。つまり、仕事というのは気分とか日々のごたごたなどとは違う部分で進行するという性格がある、ということだ。それは、自分達が日々のごたごたの地平から、ある決まった経路、決まった手続きをとおっていくことでその仕事の世界に入ることが可能だ、ということでもある。クリエイティブな仕事をする場合、モーニングページはそのための手段として有効だ、という風に考えてもらえばいいのだと思う。少なくとも私は、そう言っていいと思っている。

向こう側の世界に入ると、日常とは別の論理、というかシステムで動くものがある。創作の世界でも、一日半ページしか書けないときもあれば、三日で80枚書けることもある。システムにうまくオンすれば、力は無限に湧き出てくるのだ。それはでも体力とかそういうものとは別で、気がついたらメチャクチャ消耗しているということは多い。真の答は、迷いとか気分とか、そういうものの向こう側にある、ということだと思う。その向こう側に行くためのツールを、人は自力で作り出していくのだけど、モーニングページはそのためのとても有効なツールとして使えるのだと思う。

帰りは西友の方角に曲がり、少し歩いてからまた右に曲がる。まだ刈り取られていない田圃があった。りんごか何かの無人販売所がある。昔の、といっても20年位前のことだけど、典型的な農村風景がまだあるんだなと思うとなんだか懐かしい感じがした。八剣神社にお参りして帰宅。

スーパージャンプを読む。まだ全部読んでないが、どうも今号はあたりらしい。星野浩宇の孫子ものもおもしろいし、『バンパイア』で急に能力を発揮するブーちゃんも感動的。『リングにかけろ2』もいい。『慶太の味』も面白い。『王様の仕立て屋』もストーリーもそうだがラウラのキャラが全開でいい。ようやく気がついたが、ラウラって完璧なツンデレキャラなんだ。それがわざとらしくないからいいんだな。デレの部分が少なくて。でも今回はかなり出してる。最後に夢野久作の『懐中時計』の引用があり、なんかぐっと来た。『華なりと』『瑠璃の方舟』もいい。『瑠璃の方舟』の中で前半80枚を書くのに2ヵ月半かかった主人公が三日で80枚かいて完成させる場面があり、この『向こう側』感覚がすごくシンクロにシティを感じた。『銀のアンカー』も相変わらずいいな。営業という仕事の神髄、みたいなことをマンガにするらしく、来号が楽しみ。

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