政治家と教養

Posted at 07/09/16

前のエントリとの関連。政治家と教養、の話。

戦後から30年くらいの間は、教養のある政治家というと官僚出身の政治家が多かった。というか、当時は保守党の政治家は大きく分けて「党人派」と「官僚派」に分かれていた、ということから説明した方がいいか。党人派とは、戦前の政党政治家の流れを汲む人々で、たとえば鳩山一郎、石橋湛山、三木武吉、河野一郎、といった人々だ。昭和50年代までの政治家でいえば、三木武夫もその範疇に入る。田中角栄は戦後出てきた政治家だから厳密には党人とは言いがたいが、官僚ではないという意味で党人といってもいいかもしれない。

対して官僚派というのは、戦後鳩山一郎がGHQから追放されたときに総理を引き受けた外務官僚の吉田茂が、海千山千の党人派に対抗して自分の腹心として官僚を大量に政界に引き入れたことから始まっている。池田勇人、佐藤栄作、前尾繁三郎、大平正芳、宮沢喜一、という流れである。保守本流とかお公家グループといわれる宏池会がその中心である。現在では加藤紘一が代表格か。

党人派はもともとは戦前の政党政治家、さらにさかのぼれば自由民権運動にたどりつく系譜の中から出てきているわけで、「壮士」とか「院外団」と呼ばれる乱闘要員のような人々から出てきた政治家も多い。代表格は大野伴睦で、東海道新幹線の岐阜羽島駅前に銅像が立っている。教養は余りあるとはいえないが親分肌で、清濁併せ呑むようなタイプという感じだ。それに対し官僚派は一高・東大出の超エリートであり、教養を身につけるだけの3年間である旧制高校を出ているので、教養という点では比べ物にならない。その代表格は前尾繁三郎で、この人は教養がありすぎて勝負に弱く、ついに歴代宏池会代表でただひとり総理総裁になれなかった。しかしこの人の教養については伝説的エピソードがいくつか残っている。

今では旧制高校を最後に卒業した世代も既に70代を超えており、「教養のある官僚派」というのも既に過去の話である。(加藤紘一の例をあげるまでもないだろう)現代の官僚は東大出であっても教養があるとは限らない。それにしても、そういう教養ある政治家が政界からいなくなった、いや政界だけでなく各界にいなくなったということは、実は相当大きな損失ではないか。ぎすぎすした実利一点張り、功績一点張りの人たちばかりが幅を利かす団塊世代以降の人々だけからなる社会になってしまったことが、現代の諸問題の根源にはあるという気がしてならない。

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