台風/『嵐が丘』/『目玉の話(眼球譚)』

Posted at 07/09/07

台風は多分去ったようだ。あたりから蛙の合唱が聞こえる。それに混じって蝉の声、虫の声。空は時折青空がのぞくが、全体的にはまだ雲で蔽われている。しかしその色もだいぶ明るくなってきた。暗く立ち込めるような雲はもう、少ない。

窓の下にコスモスが咲いている。いつもの年ならこんなに、と思うくらい咲くのだけど、今年は数があまり多くない。例年なら夏前からずっと咲いているのだけど、今年はようやく最近になって咲き始めた。これも猛暑の影響なのだろうか。

昨日は暇があると『嵐が丘』を読んでいて、読了した。第1部第9章のキャサリンの独白に対応するのが第2部19章のヒースクリフの独白。ここまで読んで、ようやくこの作品が完成したという感じ。そして娘の方のキャシーが、最初に感じていたよりもずっと強く、ずっと重要な存在だということがわかってきた。

嵐が丘〈下〉 (岩波文庫)
エミリー ブロンテ,Emily Bront¨e,河島 弘美
岩波書店

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うーん、まだ感想を書こうとしても余韻が強く、書けない。物語の破格の面白さ、比喩の巧みさ、人物造形のリアルさ。最も複雑な人間であるヒースクリフとキャサリンはそのあまりの深さ、大きさにやはり圧倒されてしまうところがあって、リアルというものを越えている。しかしその周りの人物たち、エドガーやネリー、ジョウゼフやヘアトンといった人物たちのリアルさは全く彼らと知り合いになったかのような感じだ。造形はシンプルだが、その描写が巧みで配慮が行き届いているといったらいいか。こういう人間はこういう時にこう行動しこう発言する、という想像力がおそろしく発達しているという感じだ。特にジョウゼフという人物造形は、今まで読んだことがない気がする。ヘアトンは、ずっとシェイクスピア『あらし(テンペスト)』のキャリバンが脳裏に思い浮かんでいた。エミリー・ブロンテの脳裏には何があったのだろう。

読み終わってから、読みかけだったバタイユ「目玉の話」を読み、これも読了。最後に、惨殺された修道士の目玉がマルセルの目玉になるところになって、ようやくこの話の結末がついた感じ。これもまあ、凄い話ではある。神が死んだ時代の狂暴な物語。『嵐が丘』も人間が自由になってしまった時代のある種のスキャンダラスな物語だったのだと思うが、やはり「目玉の話」も「嵐が丘」と同様、たくさんのエピゴーネンを生み出した巨大なカリスマを持った作品、つまり古典なのだと思った。これもなんというか、感想うんぬんという話ではないなあ。何度も読み返して、そこに秘められている世界を呼び出し、それを味わうことの方が先決という感じだ。なんというか、理知的に整理して何かコメントを言うには早すぎる。

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)
バタイユ,中条 省平
光文社

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バタイユ『文学と悪』のエミリー・ブロンテの項をもう一度読み返してみたが、当然だがそこにはバタイユの知的に整理された理解があり、まだそれを読みたいとは思わないなと思って読むのをやめた。結局他のものを読むしかない。あるいはほかのことをやるしかない。

文学と悪 (ちくま学芸文庫)
ジョルジュ バタイユ,Georges Bataille,山本 功
筑摩書房

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午後から夜にかけて仕事。昨日はかなり忙しかった。いいことだ。夜は台風に関する情報ばかり見たが、関東は大変そうだけど私が今いる長野県諏訪地方は全然たいしたことがなかった。佐久地方はかなり影響が出たようだが。

現在午前十時。夏の陽射しが戻ってきた。

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