無料雑誌/エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

Posted at 07/09/05

昨日の夜の更新とやや重なるところもあるが。

昨日帰郷。家を出るときにもって出た本は3冊。鈴木晶子編『これは教育学ではない』、バタイユ『マダム・エドワルダ/目玉の話』、バタイユ『文学と悪』。つまり、野口裕之とジョルジュ・バタイユ。大手町で下りて丸の内丸善。3階でエミリー・ブロンテ『嵐が丘』上下(河島弘美訳)(岩波文庫、2004)を買う。新訳。地元の書店には旧訳がまだ残っていた。無料漫画雑誌『コミックガンボ』34号(デジマ)をスタンドで取り、文庫と一緒に入れてもらうときに、これも無料の雑誌『5l〔ファイブエル〕』(ライフエンタテイメント)ももらう。出かけた時はカバンはわりあい軽かったのに東京駅でずいぶん重くなった。

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)
バタイユ,中条 省平
光文社

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無料雑誌とはいえそれぞれずいぶん充実している。まあ今回は『ガンボ』は玉石混交という感じで、今回は「ステージガールズ」が載っていたのにいまいちだったからちょっと残念だった。「トーキョー博物誌」は休載だったし。しかし江川達也「坊ちゃん」、吉田ひろゆき「黒草子」などメジャーでも描いている漫画家の作品もある。エガタツはスピリッツの「日露戦争物語」が中途半端な終わり方になってやや干されてんのかな的な感じがあったのだが、「坊ちゃん」のシーンに無理やり日露戦争の戦闘シーンを(しかもカラーで)挿入していてかなりエネルギーが余っている感がある。省エネで描いているイメージが強かったんだけど、けっこう乗ってきたのかもしれない。ファイブエルは元の吉本興業の木村政雄が編集長で、今回のメインは笑福亭鶴瓶。連載陣が荒木経惟、赤瀬川原平、横尾忠則と揃っていて、ギャラも払ってるだろうなと思う。

電車の中ではとっかえひっかえ読んでいた。『目玉の話』は現在100ページ。進めば進むほど幻想色が強くなってくる。闘牛のイメージがへえっと思う。『嵐が丘』は上巻(第一部)の第7章まで。北イングランドの牧師館に閉じこもって成長したエミリー・ブロンテの想像力というものに感心するが、登場人物はやはりそういう荒野の性格、あるいは牧師館的な関心事を持つ人間が多いなとは思う。しかし確かにこれだけ生き生きとした人間像をたくさん創造した想像力は凄いものがあるなと思う。

嵐が丘(上) (岩波文庫)
エミリー・ブロンテ,河島 弘美
岩波書店

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作品の上での現在は1801年なので、つまりナポレオン時代、イギリスなら小ピットとかネルソン提督が活躍した時期ということになる。服装的にはアンシャンレジームのキュロットからインペリアル様式の長ズボンに移行するころということか。しかし大雪が積もる北イングランドではヴェルサイユの宮廷のようにキュロットというわけには行かないだろうなと思う。また物語はそれより20年ちょっと前の話だから、1770年代後半、アメリカ独立戦争たけなわの頃になるか。ラファイエットが「両世界の英雄」とか言われている頃だ。イギリスの国王はジョージ3世だろう。ワシントンの伝記とかに出てくる挿絵の服装と同じようなものだということになる。

『嵐が丘』の映画を見れば多分服装的なものは分るのだろうが、私は見ていない。その時代を舞台にしたものといえばキューブリックの『バリー・リンドン』か。ルコントの『リディキュール』もあるな。18世紀後半の北イングランドの田舎の地主階級の服装といってもやはりあんまりぴんと来ない。日本でいえば田沼時代だからなあ。

エミリー・ブロンテがこれを世に出したのは1847年、二月革命直前だ。イギリスではチャーチスト運動が高まっていた頃。作中にリバプールが出てくるが、すでに労働者と工場の町だっただろう。舞台になった1770年代後半もすでにそのあたりではかなりの程度工業化が進んでいただろうから、ヒースクリフが港町リバプールで拾われたというのもあながち考えられない設定ではない。70年代後半は奴隷貿易はイギリスではまだ禁止されてないと思うし、北イングランドの田舎の人たちにとってリバプールというのはそういう見知らぬ世界(エキゾチックで罰当たりな)に開かれた港町だったんだろうなと思う。

まあそういう考証的なことばかり書くと「文学好き」の人によく嫌われるのだが、読んでいて具体的に想像しているうちに人間のイメージが出来ていくのだけど、よく考えてみるとこれは違うなという感じがしてくるときがあって、そういうときには私はそういう考証的なことを考えてイメージを作り直すのだ。こういう小説はどうしても19世紀後半のブルジョア家庭みたいな雰囲気で想像してしまうのだよな。でもそれより100年前なら、かなり違うのは当然なのだ。

ま、そういうことを考えておくと、テーマ的なことや人物造形上の理解に関しても、とんでもない誤解をすることが少なくなるということはいえると思う。想像力を膨らますためにも、歴史や地理の知識を駆使することはよいことだと思う。

読みながら時々、バタイユの提起した「悪」の問題について考えるのだが、それぞれの登場人物はそれぞれに飼いならされない「悪」の部分を持っていて、特にそこが魅力的なんだと思う。ただその部分が「悪」であることはそれぞれにみな多かれ少なかれ自覚していて、苦しんだりすることもある。最も多くの「自然」、最も多くの「悪」を内包しているのは読む前はヒースクリフだと思っていたのだが、キャサリンの方がむしろ上なのかもしれない。それはバタイユや西欧人の眼から見ればキリスト教倫理的には善に反するものであっても活力を肯定する見方から言えば「正しい」生きかただといえなくはない。ただそれを正しいといってしまえばこの作品の魅力は半減するかもしれない。今年代的なことを確認するために文庫本の解説をちらっと読んだのだが、出版の序文には、エミリーの姉シャーロットが「道徳的に問題があるかもしれない」というようなことを書いているが、多分これは我々日本人が考えるよりもずっと深刻な問題だったのだと思う。

解説文を読んでいて改めて思ったが、「嵐が丘」は実にさまざまな批評を生み出す汲めども尽きぬ泉のようなものだ。そういう生命力を持つ文学作品というのはそうはないだろうなと思う。しかし文中の語り手家政婦ディーンさんが自分のことを「書斎にある本は一通り目を通し、それぞれから何かを学んだ」といっていてちょっと驚嘆した(イギリスの労働者階級の女性の設定としてはちょっと飛びぬけてないかと)のだが、作者のエミリー自身も実に侮れない読書家・勉強家だったに違いないと思う。意識したかしてないかは分らないが、家政婦の独白に作者の自負が現れた気がする。牧師館にこもって成長しようが、世界を驚嘆させる小説は書けるのだ。

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