寄生生物/江戸時代の権威と権力/文化とは何か

Posted at 07/08/29

昨日帰郷。午前中に家を出、丸の内の丸善で『コミックガンボ』の最新号をもらい、原稿用紙を買う。特急の車中では主に『ガンボ』と『お殿様たちの出世』を読む。『ガンボ』ではmixiで知った小阪由佳が巻中グラビアになっていた。このグラビアで事前に知っているモデルが出てきたのは初めて。この無料雑誌も少しずつ成功してきているということだろうか。

『ガンボ』は隔週連載が多いのだが、今回は自分が読みたいものが少なかった。今回は薀蓄系の作品が多い。それはそれで勉強になるからいいんだけど。「読みたいものが読めて満足」というのは日高トモキチ「トーキョー博物誌」だけだった。今回は寄生植物のナンバンギセルを取り上げている。違う種の生物が一緒にくらす「共生」の形態には、それにより共に得をする「相利共生」、片方だけ得をする「片利共生」、片方だけ損する「片害共生」とあるが、「寄生」は片方が得をし片方が損をする共生の形態なのだという定義を読んで、なるほどと思う。「相害共生」というのはないのかな。人間関係にはありそうな気もしなくはないが。

ナンバンギセルはススキやミョウガ、さとうきびなどに寄生するらしい。フィリピンや台湾ではそのためにさとうきび畑が全滅するケースもあるのだという。しかしこのナンバンギセルは実は万葉集の時代から日本にあり、うなだれて咲く花の様子から「思い草」などと呼んだのだという。

  道のべの尾花が下の思草今さらになどものか思はむ(読み人知らず)

「思い」というものは人間に寄生する何か別の生物なのか、とか言ったらホラーになるが。

***

昼から夜にかけて仕事。それなりに忙しく。皆既月食は見損なった。

山本博文『お殿様たちの出世 江戸幕府老中への道』(新潮選書、2007)読了。なかなかよい作品。江戸時代の老中についてすべての人に言及しながら述べられていていろいろ知らないことも多く勉強になった。

お殿様たちの出世―江戸幕府老中への道
山本 博文
新潮社

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認識を新たにしたことは二つ。一つは、江戸時代の上層武士にとっての官位の重要性。「従四位下侍従」とか「従五位下越前守」とか言うアレである。もちろん江戸時代の武士の官位は公家の官位とは全く切り離されて幕府の承認の下に与えられるものであり、越前守といっても律令制の役職の実体はない。しかし家格はこの官位によって決められているので、身分制度が社会の基本である江戸時代において、この「官位」は相当意味を持ち、大名はみな官位の昇進を望んだ。官位は決して虚名ではなく、実質的な意味を持っていたのだ。幕府内の役職、つまり実質的な昇進も与えられている官位によってどこまで昇進できるかが決まっている。家格はもちろん石高によってもはかられるけれども、大名(一万石以上)である「浅野内匠頭」に高家(一万石未満)である「吉良上野介」が威張ることができるのは、吉良の方が、すなわち上野介の方が内匠頭より官位が高いからである。

大名たちの序列はこうした石高、家門・譜代・外様の別、官位、幕府における役職によって決定され、江戸城中での控え室(殿席)にリアルに反映される。明治以後の華族の爵位が主に石高によってのみ決定されたこともあり、私は官位の重要性をいままであまり考えてなかったけれども、当時の大名たちに取っては相当重大な問題だったことが理解できた。

勝海舟が軍艦奉行並に取り立てられたとき、従五位下の位を与えられ、受領名(何とかの守)は特定の国を除く(親王任国の上総・常陸・上野と江戸のある武蔵以外だったと思う)関東の国ならどこを選んでもいいといわれて、一番小さい安房国を選んで「勝安房守」になったということを子茂沢寛の『勝海舟』で読んだ覚えがある。上記のことを踏まえると、勝は相当ひねくれた選択をしたのだということがよく分る。もちろんそれは「虚名」に対する批判である。

二つ目は、「老中」になるのは譜代大名の中でも中堅クラスの大名に限られている、ということ。幕府は徳川家の家政組織としての側面を持ち、よって徳川家の「家来」である「譜代大名」と「旗本」がそれを取り仕切るべきもので、親戚である「親藩・家門」や徳川家外の存在である「外様」がかかわることは出来ない、ということは今までも知ってはいたが、譜代でも有力・名門の大名は老中にはならない、ということは知らなかった。(老中に井伊家がいないことは以前調べて知ってはいたけど)

譜代大名は江戸城内の控え室によって通常「帝鑑間詰」と「雁間詰」に分かれ、「帝鑑間詰」は城中に詰める義務はないが、「雁間詰」は基本的に城中に詰める義務があったのだという。そして帝鑑間詰の方が位は高いが、老中は雁間詰から選ばれる。(この二つの部屋の名は描かれていた襖絵に由来する)

徳川四天王の井伊・酒井・本多・榊原は基本的に老中にはならない。老中というのは江戸城中において「将軍の代わりに」政治を取り仕切る役目、言葉を替えて言えば将軍から見れば使用人という側面もあるので、徳川家に非常に功労のあった四天王家はそんなことに使わない。彼らは軍事的に重要な拠点を支配することによって、軍事的に徳川家の日本支配を支えるという「名誉ある」役目を与えられている。同様に、幕政初期の功労者の子孫や、その他由緒正しい家柄の大名などは皆「帝鑑間詰」、言わばお客さんとして扱って、城中で働かせたりはしないということになるのだそうだ。

しかし現実に老中が最高権力者として将軍の下で権力を振るっていたことは確かなわけだから、これは「権威」と「権力」が分離されていた、ということになる。大名というのは当然殿様扱いされて育ってきているが、江戸城中では主君は将軍なわけで、老中といえども一介の家来に過ぎないから、将軍の勘気に触れるような振る舞いがあったら大変なことになる。大名たちの中にはそんな危ない仕事をするより好きに殿様暮らしをしていた方がいい、と思う人があっても不思議ではないわけだ。

権威と権力が分離されていたのは日本史に一般にみられる特徴ではあるけれども、しかし逆にそうなったのはその時代が平和だったからだともいえる。幕末になり、政情が緊迫の度を深めてくると、親藩や外様の大名も幕政への参加を求めてくるようになる。つまり権威だけでは満足できず、権力も要求してくるわけだ。そうなるともともと権威の面では彼らに劣る老中はその重要性を急速に失ってしまうことになるのも理の当然だということになる。

井伊直弼が大老になったのは、家の格から言って井伊家は大老としてしか幕政に参加できないからなのだ。そして出世コースを上ってきた老中たちに比べても驚くべき権力を行使できたのは、井伊家の家格の権威とそれに伴う大老の権限によるわけである。権威と権力がシステムの中で一致したとき、これだけの独裁的な力を振るい得るわけだ。もちろん非常時だったからそんなことが現出したのだけど、いざというときはそれだけのことができるシステムが江戸幕府の仕組みの中に眠っていたということだ。まさに最終兵器である。しかしその最終兵器が暗殺という新時代のテロリズムによって無化されたとき、江戸幕府のシステムにはそれに代わるものはなかったのだ。

話を戻すと、権威を権力と分離して与えるというのは、人間の名誉欲と権力欲を分離して満足させるということで、なかなか上手く出来たシステムだと思う。近代社会では平等性を重視するから、名誉とか権威という実体の伴わないものはあまり理解されないものになってきてしまっている気がする。自民党には「最高顧問」とか何をするのか分らない役職があるが、つまりあれは文字通り名誉職であって、権力を奪っても名誉だけは与えておく、という形で波風が立たないようにしているわけだ。名誉欲だけが強い人が大臣とかになると役所は機能しない。そういう人には名誉だけ与えて棚上げしておくに限る。しかし総理大臣には最高の名誉と最高の権力が集中しているわけで、なかなか大変な仕事だなと思う。逆に官房長官とか幹事長とかは名誉の点で他の大臣に及ばないが、権力としては強大なものを持っているわけで、まあ日本の文化パターンというものはいろいろと形を変えても生き残っているということなのだろう。

リアリスティックな人には名誉職とか権威とか言うものの心理的な意味がわからないから、そういうものを軽視しがちであるけれども、実際にはかなり意味があることなのではないかという気がする。特に、権力を失った人、得られなかった人の補償作用としては大きいだろう。権力はなくても敬意を盛って丁重に扱われるのであればそれで満足だ、という人は決して少なくはないはずだ。むしろ仕事で苦労しなくて済むだけ、権力の座よりいいという人も多いに違いない。特に力を失った老人を邪険にする傾向が現代は強いけれども、権力の座にしがみつかせるよりは名誉を与えて大事に遇しておいた方がずっといいと思う。社会を平穏にしておくためにも、老人は大事にするべきだ。倫理とか道徳ということの裏には、けっこう合理性があることは看過されるべきではないだろう。

***

この本を読んでいて、私はこういう江戸時代とかフランスでもアンシャン・レジームの時代などが好きなのだなと思った。何でかというと、みんな今からみたらわけのわからないことを大まじめに必死になって頑張ったり取り組んだりこだわったりしたのに、今ではほとんど忘れ去られていて、それでも時々ひょっと思いかけないところでその影響が顔を出したりするところが面白いんだと思うからだ。近代はまじめな人がただひたすらわけのわかったことを論理的に効率的にものごとを組み上げて言ってその結果今日のような大破局(環境問題とかでね)一歩手前に至っているわけで、まじめな人がまじめにものごとを組み上げていくより、わけがわからないことをおおまじめにやっていたこの前代に魅力を感じるというなのだと思う。

というか、人間というのは本来、こういうわけのわからないこと(必ずしも理屈に合わない、非合理的なこと)を大まじめにやる存在で、だからこそ面白いのだと思う。そして、この「わけのわからないことをおまじめにやる」ことこそが「文化」なのだ。そしてその「わけのわからないことをおまじめにやる」ということの宝庫がアンシャンレジームであり江戸時代なのだ。

合理的な物事を効率的にやるだけでは心の豊かさは生まれないが、つまりそれはそこに「わけのわからないこと」がないからであって、そういうへんてこりんなものこそが「文化」なのである。まあ、合理的な物事を効率的にやっているうちに、知らないうちにヘンなものはすうっと入り込んできているわけで、それが社会の成熟であるし、文化の発生でもある。文化が発生して社会が成熟してきた方が普通は人間は暮らしやすいが、それはつまり人間の生活には合理では割り切れない生理的なものや好悪などの感情が作用しているからで、無機的な合理性にそういうわけの分らない有機的な緩衝材のようなものが塗りこめられていくからである。本来は職掌としての意味しかなかった「越前守」とかがその実質が全く失われて身分を現す名称として使われる、などというのが典型的な文化現象なのだと思う。

そういう意味で言えば、どんな社会にも文化は存在する。ただ、文化といっても好ましいものと好ましくないものが存在する。それはもちろんその人がどの文化に属するかと言うことにもよるが、客観的に見て文化的な洗練と非洗練というものはあると思うし、その基準は結局はその文化が暴力性を持つか否かということにあるように思われる。

茶道などは基本的に非常に洗練された文化現象だと思うし、暴走族やヤンキーの文化では根性焼きだの何だのと言う非洗練的な文化現象が現れてくる。洗練されすぎたり複雑になりすぎたりすると嫌味にもなるが、野蛮すぎるのも普通は嫌だろう。

文化というのは合理主義の立場から極端に言えば無駄の集積だが、そういう効率とか合理性とかと無縁のところに人間性の本質が現れるということで、そういうことが非常に興味深いのだと思う。ウィスキーなどが味や香りや舌触りなど人間の感覚の微妙さを極めていくことで作り上げられた文化であるとすれば、茶道は「思いやり」や「心遣い」に対する感覚を極めていくことによって作り上げられた文化だといえる。感覚は合理化できないし、効率化も出来ない。無感覚な人にとっては無駄でしかない。しかしそこに文化の本質がある。

江戸時代やアンシャンレジームの複雑なしくみやしきたりなどは、その時代なりの「気の使い方」や「倫理」や「美学」や「権謀術数」が絡んで形成されてきているわけで、正直言えばわたしはそういうものはあまり自分で実行する分には得意ではない。野次馬的には面白いし非常に興味深い。現代には現代なりの文化コードもあるわけで、そういう意味では現代もまた魑魅魍魎の世界ではあるのだが、これは知的好奇心の対象とするだけではすまないところが大変ではある。

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