地元/小池百合子ノーリターン/お手軽思想/啓蒙、屈折、真の知

Posted at 07/08/27

昨日(日曜日)。マンションの自治会のお祭り。今年は自治会役員なので、朝10時に集合をかけられ、一日仕事になった。びっくりしたのは、みんな異常に手際がいいこと。慣れてる人が多いというせいもあったが、それだけじゃない。でも手際がいい人たちと仕事をするのは気持ちがいい。ろくに動けない人たちとうだうだやらなければならないのは最高に気分が悪いので、これに関しては助かった。

いろいろ話を聞いていると、マンションなんだけど、地元出身の人が多いのに驚いた。生まれてからずっと江東区、というような人がマンションを購入して住んでいる、というのはちょっと意外だった。私のような地方出身者もいるにはいるが、案外地元性が高い。下町っぽい雰囲気が強いこととか、みんなこういうことに手際がいいこととか、そういうことが大きいんだろうなと思う。お祭り自体は短時間だったけど結構子どもとかが集まってなかなか楽しいものだった。私は子供がないのでこういうものに今まで参加したことがなく、へえこんな感じなんだと感心。

撤収も異常にすばやく、あっという間に片付いて打ち上げの宴会。これが延々。町会とか自治会というのはこういうもんなんだろうが、ちょっとこれに付き合うのは大変だ。8時半頃終わったがそのあとは何もする気にならず、『ローマ人の物語』を読んでいるうちに寝てしまった。

今日(月曜日)。疲れが残っていて今日も何もする気にならず、朝からずっと『ローマ人の物語』を読むが、これもあまり進まず。午後からは内閣改造関係のニュースを見ていたせいもある。小池百合子が辞任の弁で「アイシャルリターン」といっていたが、そのセンスのなさに呆れる。日本を攻め落とし占領軍の総司令官となった人間に自分をなぞらえる馬鹿が防衛大臣だったとは。靖国神社も参拝しなかったし、この女の行動は結局は機会主義的な点数稼ぎに過ぎない中身の薄っぺらなものだったということが丸分かりだ。よっぽどのことがない限り今後は支持せんぞ。

逆に就任会見を見て見直したのが舛添要一。厚生労働大臣の就任会見で、記者の質問が終わるか終わらないかのうちにすぱっと返答する姿勢はさすがにテレビ討論の常連だけあって、官邸詰めの記者のぬるい質問では太刀打ちできない感があった。社保庁等にも相当頭にきているらしく、役人のサボタージュをどう抑えつつ改革に大鉈を振るうのか、その手腕が見ものだと思った。多分このへんが内閣改造の一番の見どころなんだろうと思う。

塩野七生『ローマ人の物語』29-31巻[終わりの始まり](新潮社、2007)読了。

ローマ人の物語 29 (29) (新潮文庫 し 12-79)
塩野 七生
新潮社

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amazonの怠慢でまだ画像なし。何を考えていることやら。新刊を宣伝する気がないのか。文庫やマンガは軽視なのか。

時代は五賢帝時代末期、アントニヌス・ピウス帝の治世のマルクス・アウレリウスの話から始まり、ローマ世界の動揺が始まった哲人皇帝の時代、その子の猜疑心に満ちたコモドゥス帝、その暗殺後の混乱状態からセプティミウス・セヴェルス帝の治世まで。マルクス・アウレリウスの即位からセヴェルスの死まで50年間だが、たしかに坂道を転がるようにローマ世界が変化していく様子が感じ取れる。マルクス・アウレリウスの像がローマ時代の騎馬像が残っている唯一の例だとは知らなかった。これはタルコフスキーの映画『ノスタルジア』の中で皇帝の騎馬像の上で焼身自殺をする男が出てくるので印象的だったのだが、そんなに貴重な銅像だとは知らなかった。だからこそタルコフスキーは使ったんだろうけど、これはたとえば奈良の大仏の上で焼身自殺するようなものだ。

ストア派の哲学がローマの政治家に受け入れられたのは、ローマの政治家の生き様にその哲学がちょうど合致していたからだ、という指摘は説得力がある。なるほどこれは鎌倉・室町時代の武士たちにとっての禅宗のようなものなのだ。武士の生き方が禅宗によって哲学的な深みを与えられ、武士としての生き方のようなものが洗練されてきたのだと思うけれども、そういう意味ではストア哲学がローマ的な生き方を洗練させたといえるのかもしれない。「ストイック」な点も共通しているように思われた。

コモドゥスが帝位継承の時点では必ずしも性格破綻者ではなかったこと、セヴェルスの治世から皇帝の専制性が高まっていくことなどの指摘もなかなか興味深い。あまり詳しくない一般の読者が読んだらたしかにこれでローマ史について分かった気になってしまうのもある程度やむをえないのかもしれない。

しかし、そうなってしまうのは、世の中が余りにどんなことでも手引書やマニュアル本を読めば何でも分かることが出来るのだという「軽薄なお手軽思想」が蔓延していることが真の原因なのであって、歴史学者が塩野七生の著作の弊害を言い立てたりするのは筋違いもいいところだ。塩野七生を読んだだけでローマ史の全貌が分かるはずがない、ということは別に塩野だけでなく、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を全巻読破したところでローマ史の全貌、ローマ史について現在分かっている知見のすべてが分かるはずはないということとも同じことなのだ。だから、日本史の研究者が「大河ドラマの弊害」を言い立てることも同様に筋違いなことだ。大河ドラマは通史の研究発表のお手軽版ではなく、単なるエンタテイメントなのであって、それを見て鎌倉時代の歴史が分かる気になったところで大河ドラマ自体に罪があるわけではない。むしろそこで生じた興味をもっと本格的なものに育てていくところに研究者の啓蒙的な意味での使命があるはずなのだが、研究者の多くは啓蒙には怠慢で、その言い訳に大河ドラマを攻撃しているに過ぎない。本来自分たちのやるべきことをやっていないのにエンタテイメントを攻撃するのは筋が違う。

詳しい経緯は分からないが、最近ようやくもっとも重要なラテン語の著者のひとりであるキケロの全集の日本語訳が出るようになった。その全集が出せるようになった一つの基盤を作ったのは、間違いなく塩野七生の著作によるローマへの関心の高まりがあるはずだ。そういう関心の高まりを作った塩野の著作に学者は感謝するいわれはあっても非難するいわれがあるとは到底思えない。自分たちの著作が注目されず、作家の著作が注目されていることへのやっかみと見られても仕方がないのではないか。

***

閑話休題。そういうことを私が思うのは、私がそういう「啓蒙」という仕事に長く関わってきたせいもある。専門家は啓蒙というものを軽視しがちで、素人を馬鹿にしていれば済むけれども、啓蒙という仕事はその専門家と専門家を専門馬鹿と軽視する素人との間に立ってどちらにも有益な知的な獲得があるように骨を折る仕事なのだが、実際のところはこれがもっとも貧乏籤なのだ。分かった気になりたがる素人を戒め、素人を相手にしたがらない専門家のある種独善的な知見を噛み砕いて両者に知的に得るものがあるように調整する作業というのが報われることは基本的にほとんどない。本当はそういう仕事がもっとも重要だと思うのだが、結局啓蒙とか教育とかいうものは二流の研究者の仕事のように思われている。作家の仕事というのはそういう意味で「啓蒙」に近いものがあるので、共感もすれば同情もするし、慨嘆や怒りも共有する部分が多いんだなと思う。だから逆に言えば啓蒙の立場にいるものが作家的なものを志すのはある意味必然なのかもしれない。

しかし少し考えていて思い当たったというか我ながらびっくりしたのは、啓蒙ということを重視する私自身の姿勢というのはよく考えてみれば大衆民主主義的な発想なのだということだった。大衆は別に学問と無縁でいい、という高踏的な姿勢であれば、啓蒙など意味がないということになる。口では民主主義とか自民党政治が保守反動だとかいう人に限って学問には高踏的で大衆に対して拒否的な姿勢の人が多いのは不思議だが、彼らのいう民衆には本当の意味での、というか現実に存在する大衆というものがあんまり目に入っていないのだ。実際に存在する民衆というのは元ヤンキーとか元暴走族で今は魚屋、とかまあそんな人が一杯いるわけで、そういう人たちの予備軍にフランス革命やら日本近代史やらを教えるために格闘してきた身からすると、「知」と「非知」が激突する現場修羅場を知らない人たちの言ってることは空理空論にしか聞こえないのだが、そういうことを理解することも出来ないんだろうなと思う。大学も大学院生を教員に採用する際には荒れた中学で二年間専門に近いことを教えることを義務付けるとか、一種の下放政策を取った方がいいのではないかという過激なことも考えるのだが、まあそれも人民中国のような知の荒廃を招く可能性も高く、あまり現実的でもないだろう。

まあしかし、私も仕事の性格上そういうことを考えていたからそういうことを発想するわけだけど、私自身は実はそんなたいしたものでもなく、自分の肌合いの合わない人たちとはあまり一緒に時間をすごしたくないタイプの人間ではあるのだ。自分自身の中学や高校時代が暗かったのは結構「非知」的な人と付き合わざるを得ない時間が長く、またそれと妥協したり、そういう人が教師だったりしたことと無縁ではない。だから大学時代などは同じような知的レベルの人の中で生活できたからある意味異様に楽な時代だったのだけど、社会に出たらまたそうはいかなくなったということではある。仕事として「非知」的な人たちに「知」についての啓蒙をすることはまあ仕事だからやるけれども、ぎゃくに「非知」的なことを啓蒙される立場になるのは正直真っ平御免なので、まああんまり根が民主的だとはいえない。差別意識とは少し違うのだけど、同類意識とか非同類意識というのには正直かなり鋭敏な人間なので、多分そのあたりが鼻につく人には鼻につくんだろうと思う。そういうのも自分自身にとっては生き残るために必然的に身についてきてしまった感覚に過ぎないんだけどね。

まあなんというか、人間は多かれ少なかれ、特にインテリはほぼ間違いなくどこかが屈折しているわけで、別にそのこと自体はまあしょうがないことではあるんだけど、どこがどんなふうに屈折しているかは自覚しておいた方がいいし、自覚していないとそういうところを突かれるとみっともないほど激怒したり逆上したりする破目になる。っていうのは自分自身がよくあることだからそういうことを書いたりするんだけど。

左翼インテリが一番屈折しているのは、結局日本という自分自身の国に自身が持てないというところにある。国でも政府でも文化でも歴史でも何でもいいけど、そういうものに自信がもてないというのは屈折以外の何者でもない、ということは自覚しておいたほうがいい。ある種のイデオロギーからすればそういうことに屈折しているほうが正しいということになるからなのだけど、そんなインテリが日本以外の国にそんなにいるかといえばそんなにはいないだろう。明らかにいるのはドイツだけど、彼らもナチスの歴史が結局は未消化なのだ。しかしだからといってゲーテやカントなどの歴史的存在が消えるわけでもなく、ナチスのみにこだわらせられるのはあまり健全とはいえない。

正直言って、ヒトラーのように残虐な存在は別に彼ひとりではないし、人類にとって最も重い罪はガス室よりも広島や長崎だと思う。ナチスがヨーロッパ文明によって衝撃なのは、民主主義の中から生まれた存在であるということと、科学主義の中から生まれた存在であるということで、まさに近代主義によって生まれた残虐性だということにある。前近代性から生まれた野蛮に対しては彼らはわりあい無慈悲に葬り去れるのだけど、ナチスだけは見たくないものなのだと思う。

テロリズムは2001年以降国際社会の敵という評価を受けているが、韓国の独立運動家やシオニストなどにもテロリストは多い。フランスでは、2001年以前の話だが、テロリズムは旧枢軸国の文化的特徴だとまことしやかに語られていたそうだ。(デュランれい子『一度も植民地になったことがない日本』による)たしかに当時左翼テロが頻発していたのはドイツとイタリアと日本ではあるが、別にスペインだってETAのテロもあったし、IRAだって別に枢軸国ではない。だいたいがテロという言葉の起源がフランス革命時のテルールだということをフランス人は忘れているのではないか。九月虐殺などの赤色テロル、テルミドリアンによる白色テロルなど、テロルの本場は本来フランスなのだ。別に爆弾を投げることだけがテロではない。

一度も植民地になったことがない日本 (講談社+α新書)
デュラン れい子
講談社

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まあなんというか、いろいろ書いているうちに「知」にも「非知」にも「西欧」にも「日本」にも安住の地はなくなってきてしまう。「ミネルヴァのふくろうは黄昏に飛び立つ」というのはヘーゲルの言葉で、本来は「物事の本質は、それが終わろうとするときに見えてくる」ということらしいが、本来的な意味で物事の本質を知ろうという営為は、昼(知)にも夜(非知)にも属することが出来ない、(あるいは西欧と日本などの別の二項対立でもいいが)境界線的な営為なのだ、ということの象徴のようにも思われてくる。

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