日本のマスターズ・カントリー(ご主人様の国)はどこですか/「世界と勝負する」ということ
Posted at 07/08/22 PermaLink» Tweet
昨日帰郷。丸の内丸善で『コミックガンボ』の32号をもらい、それだけでは気が引けたのでデュラン・れい子『一度も植民地になったことがない日本』(講談社α新書、2007)を買う。ガンボで特に楽しみにしているのは黒岩よしひろ作画・上野毛あさみ原作「ステージガールズ」と日高トモキチ「トーキョー博物誌」なのだが、この号は両方とも掲載されていてよかった。「ステージガールズ」も「トーキョー博物誌」も単行本が出るなら買ってもいいくらいなのだが、こういう無料雑誌のマンガが単行本になるということがあるんだろうか。期待はしてるんだけど。
一度も植民地になったことがない日本 (講談社+α新書)デュラン れい子講談社このアイテムの詳細を見る |
一応過去のマンガもPCでも携帯でもガンボのサイトで読むことは出来るのだけど、有料になる場合もある。ステージガールズを第1回から読もうとしたら有料で二の足を踏んだ。携帯で「トーキョー博物誌」を読んでみたら一画面に1コマだったので、1回分のマンガを読むのに相当かかりそうで断念。携帯のマンガってそういうものなのか?
「ステージガールズ」は何号か読めず途中が飛んでいるのでストーリーも断片的なのだけど、レイナのキャラクターやシゲさんの舞台の感覚の蘇生などがいいなあと思った。「トーキョー博物誌」は今回はセミ。エピソードがどれも面白い。小泉前首相が「らいおん・はーと」にセミの羽化を見て感動した話を載せていたとか、しょこたんがセミの抜け殻を集めてるという話を書いたら山のように集まって大変だったとか、アリストテレスがセミを食べるのを好んだとか、ファーブルが食べてみてそれを否定したとか、さらにファーブルはセミのそばで大砲をぶっ放して鳴きやまなかったためセミは耳が遠いと結論したりとか、(実際は鏡膜という器官で音が聞こえるらしい)ほかにもあるがどれも面白い。そして最後に少し苦さのあるエピソードをはさむ。この作り方はいいなと思う。
『一度も植民地になったことのない日本』はヨーロッパで感じたヨーロッパ人の日本観への違和感が中心。理屈を言っている部分ではちょっと陳腐だとか見方が浅いと思うところもあるけど、でもある意味「平均的な日本人」が感じる違和感のようなものが上手く書けていると思った。ただ読んでいるとヨーロッパ人の傲慢さに腹が立ってくるけどね。著者は簡単に言えばアート関係の仕事をしている。
まだ98ページまでしか読んでないが、ここまでで一番印象に残っているのは、オランダの画廊で版画の個展をやったときのエピソード。ディスプレイが遅れて掃除婦が来てしまい、そのときのやり取り。その女性は南米スリナムの出身で、つまりオランダの旧植民地出身。その彼女の発言。
「オランダに来るまで、アーチストという職業があることを知りませんでした」
日本にもアーチストがたくさんいることを聞いて驚いたのだという。また、彼女に車で送ってもらって帰る途中に、「日本のマスターズカントリー(ご主人様の国)はどこですか」と聞かれたのだという。日本は植民地になったことがない、というと信じられないという顔をしたのだという。
あとで画廊の主にその話をしたら、「彼女はゲストワーカーとしてはトップレベルだ」といわれ、その語感にまたショックを受けたのだそうだ。
やはり、「マスターズ・カントリー」という語感は凄い。戦後の日本人は自虐的に日本はアメリカの属国のようなものだ、とかいうけれども、逆にいえばそれは本当に「ご主人様の国」を持つ感覚とはかけ離れていることを自覚するべきだとはいえる。
日本はやはり、どんなに頑張っても「非西欧世界でのトップ」以上にはいけない、それは日本が西欧中心の世界秩序を受け入れた以上ある意味宿命ではある。中国などはそれ自体をけっこう拒否しているところがあるし、その圧倒的なボリューム感によって存在感を主張しているところがある。ていうか日本もそれをやろうとして第二次世界大戦で散々な目に遭ったわけだが、現在中国のやっていることも基本的には同じだと思う。
アメリカが西欧世界で事実上トップに立っていることをヨーロッパ諸国が心理的に受け入れていないのはまあ昔からのことだからよく分る。でてきたら潰す、というやり方は日本に対しては成功したけれども、中国に対してはどうなるか。日本も基本的には西欧側に立っているし、中国の対日姿勢などを見ているとそれはそうせざるを得ないと思うのだけど、本質的にはどうするべきなのかは難しい。
mixiのある人の日記で金原ひとみ『蛇にピアス』について議論をしていて、「世界と勝負しましょうよ」と言われてぐっと来る。つまり、個人的に穴を掘るような文学ばかりでなく、もっと骨太の世界を相手にするような作品を読みたい、ということなのだが、そう言われてみてそういえば最近「世界のこと」なんか考えてなかったなあということに気がついた。昔は考えていたかといえばまあ、稚拙ななりには考えていた、ということなんだろうか。
蛇にピアス金原 ひとみ,渡辺 ペコ集英社このアイテムの詳細を見る |
『一度も植民地に…』の話ともつながってくるのだけど、一時『西力東漸論』と『西文伝道論』について考えていて、つまり世界の捉え方というのが、アジアでは西力東漸、つまり西欧が加害者で東洋が被害者、という文脈が基本にある考え方が強いけれども、欧米では西文伝道、つまり西欧が世界に文明を伝道していった、つまり西欧が与える側でそれ以外の国々は受益者である、という考え方が強くて、その溝は決して埋まらない、というようなことを考えていた。
最近特にグローバルスタンダードを受け入れることが当然、というような風潮が強く、欧米発の思想を平気で自分のものだという顔をして未消化で受け入れている人が多くて(特にリバタリアンにそういう人が多い気がする)嫌だなと思っている。また、ヨーロッパの人たちは「アメリカ基準」のグローバルスタンダードには反対だが、ヨーロッパ発の、つまりより広い意味でのグローバルスタンダード(まあつまり近代文明といってもいい)に関しては全く当然だと思っているし、そうでない人は野蛮だと今でも本気で思っているわけで、みんな広い意味での西文伝道論だと思うのだ。
日本人はそのあたり、あいまいというか、自分は西欧文明に依拠して生きるのか(植民地型文化人)、あくまで日本的なものに根を置きつつ西欧文明を取り入れて生きるのか、(いわゆる和魂洋才)そのすべてを拒否して生きるのか、(日本原理主義?)まだまだ引き裂かれた状態なんだと思う。だいぶ植民地型の人々が増えてきていて、鬱陶しいんだが、特に欧米と取引のある企業、あるいは外資系などに勤めている人、アメリカに留学経験のある人などに増えているのは世界的な傾向なんだろう。日本はもともと和魂洋才で一定の成果を上げてきているのだけど、もう洋魂洋才でないとだめだ、というのが思想的な意味でのグローバルスタンダード主義者なんだと思う。
和魂洋才というのはそりゃまあどうしても原理的に矛盾するところはあるわけで、だけどそれしか日本というアイデンティティを維持しつつやってくのは無理だろう。私はいろいろな意味で日本原理主義的傾向はあるとは思うけれども、もはや西欧起源のものを一切取り入れることを拒否するということに実際的な意味があるとは思えない。アルカイダですらインターネットで犯行声明をするわけだし、まあ彼らはけっこう徹底的な「イスラム魂洋才」ではある。
ただ、やっぱり「和魂」の部分が弱まりつつあることは確かなんだよな。けっこうそういう部分で皇室のこととか神社神道とか靖国問題とかにどうしても発言してしまうのだけど。そこに近代的な変容があることはもちろん承知している。でもその変容を含めて日本のあり方であったのだし、原理的にというより政治的に、その部分を守らなければもっと多くのものが一度に失われる危機にあると思うから、多少理屈が通ろうが通るまいが守るべきものは守らないといけないと思う。それはお釈迦様の矢のたとえのようなものだ。矢に射られて死にそうな人がやらなければいけないのは矢を撃った人がどんな人か詮索することではない、というような意味だ。もちろんもっとその底にあるものについて極めていかなければならない、幸田露伴の言う「間接的な努力」も並行してやっていかなければならないとも思うけれども。
世界と勝負する、といっても、結局西欧の文脈に絡め取られてしまうことではないのか、あるいは東西対立の構図に捕らえられてしまうことではないのか、というところから今のところ自分が抜け出せる道が見つからない。そうなると結局金子みすずではないが「みんな違ってみんないい」というしかなくなり、個別的個人的に穴を掘っていくしかないんじゃないか、というところに行ってしまうんだよな。
でも結局は、その穴が世界を救うことにつながる万に一つの可能性に賭ける、ということしかないんだろう、と思う。もちろん世界を意識した上で、でなければ意味がないけど。その穴で永遠に迷うことになるかもしれないけど。
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