終戦の日の朝の靖国神社は/キスリング展:絵はよかったが冷房がききすぎ

Posted at 07/08/15

早起きして、朝から靖国神社の参拝に出かけた。昼ごろになるといつも本殿前は参拝待ちの人たちで溢れて、この炎天下にかなり待たなければならない、ということが重なったので、今年は開門してすぐに参拝しよう、と思ったのだ。ネットで調べると開門時間は午前6時だった。昨夜寝たのは1時半だったからちょっときついかなと思ったが暑くて5時に目が覚めた。シャワーを浴びて黒の上下を着、出かけると朝の道は涼しかったが、日が差してくるとすぐにかなり暑くなった。地元の駅で6時4分発の電車に乗る。

九段下に着く。さすがに早いせいか、毎年たくさんいるビラ配りの人はほとんどいない。テントはもう設置されていた。取材クルーはもう結構来ている。目だったのはチャンネル桜の人たち。

手と口を清め、本殿に参拝。まだ人は多くなく(普段の何もない日の日中と同じくらい、いやそれよりは多いかな)、すぐに参拝出来た。英霊に日本を守ってくださったことを感謝し、自分も頑張って日本の更なる繁栄に貢献したい、というようなことを祈念。自分の中で今年はあまり日本を貶めようとする人たちに対する攻撃色が強くない。反発するより自分自身の地道な努力の方が大切、という方向に行っているようだ。

参拝を終えて出てくると、参道のちょうど正面に強い太陽があって、まっすぐ歩いていても目を焼かれるような感じ。大村益次郎像を過ぎたあたりで大鳥居の影の中に入り、何とかやり過ごす。チャンネル桜のクルーにコメントを求められ、何を聞かれるかと思ったら、「あなたにとって靖国神社とは何ですか」。どう答えたらいいものか、ちょっと困ったが「日本を守ってくださった方たちが祀られている所です」とあまりにもひねりのない答えをしてしまった。まあでもそういう答えでよかったんだろうねとは思う。でも放送には使われないだろうな、これでは。といってもチャンネル桜はCS放送だから全然見られないんだけど。ネットではひょっとしたらみられるかな。

まっすぐ帰宅し、もう一度寝ようとしたが、どうもあまりうまく寝られなかった。

***

昨日。キスリング展を見に横浜に。昼前に家を出て、丸の内のオアゾで昼を食べようと思ったがどこも混んでいる。やっぱりお盆か。普通に往復を買うより安いだろうと思って横浜フリー切符を1000円で買ったら、普通の往復は900円だった。東海道線で横浜に出、昼食を取れるところを探す。10階のグルメパークで焼き鳥丼を食べたがなかなか美味しかった。

6階のそごう美術館でキスリング展を見る。今まであまり関心がなかったが、『新日曜美術館』のアートシーンでちらっと見て、心を奪われてしまった。入場すると、寒い。貸し出し時の条件によって23度以下に保たれているのだという。23度!外気より12度くらい低いぞ。一枚羽織ってください、と入り口には書いてあったが、それならホームページにも書いておいて欲しかった。私はいちおう長袖のシャツだったけど、それでも辛かった。

キスリングの絵はいい。帰ってから何度も図録を見直しているが、本当に『いま自分が見たい絵』というものだ。アーモンド型の目の形がモディリアニの模倣っぽくて以前はあまり好きではなかったのだが、キスリングはマチスやセザンヌのような、全く新しい方法論を打ち立ててそれを掘り続ける画家ではなく、さまざまなスタイルや制作方法を柔軟に取り入れていく中で自分独自のスタイルを確立していく、いわば普遍的なアーチストのあり方をやりきった人なのだということがよくわかった。キスリングは革命家ではない。だからこそ、革命家では出来ないことが出来るのだ。結局自分の道もそういうところにあるのだろうと思う。

模倣に見えるところは多いのだけど、実は全く他の画家にはないスタイルを打ち立てている。それはフジタを見たときもそう思ったが、見る側としても若いうちは理念的な部分を重視してしまうために革命家タイプの画家に惚れてしまうわけだが、下手をするとそれはスタイルの自己模倣に陥っていったり、微妙なところで自分の好みとのずれに鑑賞者として苦しむことになる。ピカソに対して私はそういうところがあるなあと思う。しかし革命家でなくても自分のスタイルを持っている画家に対しては、もっと『好み』だけで接することが出来るところがある。

私がキスリングがいいと思うのは、最大の点は色使いではないかと思う。なんというか、「満足すべき色」「心を華やかにする色」を使うのがうまい。ざっくりとシンプルに対象をとらえているようでいて、花柄などの細部の精密さ。やはり全体的にモディリアニに似ている部分は多い、というか一番仲がよかったようだし、逆に言えば二人で作り上げていった部分があるのかもしれないのだけど、モディリアニほど切羽詰っていない、余裕がある部分が見ていて親しみが湧く。そういう感想は、こちらの側の精神状況とも関わることなんだろうけど。

出展された作品では、1922年の『オランダ娘』でキスリングのスタイルがいきなり完成している、ように思われる。この絵の図録の解説の、「キスリングが描く人物画は、表情の精彩に乏しいモデルを、色彩とマチエールの操作によって生彩あふれる絵画に仕上げるという、ねじれたプロセスで成立」しているという指摘(花田伸一)には全くその通りだと思った。なんというか、いろいろな芸術史上、美学上の要素がふんだんに取り入れられていて、みんな何か一言言いたくなるような画家であると思うし、またそんな理屈を全く排除してもいい絵だなあと思えるような絵なのだ。ただたんに、「満足すべき作品」というか、見るものの官能を十分に満たしてくれる。欲をいえば会場が寒すぎてじっくり見られなかったが、冷房に弱い人にはそれに備えて出かけることをお勧めしたい。会場を出たあと、図録と『赤いセーターと青いスカーフを纏ったモンパルナスのキキ』(1925)の絵葉書と、はがきサイズの赤い木の額縁を買った。今私の左手前方に飾ってあるが、何度見てもいい絵だと思う。

まっすぐ帰ろうかとも思ったのだが、100円分どこかにいこうと思い、根岸線で山手にいってみる。降りて地図を見て自分の間違いに気付き、やはり帰ろうと思ったが、石川町に電車が止まると体がむずむずしていうことをきかない。で、炎天下の道をフェリスの方に上がっていき、いつも行く木造洋館の喫茶店に。和三盆ロールとコーヒー。ただ客が多くて、店の人もあまり落ち着かない感じだったのが残念。でも和三盆ロール美味しかったな。

元町公園のあたりから下に降り、元町の中心街へ。そう言えば、横浜に来てもこの通りは最近歩かなかった。しかし昨日歩いてみるとこんなに楽しい通りだったかと仰天。お金がないからなんだけど、お金さえあれば買ってみたい洋服がずらずら。そんなに高くもない。東京の若者の町みたいな排他性もなく、銀座みたいな敷居の高さもない。なんというか横浜はどこもそうだけど、開放的で自由なところがいいなといつも思う。「きれいな彼女と二人で歩きたい街」というのはあるけど、「きれいな奥さんときれいな三人の男の子どもを連れて歩きたい街」というのは日本には他にない感じ。ついでに一番小さい女の子を抱っこなんかして歩いたら言うことない。ってそれを実現するためにはずいぶん大変だが個人的には。

石川町の駅で京浜東北線直通に乗る。弱冷房車だったので横浜で乗り換えずにそのまま東京駅まで行ったが、さすがにちょっと時間がかかった。日本橋のコレドの地下でスパークリングミネラルウォーターを探し、イタリアのソーレを買った。

買ったのは750だけど。どうにもビールが飲みたくてメキシコのコロナを買い、ついでに夕食のネタも買って帰宅。

夏休みの過ごし方としては充実していたが、家に帰って靴を脱いだらまめが出来てたりして足はボロボロだった。

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by Luke Peterson

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