読み疲れ:『わたしの名は紅』/堀江敏幸『熊の敷石』/『アサッテの人』を求めて三千里

Posted at 07/07/21

昨日。午前中に気合を入れてオルハン・パムク『わたしの名は紅』を読破した。イヤー疲れた。感想は後に。

6月末でしめた仕事のお疲れさん会をお昼に。少し冷房が効きすぎていたか。1時半頃に解散し、近くの図書館へ。予想はしていたが『群像』の6月号は貸し出し中で、どんどん貸し出し予約が増えるばかり。吉田修一『パーク・ライフ』も貸し出し中で、さて何を読もうかといくつか調べたが結局堀江敏幸『熊の敷石』(講談社、2001)を借りた。フランス、ノルマンディーを舞台にして、言語学者のリトレやホロコーストの話が絡んでくる。現在88ページ、まだちょっと感想を言える段階にない。

熊の敷石
堀江 敏幸
講談社

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午後から夜にかけて仕事。まあまあ忙しく。最終の特急で帰京。車中は酔っ払いの会社員が集団で乗っていて、賑やか賑やか。『熊の敷石』を読んだり寝たり。途中で先行列車が「小動物」をはねて特急も10分以上遅れた。「小動物」とは多分鹿だろう。アメリカで、よく鹿は道路に飛び出してきて危ないと言っていたことを思い出した。

東京駅で改札を出ようとしたら切符がうまく通らず、改札で留められる。駅員に手を振ってきてもらおうとしたら全然来ないので、「すいませんーん!!!」と大声を出したらすっ飛んできて、何も調べずに通した。正当な切符を持っているのに、ごり押しをしたみたいで何だか不愉快な感じ。

朝起きても疲れが残っている。『わたしの名は紅』をとにかく読み終えようと頑張りすぎたせいか。江東区の図書館で『群像』の6月号が借りられないかと調べてみたが、やはり貸し出し中で予約がたくさん入っている。芥川賞受賞作が掲載される『文藝春秋』の発売日はたぶん8月10日だし、さてどうしようと思ったら、単行本が発売されることが分かった。amazonでは21日、講談社のサイトでは23日が発売日になっている。正式発売日は23日だろうが、フライングで出ていることもあるかもしれないので、あとで見に行ってみようと思う。

アサッテの人
諏訪 哲史
講談社

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オルハン・パムク『わたしの名は紅』読了。

わたしの名は「紅」
オルハン パムク,Orhan Pamuk,和久井 路子
藤原書店

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すごい大作。合計6年かけて書いたというだけのことはある、スケールの大きな作品。やはり最大のテーマは、「失われていく悲しみ」、ということか。一生をかけて習得したイスラム細密画の技術が、ヨーロッパの写実ガに押されて見捨てられていく。つまり、文化的な西力東漸、ということかと思っていたけれども、『父のトランク』を読み直してみると、ヨーロッパとアジアという問題だけではなく、「失われていくことの悲しみ」一般について書きたかったのだということをいっていて、そうなるとより大きなスケールを持つことになる。

「西力東漸(ヨーロッパ近代文明が非欧米文明に浸透し、駆逐していく)」は巨大なテーマだ。私はこの小説を読んでそれが巨大なテーマなのだということをはじめて認識させられたような気がする。歴史をやっていたせいで、そういうことはある意味当然過ぎる事実と認識してしまっていたことがあって、そのことがそれぞれの世界で地道に技芸を習得してきた人々にとってどんな意味を持つのか、という認識が十分でなかった気がする。もちろん、日本の伝統文化の継承が困難であることとそれらは共通する問題なのだけど、こちらの方はもっとミクロな後継者問題のほうに認識が縛られてしまい、大きなスケールでの西欧近代の圧力というものはまた見逃していたような気がする。

それでも日本では伝統文化を継承すること、またそれを維持することに国民的な合意があり、一度廃れかけてもそれを復活しさらに発展させようとする人々の力強い営みがあるわけで、私などはある意味楽観的にみているところがあった。

しかしトルコの細密画の伝統は、パムクの言い方を読むとそうした状況にはないということなのだろう。イスラム芸術ではもともと偶像崇拝に対する強い禁忌があるので、絵画自体が不道徳な存在として前近代から弾圧の対象になりがちだった。美術史でも書道の方が中心を占め、絵画はつけたし的に扱われるだけなのだという。おそらく、細密画についてこれだけ取り上げたものは小説ではもちろん、美術史においてもそうはなかったのだろう。そうした中でこれをテーマに取り上げるということは多くの困難が伴っただろう。ただそのあたりのことは『父のトランク』の佐藤亜紀との対談に詳しいので、省く。

そのテーマとも重なるが、すべての人が何かを失う。命を失う人もある。中心になる女性は夫を失い、父を殺される。そのあらたな夫となった主人公は殺人者に肩から切られ、不具になる。ヨーロッパの絵に見せられ、新たな写本を作ろうとした高官は殺され、それと対立している細密画の巨匠は殺人の真相を探るためにスルタンの所蔵する宝石のような写本を見続け、自ら針で眼球を突いて盲目になる。絵画や芸術というものの持つ妖しい魅力を、この小説は書きつくしていて、すべての人が不幸になりながら求めてやまない美というものの魅力について述べているところが巨大な文学として成立している点なのだと思う。

16世紀イスタンブルの街の喧騒をはじめ、とてもよく書けている。争いごとを解決するために仲間を募って対立者のところに押しかけ、家を叩き壊したりしようとするところなど、本当にリアルだ。恋の駆け引きの複雑さはちょっとついていききれないところがあったが、あっちの人たちはこういうことが好きなんだなあと思ってしまう。最後はめでたさは中くらいなり、ということで終わるが、それがまた節度があって好感が持てる。

日本でもこういう、文明自体をテーマにしたようなスケールの大きな小説が出てくるとよいと思う。

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