太田道灌/絶対に死ぬという状況の中で浮かび上がってくる自分らしさ:中村文則『土の中の子供』

Posted at 07/07/14

昨日。午前中市立図書館へ行って松浦寿輝『花腐し』を返却し、中村文則『土の中の子供』(新潮社、2005)を借りる。自販機でコーヒーを買って一息入れて『風林火山』のポスターを見ていたら、何だか最近の大河ドラマの主人公は少しマイナーな人が多いなあ、もっと有名な人でも大河ドラマの主人公になってない人は入るんじゃないかなあとぼんやり考えていて、そうだ、太田道灌だ、と思いついた。

それで図書館で検索したら新田次郎文庫に新田次郎が書いた『大田道灌の最後』と新田次郎旧蔵の太田道灌公事績顕彰会編・発行『太田道灌』(1956)があるのが分かり、調べてみる。『太田道灌の最後』は短編だが、戦国時代の関東の一つの謎である主君の扇谷上杉定正と懸隔が生じた理由を、ある女性をめぐってであった、という構成になっていて、なるほどと思った。『太田道灌』を読んでいると、いろいろと書き込みがあったり線が引かれたりしている。それが『太田道灌の最後』の記述に一致しているので、これはどう考えても新田次郎本人の書き込みとしか考えられない。そういう本を読むのは何だかインスピレーションが得られそうだなあと思い、これも借りた。

太田道灌は、江戸城の築城者として知られる。特に戦前は、東京の原型である江戸の建設者として非常に高く評価されていた。それは、現在の東京の発展の原型を作ったのがいわば朝敵であった徳川氏の始祖・徳川家康だったからで、家康以前に城を築いた道灌を高く評価することにつながったのだ。しかし最近では徳川家に対するこだわりもなきに等しいから、江戸を建設したことに関しても家康はこだわりなく評価されるようになって来ていて、逆に道灌の評価は薄れがちになっていると言う状況だと思う。

この本はまだあまり読んでいないのだが、太田道灌の伝記は実は不明のところが多いらしい。ある意味スターだったこの人の本格的な伝記がないのはなぜかと思っていたのだが、要するにあまりよくわからないからということのようだ。よく知られている面を考えてみると、山吹のエピソードに代表される和歌や風流の側面、江戸城の築城、主君に闇討ちされて殺された非業の死、という三点になるだろう。庶流である扇谷上杉氏が戦国初期の関東で強い力を持ったのは道灌あればこそだ。扇谷定正は極端に暗君視されているのは彼の謀殺と『南総里見八犬伝』の影響だろう。私の世代であれば辻村ジュサブローの人形劇『新八犬伝』の印象が強いに違いない。

室町期から戦国期の関東の様子というのは、専門家にはともかく一般には知られていないことが多いと思うし、また調べなければいけないこと、調べても分からないことがたくさんあるとは思うが、結構面白いのではないかと言う気はする。

***

仕事のほうで懸案があり、午前から午後にかけてそれをやって午後は休息。午後から夜にかけて仕事。最終の特急で帰京。車中、中村文則『土の中の子供』を読む。読了。

土の中の子供

新潮社

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最近読んだ小説の中で、もっとも心の奥底が共振した作品。驚いた。題名からして暗い救いのない作品ではないかと思い最初は読む気にならなかったのだけど、扱われている題材と、自分の心の奥底にあるものというのは必ずしも関係がないということが分かるし、そういう意味では題名とか題材とかでは自分が必要としている作品を探り当てることは出来ないのだということを思い知らされた作品だった。

扱われている題材は児童虐待だ。自分は普通の意味での児童虐待はしたこともされたこともないからそういうものそのものにはよくわからないとしか言いようがないが、「絶対に逆らえない暴力によって引き起こされるあとわずかで確実に死ぬという状態」というものについてはいつも心の奥底で絶望的に恐れるものがあったし、「恐怖」というものがそれを呼び起こすものでもあった。だから旧陸軍の「制裁」の場面や、暴走族の暴行などを映画で見たりすると、そういう絶望的な恐怖というものが自分の中で共振することを感じる。また、さまざまな状況において自分を超えた力を感じると、常に自分の存在が脅かされる戦慄を感じ、それに囚われてしまっていたのは、こうした絶望的な恐怖というものを心の奥底に抱えていたからだと思う。なぜそういうものが生じたのかは分からないが、まだ意識のない時代の名残なのかもしれない。

「絶対に助かることのない、後わずかで確実に死ぬ存在である自分から、抜け出そうともがくのだ。その圧倒的に自分のすべてを支配する力を体感しながら、私は核心に近づく。私は、予感しているのだ。私はその中で、もっとも私らしくなるのだろうと。」

この文を読んだとき、私は自分の中にある何かを言い当てられた気がした。確実に訪れる暴力を、ただ待っている。不幸や衝撃が必ず訪れるという予感があったとき、私はそれに対し身構える感覚がある。この予感は割りと外れるので、この身構えは無駄になることが多く、逆に言えば身構えすぎて失敗することが多い。これは暴力に対して条件反射的にそういう構えが出来てしまうために、類似した状況があるとものすごく先回りして回路が動いてしまうために起こる。だから本当は、恐れずに状況を冷静に見る目がまずは必要なのだが。

「黒いモヤから、私の生きる意欲が――それは眠りたいであるとか、水が飲みたいといった単純なものだったが――微かに生まれ、その都度加えられる暴力の痛みで死んだ。私はそういった感覚の固まりと化していた。その時、奇妙なことだが、これが人間にとって本当の姿ではないかと思ったことがある。自分が人間になる以前の人間へと、人間として完成する前の未完成な、しかし存在の根源であるような固まりに、なった気がした。」

この文章も、自分の中にある何かについて、言い尽くしてはいないとは思うのだけど、ある意味非常に分かりやすく表現してもらっている感じがした。

この小説が「上手な小説」であるかといえば、たぶんそうじゃないだろうとは思う。『文学賞メッタ斬り』では豊崎由美に「小説偏差値が低い」とけちょんけちょんに酷評されている。主人公がカフカの『城』を読んでいたり、主要な女性の名が「白湯子」であったり、まあありえない、ちょっと前(全共闘時代?)の小説のベタな感じをそのまま受け継いでいるのが相当気に入らないらしい。確かに私も読んでて、展開に無理があるんじゃないかと思うところはいろいろあったし、白湯子が主人公といっしょに生きる決意をするあたりはちょっとどうなの、みたいな感じもないわけではなかった。ただでもこの小説の圧倒的な力は先に引用したような自己の内部に対するほかの小説家が迫ったことのない迫り方、描写の力にあるのであって、他の部分が相当「脇が甘い」のもまあそれで十分許される感じが私にはする。

大森望はこの作者は「天然」なんだ、という言い方をしているが、つまりある意味無意識とか直感で書く作家であって、秀才型の細部まで詰めるタイプの小説に対する評価の仕方では評価しきれないということだろうと思う。私も実際そうだろうと思う。『城』を読むのがいかにもありきたりだという批判はわかるといえば分かるけれども、それ以上に堂々巡りの状況を象徴できるものがなかったのだろうし、「白湯子」という名前も味のない冷たくもないお湯の感触に、死産のあと不感症になった女性の「ぬるい(甘いとかそういう意味ではない、何かこの言葉にある感情や感覚のすごく本質的な部分が表現されていると思うのだけど、そう思うのは私だけだろうか)」悲しみというか不幸というか、そういうものが反映されている気がして、私は割合適切な名前だと思う。

つまり、リアルとアンリアルの世界がうまく分離できていないのだ。そういう感じが好きな人は好きだと思うし、それが受け入れがたいと感じられる人にはダメかもしれない。私は嫌いではないので、豊崎のようには考えない。

まあたとえば、寺山修司の『田園に死す』だったか、ラストシーンで「本籍東京都新宿区新宿、字(あざ)恐山(おそれざん)」というナレーションが入り、田舎の家の周囲が倒れてまだ二光があった時代の新宿東口の光景になるのだが、あれははじめてみたとき「恐山かよ!」と思った覚えがある。あれもある意味相当「偏差値が低い」のだが、今思い返してみるとやはり寺山もああいうふうにしか表現できなかったんだなあと思う。ある意味、「偏差値の低さ」を恐れるな、ということも、表現に関しては必要なんじゃないかという気もする。

いろいろ考えていて思い当たったのだけど、あの絶対死ぬというような状況の中で浮かび上がってくる「自分らしさ」とか「生きる意欲」「存在の根源」というようなもの、別の言葉で言えば「抵抗力」というもの、よく「病気への抵抗力」などといわれるあれだ、を呼び起こすということが、重要なことなんだろうと思った。死ぬかもしれないと思うからこそ生きる力が湧く、それこそが存在の根源なんだ、ということだろう。そういう意味でいえば、たとえばリストカットなどにしてもそういう形で自分を追い詰め、「痛み」を感じることで「生きる」抵抗力を呼び起こそうという切ない試みなのだということが理解できる。

これはたとえば肉体的なことだけではなく、子供や中学生がわざと悪いことをするといった精神的なことにもつながるだろう。悪いことをすることによって、それが悪いと実感する、自分で感じるか人に叱責されるか、状況はいろいろあるだろうけど、自分の「正しさ」を呼び起こしたい、という欲求があるように思う。いいと思うことの逆をやってしまうのは、ある意味人間の本質がよりよいもの、より高いものを求めればこそで、ただなかなかそれが適切に前向きの力に添加しないことがさまざまな不幸につながっているという面もあるのだと思った。

(ちなみにこの抵抗力のようなものを使って人がよりよく生きる力を呼び起こそうというのが野口整体の考え方なのだ、ということにも気がついたのだが、この当たりはうまく説明できないのでメモ的に)

2000年以降の芥川賞作品をこれで9本読んだ。最近の芥川賞作品を一つ一つ読んでいくと、自分の中にあるさまざまな感覚が、一つ一つ丁寧に説明されていくような、奇妙な面白さと面映さを感じるようになって来た。何だか自分のために書かれているような感じがしてきてしまうのだ。

自分の中にある説明のできない感覚や感情、自分だけでは乗り越えられないそうしたさまざまなものを自覚し、前に進む力になるためのものが本来文学の役割の一つだとすれば、まさに今自分自身が文学によって救われて(巣食われて?)いる、前に進むことができるようになっているということを実感している。こういうのは普通10台20代の頃に感じるべきことなのかもしれないが、あの頃自分の回りにあった文学を読んでもそうは感じなかっただろう。21世紀の純文学は私という人間そのものにとってそういう役割を果たしてくれる作品が多いというのはどういうことなんだろうと思う。40代の純文学狂いなんていうのはどうかと思われるようなことだろうが、ミステリーとか商業作品を読んでも面白くは思わないけど、こういう人間の本質に迫るようなものを今にして手に入れられているというのは、何だかここまで生きてきてよかったというようなものですらあるのだ。

帰郷後夜更かし。朝は間違い電話で眼をさませられ、8時半に起床。雨が降っていたが図書館に出かけ、『八月の路上に捨てる』を返却し、モブ・ノリオ『介護入門』(文藝春秋、2004)と阿部和重『グランド・フィナーレ』(講談社、2005)を借りる。本当は青山七恵『ひとり日和』を借りたかったのだが、江東区立図書館にある19冊全部が貸し出し中になっていて、借りられなかったのだ。みんなちゃんと本を買えよ。

介護入門

文藝春秋

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グランド・フィナーレ

講談社

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そのまま銀座に出、山野楽器でアンジェラ・アキの新譜『たしかに』を買い、教文館で立ち読みし、(『新潮』の浅田彰と橋本治の日本美術史をめぐる対談が面白そうだった。あとは藤原正彦と各界の人たちとの対談本)京橋まで歩いて「あずま」でラーメンと半チャーハンのセットで昼食。地下鉄に乗って帰った。『わたしの名は紅』は118ページまで読んでいる。貸し出し期限はあと一週間。ちょっときついか。

たしかに
アンジェラ・アキ
ERJ

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