文学賞メッタ斬り

Posted at 07/07/11

最近の芥川賞の作品を一通り読もうという自分の引いた線がミッションになってしまってちょっと身動きが取り難かった。今日は雨。図書館に出かけるだけで膝から下がずいぶん濡れてしまうほど。梅雨末期の雨は、昨年の狂暴な豪雨を思い出して嫌だ。

昨夜は『文学賞メッタ斬り』をネットで読める範囲で読んでいた。大森望の方はSF作家として昔から知ってはいたが、最近下読みの鉄人みたいに新人作家を読みまくっている下読みマンもやっているらしい。実際、最終選考に残る作家だけよりも、もっと玉石混交の状態の方が文学の今が分るのではないかという気もしなくはない。

豊崎由美のほうはこの企画ではじめて認識したが、どちらかというと豊崎が純文学中心、大森が大衆文学中心、で見ているようだ。

このサイトを読んでいて面白いのはなるほどそういう目で見ているのかという選考側の視点が少し分るということと、選考委員の見方に対する疑問や賛同の言い方にあるのだと思う。宮本輝や石原慎太郎のような古手の選考委員の見方に疑問を呈することが多いが、最近の芥川賞を最近何冊か読んできていて、私はなんというかあまり先鋭的にもなりすぎず、後衛的にもなり過ぎない選考が結果的に(数年経ってみれば)できているのではないかという気がする。時代を反映した作品、作家が選ばれている印象がある。

選ばれなかった作品を読んでいないからもちろんあまり公平な評価ではないのだけど、時代から抜け出しすぎた作品を選ばないという選考もある意味ありなのではないかという気もする。そのバランスを石原や宮本が取っているといえばいいか。読者は若者ばかりでもないし、知的感性的につきぬけた人たちばかりでもない。石原や宮本の選評を「わかってねえなあ」と批判するのはそれはそれとしてもちろん必要なのは確かなのだけど、文学をあまり囲い込むのもどうかという気はする。

まあいろいろな意味でこういう人の話を聞くのは面白いし多分勉強になってるんだと思う。大森も豊崎も私より一つ上で同世代だから言いたいことが分る面はもちろん多いのだけど、芥川賞・直木賞というものがいかに社会的に巨大な意味を持つものかということもまたこういうものを読み、彼らの予想が当たったり外れたりしているのを読んでいると、思う。

雨の中を図書館に行って、金原ひとみ『蛇にピアス』と町田康『きれぎれ』を返却。青山七恵『ひとり日和』と江国香織『号泣する準備は出来ていた』を借りようと思ったのだけど両方とも貸し出し中。いろいろ考えて探してみて結局松浦寿輝『花腐し』(講談社、2000)を借りた。この作品は123回(2000年)芥川賞受賞作品で、『群像』の掲載作だ。『文学界』『文藝』掲載作を読む傾向があったので『群像』掲載作もいいかなと思った。蓮実ゼミ出身者だし、ちょっと敬遠していたのだけど、パラパラ読んでみたら案外読めそうだと思った。


花腐し

講談社

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