書くことと読むこと/世の中を暗くするもの

Posted at 07/07/08

昨日。『私の名は紅』を借りて帰った後、なかなかいろいろなことに手がつかない。パンク系?の小説を二本読んだあとのリハビリというか、自分の中での位置づけのしなおしのようなことを意識的にも無意識的にもしていたのだと思う。意識的にしたのは昨日の日記を書くことだが、無意識的にはなんだろう、『NANA』を読み返したことだろうか。

わたしの名は「紅」

藤原書店

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テレビはあまり見なかったが、つけたらやっていたので『オーラの泉』は途中から見た。中村俊輔と東山紀之。このくらいの大物が出てくると話が面白い。彼らが仕事の上で直面している問題というのは必然的に報道されたりネットで出てきたりする問題になってくるので、個人的というよりややパブリックな問題になってきて、面白いといえば面白い。

日本ハム小谷野が大活躍。今年は本当にいい活躍をしているなあ。彼が活躍すると勝つという印象がある。頑張って欲しい。しかし稲葉の打席は球場が大揺れだが、耐震強度は大丈夫なんだろうか。

ものを書くということが仕事であるとするならば、書くことそのものが「作家の真の行動」なのだが、「読むこと」も劣らず重要な仕事だと思う。「読むこと」により自分が書いているものを意識的無意識的に振り返らせ、今求められているもの、今必要なものが見えてくる。学んでおもわざればすなわち暗く、思いてまなばざればすなわち危うし、と孔子は言ったが、「書く」と「読む」の関係も「思う」と「学ぶ」の関係にあるように思う。

いろいろ小学生時代のことなど考えていて思ったのは、倫理教育というものが一番適しているのは小学生時代だと思った。「~をしなければならない」「~をしてはならない」という倫理、つまり行動の基準が一番身につくのは小学生時代だと思う。どういう倫理が必要かというと、まあそれはその人がどういう人間観を持っているかによるが、私が好きなのは会津日進館の「什の掟」だ。

 一 年長者の言うことに背いてはなりませぬ
 二 年長者にはお辞儀をしなけれはばなりませぬ
 三 虚言を言うことはなりませぬ
 四 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
 五 弱い者をいぢめてはなりませぬ
 六 戸外で物を食べてはなりませぬ
 七 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
    ならぬことはならぬものです。

このすべてを守ることは私には不可能だが、「年長者の言うこと」は少なくとも小学生の間は背かない方がいいし、そういう指導ができる大人がまわりにいることが望ましいと思う。

「戸外で物を」、というのも屋外の立食パーティーでは仕方がないが、少なくとも路上で歩きながら食べるということはやめたほうがいい。

「戸外で婦人と」というのが個人的には一番困るのだが、少なくともでれでれしたり歯を見せて馬鹿笑いしたりするのは見苦しい。なんというか、外国でカップルが愛を語ったりしているのを見てもあまりどうも思わないのだが、日本人が同じことをしていると見苦しく見えることが多い。多分カリフォルニアで日系人どうしが愛を語っていても別に見苦しくないのでそれは外見のことではなく、たぶんお互いが自立した個人という感じがないからだろうと思う。大きな汚い子供同士がいちゃついてる感じになってしまうと言うことだと思う。(自戒もこめて)まあこれは見苦しくない程度に、ということか。

後は、基本的にやったほうがいいと思う。「卑怯な振る舞い」とか「弱いものいじめ」というのがやっぱり一番世の中をすさませたり暗くしたりすると思うから、そういうことをしないことを習慣付けることができるのはやはり小学生の時期なのだと思うし、この時期に一番大事な躾であり教育なのではないかと思う。この時期にある程度身につけられれば、後になって多少道を外れても「自ら反(かえり)みて直」いかどうか、自分を振り返ることができる。

オルハン・パムク『私の名は紅』を読みはじめたいのだが、勢いが出ない。私は二冊を並行しながら読むことで勢いをつけることがよくあるので、もう一冊何かを買って来ようと思う。英語ばかり勉強するとイヤになるから数学もやる、というようなものだ。

9時過ぎに本屋に出かける。遅くまでやっている地元の本屋があるということは本当にありがたいことだ。ものすごく時間をかけて本を物色。それをしながら、自分が一番真剣なのはこの本屋での「読む本を決める」という作業をしている時間なのではないかと思い当たった。私は今までこの時間をどちらかと言うと気分転換の時間だと位置づけていたのだけど、もちろん気分転換的な自由な意識が非常に重要ではあるのだが、読む本を選ぶ、物色しているときの集中力というのはものすごいものだという気がする。膨大な本の群れのなかでアンテナを張り巡らし、自分の琴線に触れるものを選び出す。そしてそこで金を払うという手続きが重要だ。その金は、その本を買わなければ何かほかのことに使えた金だ。そして私には金がない。ない金の中で、どうしても本を読みたいという衝動、書くという自分の営為に一番今プラスになるのはなのかという獣のような嗅覚を働かせて、代価を支払う。

これは図書館では得られることができない緊張であり充実だ。図書館は金を支払わない代わりに返却しなければならないというストレスが与えられるが、この期限を区切られるというストレスがプラスの方向に働く人もあるとは思うが、私にとっては単なるストレスであまり意味がない。ただ現実問題として高い本は買えないし買えなくても読みたい、読まなければならないと感じさせる本はあるから、やはり図書館も使わなければならない。

能書きが長くなったが、そういうわけで買ったのは『文学界』の8月号。ちょっと時間がなくなってきたので内容についてはのちほど。

文学界 2007年 08月号 [雑誌]

文藝春秋

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