綿矢りさ『蹴りたい背中』

Posted at 07/07/06

『蹴りたい背中』読了。読む前、あるいは読んでいる途中と読了感が全然違うのが面白い。

蹴りたい背中

河出書房新社

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読む前はやはり「背中」の方、つまり蹴られるにな川に焦点があたっているのかと思ったし途中までそう思っていたが、最初ににな川を蹴った日に続く体育館の話のあたりに行くと、主人公ハツの巨大な自意識がどんどん鬱陶しくなってくる。この辺は読んでいて自分ならそう思わない、ということが連続するからだろう。ただこういうことを言いそうなのがいるなということが多分無意識に感じられるので読んでいるうちに不愉快ながらとても面白くなってしまう。

ストーリーを書いてしまうと興醒めになるといけないのでなるべく書かないが、つまり本当は『背中』の側でなく、『蹴りたい』ハツの巨大で奇矯な自意識、嗜虐性の萌芽のようなものが描かれていると言っていいだろう。軽蔑といっては冷たすぎる、愛といっては残酷すぎる、まあサディズムの萌芽としか言いようのないものが描かれていてそのあたりはとても面白い。

この小説は「ちょっと奇妙な青春小説」みたいに装ってはいるが、本質は全然そんな生易しいものではなくて、かなり危なくてある意味相当エロい。フェティッシュな部分も相当だ。だから外国語に、特にフランス語とかに訳すと、ある種熱狂的なファンが生まれるんじゃないかという気がする。ドイツ語やイタリア語でもいいな。もちろん英語でもいいけど。なんか『愛の嵐』に近いものを感じてしまう。

高校一年どうしの交流としてはたとえそういう趣旨でもこのくらいの感覚がちょうどいいし、ジャストにそのものを描いていないズレのようなものがまたそそるというかまあそんな感じがする。こういう本質というのは人生経験とかとは全然無関係に存在するものだから、ある種の世界性を獲得するように思う。

細かく思うところはあるが、切り上げ方も上手いな、と思う。

「にな川は振り返って、自分の後ろにあった、うすく埃の積もっている細く黒い窓枠を不思議そうに指でなぞり、それから、その段の上に置かれている私の足を、少し見た。親指から小指へとなだらかに短くなっていく足指の、小さな爪を、見ている。気づいていないふりをして何食わぬ顔でそっぽを向いたら、はく息が震えた。」

これから二人が、というかハツが、どんないけない世界に入り込んでいくのか、あるいはそこで立ち止まるのか分らないが、高1というのは立ち止まるにはもう遅いかもしれないな、とか余計なことを考えた。

***

午後図書館に行って二冊を返却し、金原ひとみ『蛇にピアス』(集英社、2004)と町田康『きれぎれ』(文藝春秋、2001)を借りた。

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by Luke Peterson

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