はまるというよりのめりこむ

Posted at 07/06/26

矢沢あい『NANA』。昼食を買いに出たときに5~7の三巻を買う。友達とメールで話していたら夜会うことに。午後は『NANA』を読んだり小説を書いたり。郵便局や銀行を回って用事を済ませたり。

考え事をしながら歩いていたら鼻の穴に虫が入って参った。幸い入り口だけだったので事なきを得たが。そんなにでかいかな。

街中の写真を撮る。

夕食を済ませてから新宿へ。紀伊国屋で『NANA』8巻を買う。電車の中で7巻を読みながら、涙が出た。はまっていると言うよりは、のめりこんでしまっている。

カフェユイット。思ったよりずっと空いていた。珍しいビールを飲んで、その後フレーバーティー。友達と、DeNAの株主総会の話や、友達の娘の話、オルハン・パムク『父のトランク』の話、そして少しだけ『NANA』の話をした。

帰りに初めてドンキホーテに寄る。何だか面白いところだ。終電前にあれだけ混雑しているのが新宿なんだなと思う。

『NANA』5―8巻。感じることが多すぎて、何か書くのは難しい。断片的に二つだけ。

Nana (8)

集英社

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登場人物がそれぞれ、自分のやっていることの見返りというか報いというか、そういうものを受ける描写があって、ああこういう「報い」を受けるのは自分だけじゃないんだなと思ったということ。ダンテの『神曲』、特に地獄編でみな生前の行いの報いを受けていくところが、不思議に心が落ち着くと言うことをいつも感じていたのだけど、そういう感じが中世イタリアで起こったことより現代日本のマンガの中で起こっていることの方がより大きな安心感というかそういうものを受ける感じがした、ということ。

絶対に自分には受け入れることのできないことを誰かがして、でもそれがその人の思いやりの現われでもあるということがあるということ。受け入れられはしないが、それでもその人なりのぎりぎりの思いやりでもあるということ。何十年たってもどうしても自分には受け入れられないこと、もちろん今だって間違っていると思うことが、それでも思いやりであると言うこともあること。それが思いやりであるということそのものは受け入れられるようになったというくらいには、少しは自分の頑なさも和らいだかもしれないと言うこと。だからといって何がどうなるわけでもない、自分の中の何かが少し変わるだけなのだが。

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by Luke Peterson

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